// あなたのために

 ゲイではない、とあなたは言う。恋人であるわたしの存在がその証明に他ならない、とも。……見知らぬ人々がいる喫茶店であるにも関わらず、それを口にできることが証明のひとつである、とあなたは思い込んでいる。
 ――自分が徹底した異性愛者であり、また同性愛者からいかに程遠い人間であるかを語るときの、あなたの弱弱しさときたら! 手鏡を向けるか、写真の一枚や二枚でも撮ってやりたいような気にさえなる。普段目薬を手放せないはずの瞳は濡れそぼって、いつ泣きだしてもおかしくないように見えた。手が震えていた。足の小さなゆすりは止められなかった。すこしでも責め立てたら喫茶店から立ち去って、二度と会えなくなるかもしれない予感があった。
 だからわたしは、そうよね、と肯定する。
 近頃できた友人がそういうひとだから、男の人に聞いてみたかったの、でもあなたにはわからなくて当然よね、とわたしは続けた。あなたは傷ついた表情を隠さない。ただなんとか動かせる口を薄く開いた。
 そうだよ、だいたい、そういう人間は……気味が悪い、得体が知れない。
 わたしはその言葉にわざとらしく眉間にしわを寄せる。
 ……それは言い過ぎだわ、わたしの友人は気味悪くなんかないもの、とても素敵な人、わからなくて怖いなら、知れば怖くなくなるわ……そうだ、良ければ今度、三人でお茶でもどう? あなたも彼もなんだか似ている気がする、だからきっと仲良くなれるわ。
 あなたは目を見開く。額から汗を流す。顔が青白くなる。
 ……お手洗いに行っていいかな、急に、なんだか、体調が悪くなった。
 大丈夫? 本当に……顔色が悪いわ、戻ったらすぐ家に帰りましょう。
 あなたは小さくうなずいて、席を立つ。テーブルに置いていた携帯をポケットにすべり込ませたのを、わたしは見ていた。

 きっとあなたは、恋人を裏切れない、とメールを打っている。インターネットで知り合った、あなた好みの年上の男に。
 ……性欲があるのかと言ったら、きっと違う、けれど、情はあるんだ、この先の人生を一緒に過ごしても良い、それだけ好きだ、けれど、ゲイのぼくなんかじゃなくて、普通の、異性愛者の男と付き合ったほうが、彼女は幸せになれるんじゃないかって思う、でも、これもわからない、だって、ぼくが彼女から逃れたいために考えた言い訳だとしたら?……
 あなたは先のメールのやりとりがどうあれ、今考えたことだけをメールする。年上の男は優しくて、すべてを受け入れてくれるから。あなたの体目当てかもわからないのに、知り合って間もないのに、何もかも信じている。
 あなたは素直すぎるし、純粋すぎる。だから携帯をロックしている暗証番号が誕生日だって、すぐにわかってしまったし。

 トイレから戻ってきたあなたは、ただいま、と低い声で言う。すぐに帰りましょう、お会計は済ませておいたから、とわたしは言う。あなたはまだ顔色が悪い。店を出るなり腕をからませると、ほんのすこし抵抗される。あなたはそれに気付かない。いつまでも気付かない。わたしがこの場でわっと泣いて地面に伏せてでもしない限り。
 でも、これでいいの。わたしはあなたを許し続けるの。トイレで吐いたのか、酸っぱいにおいがするあなたの体に身を寄せる。抵抗される。……ねえ、待っていて。帰ったら、メールをすぐに返すから。どうか慌てないで、ね。

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