// 売女

 売女、おまえは美しいよ。お安いですよ、と店先の老婆に枯れた声で売られていても。
 おまえは顔を合わすなり、ああ、と小さくため息をもらす。それから、おれの手を引いて薄い布団まで連れて行った。おまえの肉体はそこらじゅう、脂肪がついていた。そのおかげなのだろう、おまえの肌は張り詰めてなめらかだった。なのに、左腕だけが傷だらけだった。剃刀で切ったのだか切られたのだか、短い線がいくつも横切っていた。おまえは何も言ってほしくなさそうだった。だからおれは黙ってその傷を広げた舌で撫でた。引っかかる傷は、猫の舌でも得たような気にさせた。おまえははじめ耐えていたが、いずれ小さく泣き出した。
 ことを終えると、おまえに年 を訊ねた。二十五よ、とおまえは言った。おまえはいちいち声を詰まらせなければしゃべれないようだった。そのせいで真実も偽りのように聞こえて、哀れだった。
 おまえが声を詰まらせなかったのは、戦争があったでしょう、と問うてきたときだけだった。あった、とおれは返した。しかし、もうずいぶん前のことだ。家族はどうしたの、とおまえは聞く。おまえの口数が多いと嬉しかったから、おれは答えた。知り合いに防空壕が崩れて生き埋めになったと聞いた、もしかしたら生きているのかもしれないが、おれにはもう、探せないから。
 そう、とおまえは相槌を打つ。あたし、あたしも姉がいたの、でもたぶん死んでしまった。それからおまえは、長らく声を詰まらせた。……今だから言 えるのだけれど、あたし、姉の旦那さんが好きだったの、姉さえいなくなればと思って幾度も思いつめた、そのたびに耐えて自分の腕を切ってた、戦争が終わって姉が死んで旦那さんは生きのびたみたいだけれど、けれど、あたしもこんなことになってしまったから……。おれは問う。おまえは姉の旦那に、どうして欲しかったんだ、と。おまえは声を詰まらせたけれど、迷いはなかった。ずっとあたしの手を握っていて欲しかった、もう剃刀を持たせないように、それだけで良かったの。おれはたまらず、おまえの手を取る。おまえがまた泣き出すのを、いつまでも聞いていた。
 朝を迎えておまえは、ありがとう、とみっともない声をあげる。またいらっしゃって、という言葉に、もう来ない、とおれは 言う。おまえは何も言わない。幸せになれよ、とおまえに言う。おまえは何も言わない。おまえはすすり泣く声だけを上げた。
 おれは店を出た。ひとり杖をついて、いつまでも暗い道を行かねばならない。

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