// いつかの身体

 この身体はちっとも言うことを聞いてくれないのだけれど、かといって手放すこともできなくて、あたしはしぶしぶと動かし続けるのだ。病院のベッドの上で枯れ枝のように横たわる手足は、すっかり見慣れたものだった。
 ……こんなの、あたしの身体じゃないような気がする。幼少のみぎりにも同じことを思っていた。もっとはやく走れるし細やかに動けるはずなのに、短すぎる手足はあらぬ方向へ飛んでいった。あたしの身体の、なんてばらばらなこと。幼いあたしはがっかりした。
 やがてあたしの身体があたしのものになった頃には、そんなことすっかり忘れていた。しなやかに伸びた腕や脚は、そこらじゅう好き勝手に踊っていた。バレエの先生からは、もっと丁寧に踊るよう叱られた。自分では丁寧なつもりだった。それでいいの、と今のあたしは言う。好き勝手なさい、どうせいずれ、こんなことになるのだから……。
 嫌になって、ベッドの上でじたばたと暴れた。けれど腕も脚もさほど動かなくて、ベッドを小さく揺らすことしかできなかった。
「こんな身体いらないよう」
 突然の泣きごととベッドの揺れに、隣に座っていた息子の嫁は困ったように微笑んだ。決して嫌な女じゃなかった。ただ馬が合わなかった。いつだって、八つ当たりされたがっている表情に見えた。
 けれど今日ばかりは我慢した。まだ使い勝手のある若い肉体を、わざわざあたしの老いた身体の世話させるためにあることが、かわいそうだったから。それでも生まれつきこんな身体というわけではなかったことだけは伝えたかった。まだ若さに思いつめるほどの若さはあるということは。
「……あたし、昔はね、バレエを習っていたのよ。偉いひとから賞もいただいた。たくさん褒められたのよ」
 息子の嫁は小刻みに頷いた。震えているようだった。
「ええ、知ってる、知ってるわ。だからあたしも習ってたじゃない。……からっきし上手くならなかったから、やめてしまったけれど」
 あらっ、とつい声を上げた。
「そう、あんたも習ってたのねえ、そうだったのねえ」
「いやだ、忘れないでよ、おばあちゃん。おばあちゃんが強くすすめたから、お母さんが折れてあたしをバレエスクールに通わせだしたのに」
 じゃああんたは、という言葉は飲み込んだ。……そうだったかしら、そうだったわ、きっとそう……。あたしのつぶやきに、孫娘はつぶやき返す。……そうよ、そうだったわ、そうだったのよ……。よく似た手足の形を、あたしはきっとまた忘れてしまう。

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