形状記憶少女

// 美術館にて

 たとえばたった一枚の絵でも飾ってあれば、そこは果たして美術館なのだろうか。
 小さな街の大通りにある立派だが古い美術館は昔々、とある富豪があり余った金を使い果たすために建てられたのだと、老いた女館長は言う。低いしゃがれた声がいつか甘い高い声をしていたのは、もう誰も知らないほど昔のことだった。美術館が建てられた経緯を説明するのは、いつだって彼女だった。なにせ、彼女には学がない。
 彼女について説明するのは、いつだって彼女に次いで長く美術館に務める中年男の学芸員だった。彼は刺々しい口ぶりで彼女のことを説明した。彼女に学がなくとも館長になれた理由は他でもない、そのとある富豪の愛人だったからだという。それ以外何の理由もない。彼女は絵への敬意、愛情もないどころか、年を追うごとに自分の垂れる乳房が認められなくって立派な乳房が描かれた裸婦画を取り外すことさえあったのだ。そんな女が館長だなんて、許せない。彼は下唇を血が出そうなほど噛みしめていた。
 彼について説明するのは、いつだって数年前から勤め出したアルバイトの青年だった。白シャツを着て、ループタイを付けた彼の胸板はスポーツマンのように厚かった。ほんと嫌になるぜ、楽な仕事だけれど、人ばっかりはどうしようもない、と冗談めいて肩をすくめた。あのひとは、館長さえいなけりゃ自分が館長になれたのに、って思っているだけさ。館長には絵への愛がないだのなんだの言うけれど、自分だって知識のなさは同じさ。おれが入ってちょうどすぐ、あのひとが気に入って無理に仕入れた絵が偽物だったんだ。警察がたずねてきたときには、そりゃもうびっくりしたものさ。それで館長に叱られたのを、絵への敬意が足りないって言い張ってんだ。偽物でも絵は絵だって。思いを込めたものだってな。まったく、ばかばかしいぜ、と彼は首を横に振る。
 彼について説明するのは、いつだって常連の女性客だった。落ち着いた黒いワンピースを着た細身の体は、どこか鉛筆めいていた。あの男の子は学芸員の方の息子さんですよ。目元をよくご覧になったらわかるんですけど、ほら、そっくりでしょう。男の子が行きたかった大学に行けないで別の大学に入ったものの勉強をちっともしないものだから、ツテでむりやりアルバイトを始めさせたそうです。まあ、まあ、お子さん思いなんでしょうが、どうもいけませんこと。だって男の子が行けなかった大学は美術大学。それも学芸員の方はずいぶん反対したそうなのに。たぶん、ずっと戸惑っているんですわ、あの男の子は……。
 彼女について説明するのは、もはや誰もいない。その小さな街はある日、隣街とそのまた隣街の戦争に巻き込まれてしまったものだから。小さな街の大通りにあった立派だが古い美術館はあっという間に戦争の待っただなかに放り込まれた。せいぜい音割れしたクラシックしか流れたかったのに、ごうごうと物々しい音と共に絵たちは銃撃によって穴が開き床に落ちていった。
 中年男の学芸員はすぐに戦場に駆り出されて、絵と同じように体に穴が開いたし土に倒れた。アルバイトの青年もまた戦場に駆り出されて、それから連絡が付かないが、たぶん死んでしまった。常連の女性客はアルバイトの青年の子を腹に身ごもっていた。しかし、戦争のために満足な栄養が取れず、死ぬことは遠くなかった。
 老いた女館長は、美術館の物置の奥底にいた。立派な乳房が描かれた裸婦画に寄り添って、いつかとある富豪に描かれた自らの立派な乳房を思い出しながら。

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