// 初恋と小説

「あたし、小説を書きたいんですの」
 そう女生徒は舌足らずに言った。
 不似合いなほどにてらてらと光る唇は今の少女たちの間で流行っているリップクリームなんだという。まっすぐ切り揃えられた前髪も、腰まで長い黒髪も、すべて流行りなんだという。女生徒はわたしが訊ねてもいやしないことを、いつだって丁寧に教えてくれた。聞かなくたって、女生徒たちがみんなそんな格好をしているんだから流行りに疎いわたしだってわかっているのに。女生徒は、教師がみんな物知らずで、少女についてなんにも知らないぼんくらで、少女だった時期なんてない永遠に醜い中年女なんだと思い込んでいる。
 わたしはすこし間を置いて、そう、と相槌を打った。
「それはまた、突然ね」
「ええ、今日ふっと思いついたものですから。だから文芸部の顧問である、先生に頼んでるんです」
 小さな体をこちらに寄せてくるから、つい体を反らした。たしかに少女だった時期はわたしにもあったけれど、かといって少女に慣れているかといったらたしかに違った。こういう女生徒とはちっとも関わらないで、教室の片隅で本を読んでいるだけだった。
「ねえ、小説の書き方を教えてくださらない」
「それは、文芸部に入るってことかしら」
「まさか」
 けらけら、おかしそうに女生徒は笑った。けれどわたしが笑わないのにはっとして、静かに笑い声を抑えていった。
「あたし、もうバトミントン部に入ってますから。ほら、うちの学校じゃあ兼部はできないしょう。かといって、バトミントンを止めるわけにもいかないんです。だって大会が近くって、そのうえあたしはダブルスで出る予定なものだから」
 女生徒はあらゆる理由を引っ張り出して、いつまでも永遠に文芸部へ入れない環境であるかを語り続けられそうだった。もういいわ、とわたしが言うときちんと止めて、
「そういうことですから」
 と微笑んだ。ついため息をついてしまったけれど、めずらしくないそれに女生徒が気を悪くすることはない。
「それで、先生、どう書くんです」
「好きに書けば良いのよ、読書感想文よりずっと好きにね」
「いやあよ、先生。そんな教え方じゃあ困ります」
 甘い声で腕に絡みついてくるのを
「じゃあ担任の先生に聞いたら、あの先生だって受け持ちは国語だし、小説が好きでしょう」
「それは」
 またぴたりと声を止めて、じっとりわたしを見つめる。
「いけずね、先生」
 その笑い方は、背筋が寒くなるほど女らしい。女は生まれたときから女だって、もう女生徒の年の頃には気づいていたけれど、大人になった今だってちっとも慣れたことはない。
 もう一度ため息をついて、女生徒と向き合って、目を合わせた。大きな瞳だった。
「あなたみたいな子、一年に一人はいるの。教師を好きになってしまう人。特にあの担任は人気だからね、独身だし、若いし」
 そう言うと、女生徒は初めて本当に嫌そうな顔をしてみせた。
「ねえ先生、あたしをそのへんと同じ娘だと思わないで。そういう子たちは卒業したら良い思い出にして忘れちゃうような娘たちでしょう。でもあたしは違う。きっと永遠にこの恋を引きずるの。だって初恋なのよ、先生。この若くて馬鹿そうで色恋沙汰が好きで仕方なさそうなあたしが、待ちに待った初恋なのよ」
「はつこい」
「ええ、初恋。だからどうしたらいいかわからないの。でも話せる人もいなかったから、ひとりで考え抜いて、書いた小説を見てほしいからと相談することを思いついたの」
「それは、けなげねえ」
「でも下手くそなんじゃあ文芸部に回されるだけ、だからなるべく上手に才能を感じさせる感じが良いの」
「才能ね」
「なんなら先生、書いてくださらない、わたしの小説」
 思わぬ言葉に適当な相槌も止めてしまった。それでも頭をぎりぎり動かして、ふんと鼻を鳴らした。
「いやに決まってるでしょ、自分で書きなさい」
「あたし知ってるのよ、先生が学生時代に小説で賞を獲ったこと。おじいちゃん先生が自慢してたから。だから文芸部の顧問なんでしょう」
 もう声が出なかった。
「ねえ、お金とか欲しいんなら、いくらでも払うから。うちお金持ちだから。ねえ、先生、先生?」
 明るい声色に重なって、昼休みが終わる予鈴が響いた。女生徒は踵を返して小部屋を出る。
「先生、お願い、前向きに考えてね、どうかお願いね」
 女生徒は笑って、足音は遠くなっていった。
 もし。
 これはもしだけれど。
 わたしが彼の学生時代の恋人で、お互い作家志望で、しかしわたしが賞を獲った途端に別れてしまった。なんてことを女生徒に言ったら、いったいどんな顔をするのだろう。どうかまた来たとき、告白してしまいませんように、これが想像で終わりますように、と祈りながら自分のささやかな復讐心がちらりと顔を見せていたのに、わたしはもう気付いている。
 そして本当はただ、彼に振られただけの女だってことに女生徒は気付けるのかしら、なんて。

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