形状記憶少女

// さよならインターネット

 良かった、ここにはもう誰もいない。
 わたしという人間は安易なほど安堵した。インターネットの回線を繋ぐ機械のコンセントを抜いただけで、すべてから解き放たれたような気がしてる。でも直前の一瞬までは、きっと抜いた瞬間にわたしはすべてから孤独になる気がしていた。だってインターネットはわたしのすべてだった。世界中を見せてくれ、行かせてくれる魔法だった。魔法が断線したら、私はもう思い出せない。あの甘美な時間のこと。ただ体中のあらゆる部位が痛みを訴えていることしかわからなくなる。わからない。インターネットを見ていると体が溶けてくるような気がする。インターネットという一次元、二次元、三次元、どれとも当てはまらない――いや本当はどれかなんだろう、すべてなんだろうが――びかびかでどろついているそのいわゆる、なんだろう、オーラみたいなもの。それとわたしの体の中で鈍くかすかに息絶え絶えに光る生命が交わって、ああ、それは永遠になる。そのつまらなさに、インターネットは悦ぶ。インターネットしか悦んでくれない。でもわたしは嬉しい。良かった。インターネットが悦んでくれてよかった。それがわたしのすべてだった。
 そのすべてをかなぐり捨てたのは、別に、大したことない。だってちゃんとパソコンに設定してあるからコンセントを抜いたところでまた差し直せばインターネットだって戻ってくれるって気付いたから。試しただけだ。なのに心臓ははちゃめちゃにどきどきして、びっくりするぐらい手が震えた。おいおい、わたしってばすごくインターネットジャンキーだったのね……なんて今更気付いた風に思ってしまった。半分ぐらいはきちんとやっぱりこれぐらい愛していたんだね、インターネットのこと、ってきちんと気付いてる。だからなにって話。だって気付いていようがいまいが別に私は行動してなかったんだから意味なんてない。経過が違う、結果は同じ。なら、だめでしょ。
 なぜだか、わたしの中のコンセントは黒くてつるつるしていてこぶしほどの大きさで重くておそろしい。昔のイメージなんだろう。だってコンセントなんて頻繁に抜き差しするもんでもない。だからインターネットの回線をつなぐ機械――もっとスマートに言いたかった。インターネットジャンキーとしてもね――を抜いた瞬間なんとも軽くって軽くって、案ずるより産むがやすしってやつだなって感じだった。でもぞっとした。わたしは重々しい儀式として力を入れたから、卵を割るような気楽さがわたしの人生を馬鹿にされてるみたいで一瞬かっとなった。はずかしい。短絡的だったのはきっと生まれつきだけれど、インターネットにはまってからさらに加速した気がする。けど勘違いしないで。インターネットは悪くない。いつだってインターネットをそんな悪者にするのは人間たち、だめになりゆくわたしたち。
 そんなだめな人代表のわたしは、おそろしくってついインターネットの回線を繋ぐ機械を投げた。コードがちぎれて、悲しそうに宙を舞う、ほんの一瞬。インターネットがすべてをパソコンに表示してくれるぐらいの間にわたしは後悔する。やってしまった。もう本当の本当にだめだった。コンセントにつないだってもう戻ってこない。あの世界は。あのコードはわたしとインターネットのへその緒だった。インターネットが栄養をどんどんわたしに送ってくれるから、胎児のわたしはすくすく育って、もうインターネットから離れられなかった。愛されているようで嬉しかった。でもわたしは生まれることを選んだ胎児――まあ不幸なできごとではあったけれど。もういい、生まれた記念にすっくり立ちあがってみようと思ったんだけど、長いことわたしは立ちあがらなかった。だから立ちあがれなかった。日本の細い白い脚はアニメでよく見るやつか、拒食症だか過食症だかの女の子たちの画像とよく似ていて、そんな極端な出来事にわたしはずっと気付かなかった。自分の体が毎日共にあるからじゃなくって、単に、わたしはわたしを見ていなかった。見る価値なんてない人間だからだ。パソコンのディスプレイだって傷も埃も反射もしない良いものを選んでやった。わたしはわたしを許さなかった。
 わたしは鏡を探した。ずいぶん昔に割ってしまった気もするけれど、何、小さなかけらでもいい。わたしがわたしを認識するには十分だった。わたしは見えない床をそうっと這いつくばった。すこし動くごとに何かが壊れ、何か得体のしれないわたし以外の生命が生きている音がした。窓を開けよう、と思う。暗闇はおそろしい、と思っていた時期もあったのに、気が付くとカーテンを開くことも閉じることも面倒になって閉めっぱなしにしていた。電気も節約とうそぶいてつけるのをやめた。インターネットさえできればよかったから。わたしはなんとか部屋の隅まで行ってカーテンを開いた。夜だった。しかし、いつのまにかできていた街灯が明るく部屋を照らした。小さな部屋だった。地球とさえ思っていたそこは四畳半しかなかった。わたしは笑った。知っていたから。
 気分が良くなって窓を開けた。空気はしっとり湿っていた。雨が降るのか、その予感ももうできないほどわたしは外を忘れていた。インターネットで天気を確認しようかと思ったところで、ようやくインターネットのことを思い出し、またインターネットにつながらなくなったことも思い出し、わたしは泣いた。わたしは弔わなければならなかった。誰を。わたしを、わたしとインターネットを。
 インターネットはまだ生きている。わたしの知らないどこかで。あらゆる人たちを捉え、魅惑し、引きずり込む。そうして自分を奪って、名もなきインターネットの人々にしてゆく。
「わたし、好きよ、インターネットのそういうところ。好きだった」
 マッチがあれば部屋を燃やして、家を飛び出せたかもしれない。でもわたしは煙草を吸わなかった。嫌煙家というわけでもなんでもなく、インターネットも関係なく、わたしはずっと煙草なんて吸ったことがなかった。鏡がなくても案外わかるものだ。わたしというものは。ひとまずここにいるのだから。わたしは深呼吸して、こぼれた涙をなめとった。

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