// 都会

 都会の明るさに慣れてしまったのだと気付いたのは、もう夜明けを迎えるころだった。大学のため小さな狭い地元を出て四年経ち、その間に東京の近くから東京へ移り住んでいた。
 はじめは、都会は明るすぎる、と瞼をうっすら閉じかけながら思ったものだった。目をこするのが癖でまつげが薄いのに、ひとつひとつの街灯がまぶしくて、ついまた目をこすってしまうのだ。そのたび、もろいまつげがほろりと白い頬に落ちていく。空と一緒に明るくなってゆく部屋の白い壁に掛けた鏡をふっと覗くと、そのいつか白かった頬にもうっすらしみが浮いていた。年頃の女の子たちがするようなお肌のケア……たとえば美容液、日焼け止めなんかをちっともやらなかったせいだ。そう、女の子なんて言葉さえ、もういくらか遠のいてしまっているのに。
 さみしくて、さみしくて、仕方がない。しとしとしみが浮く頬を濡らす涙だって、昔はあくびぐらいでしか出なかったくせに。年を取ったら涙腺が緩むのはどうしてだろう。みんな言う。みんなそう言う。そう言っていたのを聞きながらどうしてだか、私はそんな風にならないわって思っていた。他の恋愛や人生についての格言ならば聞くたびきっとそうなるだろうという予感があったのに、なぜだか涙だけは信じられなかった。きっとそこにあったから。涙袋に収まった涙を想像して、こいつが勝手に私の手を離れることなんてないだろうと思っていたから。
 こちらにきて初めて泣いたときのことをよくよく思い出せばくだらない。初めてできた恋人と別れることが決まってからだった。相手も初めての恋人だったから丹念な別れ話になった。私がわがままを言っていただけだった。初めての恋人にどう接すればいいかわからなくって、ひとまず楽しいことだけしていたのに、いつからか物足りなくなって、いや、違うかしら。楽しいことだけが恋人ではないと知りもしないのに思いこんで、では私の弱みも見せなければなるまいと悲しいこともないのに泣いてみたらやけに上手く泣けてしまって、それからつられて悲しいことを次々思い出せて――ゼミ、サークル、人間関係、初めてのバイト、あらゆるつまらないこと――そうしたら少し心配させられればいいと思っていた涙が止まらなくなってしまって自分でも困った。隣にいた彼はもっと困っていた。理不尽な私が目を覚ます。どうしてあなたはこんなにも近くにいるのにわかってくれないのか。わかるはずがないことを理解していた私は眠っていた。彼は背中をなでてくれたけれど、私が欲しいのはそれじゃなかった。きっとあのとき彼もいっしょに泣いてくれれば、なんだこれは、なんなんだこの人はと冷静になって涙が引っ込んだはずだ。……なんて想像してみて、わかったもんじゃない。
 どうしてこんなひどい思い出がよみがえったのか、どうせつまらない私のことだから、おんなじような夜明けだったから。それきりのことだけで、こんなにつまんないことをしてしまったのだ。
 朝は明けてくる。それでも今日はまだ良い。一日曇りの予定だから、朝でも突き刺すような光はない。瞼を閉じる。本当は今でも怖いんでしょう、都会の明かりが、まぶしさが。そうたずねてくる人がいないことに、私はずいぶん安堵している。

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