// 道

 ためらいは常にあり、そのためらいは積み重なって、やがて私を遭難へと導いた。
 ためらうと前を向けなくなる。顔を上げること、どころか瞼を開くことさえも億劫で、わたしはつい地面を眺めていた。わたしの故郷は電車が通ってるものの、通っているだけだ、という程度の田舎で、コンクリートに舗装された道が五割、未だごつごつと小石が転がる道が四割と、それから朽ちたあぜ道の一割でできていた。素朴な道だからといって、飽きが来ないわけではない。田舎のコンクリートは灰色に舗装され、歩道と車道を白いガードレールで区切ったきり、後は劣化するきりだ。
 だからどちらかと言えば、大学入学を機に上京してようやく眺めることのできた、都会の工夫された道のほうがよほど面白味があった。都会はいちいち歩道に模様がかっている。一枚、一枚、きっと職人が丁寧に敷き詰めたんだろう薄赤い煉瓦があって、その上を踏みしめられる悦びがあった。ときおり白い煉瓦も差し込むことで飽きさせず、また、歩道と車道どころか、くわえて自転車が通るための道まで示されて、模様や色、素材さえも変えられていたのだから、初めて見たときは感動のあまりつい涙した。
 なんなら、人一人が通れるほどの幅や高さがあれば、道は道として成立する。しかしそこに、無意味な装飾――いやもちろん、事故防止などに関わるのだろうが、道としては過剰なものは無意味だ――があるということは、それだけ余裕があるということだ。帰り道、数少ない白い煉瓦の上だけで飛び移る遊びも、その大人の余裕があってこそ為せる子供の余裕なのだ。
 わたしは学校も、バイトも、はたまた生活さえも忘れて、道に夢中になっていた。ただの文学徒であったわたしが道に惹かれる合理的な理由はまったくなく、周囲は気味悪げに離れて行った。構わなかった。人がいなくても、道に変化はなかったからだ。
 ある真夜中、わたしは家で酒をたっぷり飲んで道に出た。酒のせいで、道はずいぶんだだっ広く見えた。思えばただ、自転車道と、歩道と、車道、すべての道に区切りなく混じり合わせ、ひとつの道として見てたせいなのだった。それでも酒に酔っていた私は、ちっともそれを疑わなくて、感動を得た。自分が住むアパート前の道であったのに、きっともう、生涯二度とこんな道と出会えないだろう、とさえ思えた。わたしは酒がまだ並々と入った缶を手にしたまま、初めて、きっと生まれて初めて、道のずっと先を見て、またそのずっと先を見た。素材など、模様など、ちっとも気にならなかった。わたしは歩き出す。瞼は不思議と軽く、点々と先まで続く街頭はわたしを導いていた。わたし自身もまた、幸せまで導かれるだろうという直感があった。
 そこにためらいはなく。

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