// 春子

「黄色い花の花言葉には悪い意味が多いのよ」
 お花が趣味だという女教師は、得意げにそう言っていた。ならば、では。下校中の春子は足を止めて考えた。わたしたちが普段男の子にささげている黄色い声って、いったいなんなのかしら。
 アスファルトの隅に咲く小さな黄色い花を見ながら、春子は乾いた唇にぐっと親指を押し込めた。姉に相談してみようか、思い立つ。けれど、いや、だめだ。姉は女好きであるから答えられまい、と春子は小さく首を振った。
 姉自身から女が好きであるという告白を聞いていないけれど、母ときっとそうだろうと何度か話し合ったことがある。真面目で器量も悪くないのに三十路が近づいても結婚する気配は一向になく、しかし男と交際していたり興味を持つふりを見せてくる。そのくせドラマで俳優たちを目にしたとき、姉が注視するのはいつだって春子とそう年の変わらない若い女優だった。小柄で、細身で、うんときれいな黒髪は長く、小さな口をきゅっと結んでいる、そういう女が好みらしかった。そして口ではこう言うのだ。
「一番背の高い男優さん、すてきね。背が高くて、目つきがいいわ」
 好みの女優と腕をからませるたび、姉が悲しそうにするのを春子と母は呆れて眺めていた。
 姉がトイレへ立った隙に、ふたりはさっと顔を近づける。
「姉さんはどうして素直にこの娘が好きだって言えないのかしら」
「ずっと無理よ。だってあの子は、自分が普通だってことが誇りで譲れないんだから」
 そうした子供を育てたのは誰なんだか、とそのとき春子は言い返さなかった。
 母も一因だろう、と春子は勝手に考えていた。男にさほど興味を持ってはいなかったから、両親から勧められた見合いを受け入れただけだ。父もまた、似たようなものだ。そうした家庭の中で、春子自身はこよなく男の子を愛すことを選んだ。
 小さな男の子が好きだ。女の子そっくりの、頬がまんまるい女の子が好きだ。小学生の男の子が好きだ。すくすくと育ち、女の子と離れてゆく寂しさが良い。中学生の男の子が好きだ。声変わりが始まって、成長する骨が痛む表情が好きだ。高校生の男の子が好きだ。自分たちが大人だと、そしてその日々が永遠に続くと信じて疑っていないところが好きだ。大学生の男の子は、男の子って呼んでいいのかしら? いや、呼んでしまおう。だって彼らは自分たちが大人なんかじゃないって気付いている。成人したって、あまりに未熟な自分に耐えられないでいる。それでも日々が進むことに苦しんでいるところを、なぐさめてあげたかった。自分よりずっと大きな背中に腕を回して、母親がごとくあやしたかった。そのときには子守唄を歌うことは、ずっと前から決めていた。
 だから春子も黄色い声を上げると言えど周りの女の子たちが年上の男の子へ向けるのを余所目に、土手を若い母親と散歩しているような少年に投げかけるのだ。見るたび、黄色い声を投げかけるたび、春子はいてもたってもいられないような気持ちになってワッと走り出したくなるのだ。その場を立ち去ることよりも、すぐさま大人になって子供を産み落とすために未来へ行くイメージがあった。
 今日は考えた通り、さっと走りだしてみた。ちょうど追い風が吹いていつもよりずっと早く走れている気がして、同輩、後輩たちを追い抜かすのは気持ちが良かった。それでも、春子はまだ大人にはなれないのだけれど。
 家に着くと、大学が早くに終わっていたらしい姉の靴があった。居間のテーブルに着いていて、ふいに春子と目を合わせる。
「おかえり、春子」
「ただいま姉さん。ねえ、知ってた、今日先生からお話を聞いたんだけど、黄色い花はね、花言葉がね」
「悪い意味が多いんでしょう」
 あら、と春子は声を上げた。
「知ってるわよ、それぐらい」
「それでも意外、どうして」
 姉の目の前の席に座りながら春子がそうたずねると、しかし姉の口はすぐさま動くことはなくいくらかもごついてからようやく開いた。
「一度とある女の子に嫌われて、ひどい花言葉の花をもらって、そのとき知ったの。なんだろう、これ、すごく女の子よね」
「そうね」
「だから、そのとき買った花言葉辞典が私の本棚にあるはずだから、もし気になるなら勝手に取っていって良いわ」
「うん、見せてもらう」
 制服を脱ぎながら春子は姉と共用の部屋に入る。いつもはカーテンで簡単に仕切っていたのを開いて、ほとんど飾り棚になっている本棚から、それらしい本を手に取った。緑色の背表紙で、ひとまず開いてみると挟まれていたらしい栞があったページに行き当たる。
 その不器用に手作りらしい栞は、見知らぬ黄色い花だった。そのページと同じ花だった。春子は答え合わせをしない。
「くだらないわ」
 とだけつぶやいて、本を閉じた。やっぱり春子は、小さな男の子を愛したかったものだから。

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