// 母と娘

 あなたは私の子供だから……。
 いつだって語尾は濁り、言い淀まれた。その先の言葉を私は未だ知らないし、知りたくもない。いくら乾いた手で頭を撫でても、細くなった腕で抱きしめても、疑い続けていたのは母のほうだった。
 なに、簡単なことだ、と祖父は言う。お前を生んだときがいけなかったんだ、と私を指さす。おじいさま、人に指をさすのはいけないって、いつかあなたが教えたことよ、と私はその指を優しくしまわせる。それにね、おじいさま、私が生まれる前にあなたとお父さまがあらゆることを失敗したことのほうがより一層悪いんじゃないかしら。そう言い返してみれば、口をもごつかせて心底しょんぼりした顔つきを見せるのだから情けない。外では立派な人だと言われる祖父も、母の話となると子供のような顔つきになる。
 私が生まれるちょうど二十年前、定職につかず、のんべんだらりと日々を過ごしていた父と、箱入り娘で世間知らずだった母が偶然にも出会ってしまったことから始まる。鞄をひったくられてしまった母が悲鳴を上げると同時に、さっそうと現れた父がすぐさまひったくりを捕まえてくれたのだ、自らの腕の骨を犠牲にして、と母は何度だって語ってくれた。一方、思い出をありのまま父に語ってもらえば、角を曲がったら自転車に乗った若い男とぶつかって腕がむちゃくちゃに痛いものだからたまらなかった、仕返しに持っていた上等そうな鞄をひっつかんで、これでチャラだと叫んだら若い娘が寄ってきた、と。しかし若い男と若い娘だ、顔もそう悪くなかった。互いにうまいこと恋に落ち、うまいこと唆し、唆され、あっという間に同じ布団で寝てしまった。もちろん母は初めてだったのだけれど、しかし、金のなかった父が避妊具をつけなかったせいで私を孕ませたらしい。しばらくして母が体調が悪いと病院を訪ね、妊娠を知った。まだ十六の頃だった。母を生んで間もなく祖母は電車事故で亡くなっていて、娘を育てるため働きづくめだった祖父はその日も朝から仕事に出かけていたものだから、病院に行くことさえ知る由もなかった。
 ただでさえ体の弱かった母が、私を生むのは楽ではない。どちらが死んでも、両方死んだっても不思議でない。妊娠は早いうちにわかっているのだから、はやく中絶する覚悟を決めてくださいね、なんて医者でさえ言っていた。それで母が、いいえ、私はなんとしてでも生みますとがんと言ってしまえば良かったのだが、やはり、若い娘だった。誰になんて言おうか、許してくれるだろうか、うまく育てられるだろうか、お金は、と悩んでいるうちにすっかり中絶を許された期間が過ぎてしまったのだ。一方で母の精神もすっかりやられてしまったらしく、物事を考えるのをやめてしまった。私を孕んだことを、忘れた風に過ごしてしまおう、と決めたのだ。
 それから数か月ごく普通に暮らしていたら、ある日、娘の腹が妙に膨らんでいることに祖父が気付いてさあ大変。病院へ行けばあらためて妊娠が発覚し、年上の恋人もいて、数日でころりと同じ布団に、なんて知らされたのだから祖父もすっかりまいってしまった。それでもなんとか父と連絡を取って殴り、事情を話して責任を取らせるしかないと一方的に結婚を決め、父も自分の会社に無理やり入れて定職につかせ、等々を急ぎこなしたものの、もう私がいつ腹から出てもおかしくない段取りまでになっていた。
 母はずっと泣いて暮らしていた、という。これは父から聞いた話だから、きっと間違いない。死んでしまうかもしれないことも、祖父に迷惑をかけたことも、どれもこれもつらそうだったらしい。それはそうだろうし、父が他人事のような顔をして語るのもろくでもないなと思った。
 陣痛は正月、三が日を終える前にやってきた。母はすぐさま気絶して、救急車がやってきた。母の体力はないから、時間をかけたらどちらもこちらも、と医者が言っていたが、ずいぶん長引いてしまったと言う。ここのあたりに、母の記憶はない。途中でまた目を覚ましていきんだりしてたらしいのだけど、意識はもうろうとしていたからさだかでなかった。それから私をなんとか生んで、数日、また寝たきりになっていたから目を覚ましたら隣で知らない赤ん坊が乳房を求めて泣いていたからひどく驚いたのだと。
 母はまだ若すぎたり、祖母が小さい頃になくなったせい、あらゆることが思いつくが母の母性は芽生えなかったらしいことはたしかだ。いつだって、いつのまにかいて、ついてくる座敷わらしのような目で見られ続けた。それを自分でも感じていたらしくて、あなたは私の子だから、とおまじないのように繰り返されて、それでもだめだった。言葉の裏側にある、違うかもしれない、はいつまでも付きまとい続けていた。
 しょうがない、ただ向いてなかったんですよ、と私は祖父に言う。何がだ、母親にか、運にか。祖父は拗ねたように言う。上手いこと言いますね、きっと、どちらにもですよ。私の言葉に祖父は窓のほうを見た。あいつ、遅いな、まだか。父ならもうすぐですよ。言ってる間に病室の扉が開いた。するとそれまで勝手に自分のことを語られて不満そうに黙っていた母の顔が途端華やいだ。あなた、あなた、とベッドから立ち上がりたそうに手を伸ばす。
 私が二十歳を迎えてちょうど、子宮がんにかかった母は初期であることが幸いながらも摘出することになった。しかし何、私の後も結局弟と妹を産んだのだから、まっとうしたものだ。弟と妹はうまく生んだ分、なおのこと私ばかり気が離れていって、ああ、どうしようもない。なのに私の血は母を求めて、右往左往している。けれど一方で、祖父の真面目でありながら妙な適当さを受け継いでいるせいか、あきらめもあった。もはや受け止めてくれない母こそを求めているような気がするのだ。
 母と目が合う。薄い一重のまぶたも、まっすぐな黒髪も、どうしたって私と母はそっくりなのに、互いにまだ疑い合っているなんて不思議だった。笑いながら、私は言う。どうしたってあなたは私の母なんだから、しっかりしてちょうだいな。母の細く冷たい手をはじくように触ると、祖父にそっくりの拗ねた顔を見せるのだった。

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