// 姉

 気が付くと姉は、女の顔をしていたのでした。
 あらゆるたとえがある世の中ですが、それまでわたしは、女の顔とは、はたして、と考えておりました。わたしのような少女だって、少なからず、女であるわけです。女が女の顔をしているのは、いわば、生まれてこの方としか言いようがありません。では、男が女の顔をしている? ならば、女装だとか、もっと言い方があるうえ、この言葉が男に向けられているところはあまり見たことがありません。しかし、そうした表現がある以上、そして昔の後世たる今に生きるわたしにまで伝わっている以上、世の中にそうした状況、そういう事柄があるということなのでしょう。それでもいつまで納得がいったことはありませんでした。
 しかしある朝、トイレに行こうとしたわたしは、ふっと思い知らされました。父に見つからないようひっそり家を抜け出し、またひっそり帰ってきた姉の顔は、まさに、まさに女の顔だったのです。
 いつも家にいる姉は、化粧など知らない、といった顔つきで、長い髪だって一つ結びにしているばかりでした。なのに食卓の、いつもの自分の席に座る姉は目元に黒い墨でも塗っているらしくて、涙でそれが滲んでまだらになり、小さい頃から好きだったパンダ移ったのかしらとさえ思いました。けれど、赤い唇はいつもより血色が良いわけではなくて、そうしたものを塗りたくっているのだ、ということはすぐにわかりましたし、肌もよくよく見てみれば、いつもよりなんとなく質感が違いました。胸元はすっかり開かれて、パーティドレスのようなぎらぎらとまぶしい服は、まだ暗い中でもよく目立っています。姉がこんな服を持っていることを、わたしは今日までなんにも知りませんでした。
 わたしは、短い人生でもっとも、にらめっこでもないのに、姉の顔を見つめ続けていました。一方で姉は、何を思っているのでしょう。わたしの寝癖がついた短い髪を、にきびが増えてきた肌も、ちっとも膨らまない胸も。
 姉は、赤い唇を開きました。
「いまから、カップラーメンを食べるのだけども」
 姉はつつう、と頬を伝う黒い涙など、知らないような顔をして言いました。
「一緒に食べる?」
 やがて黒い涙は姉のきつい角度の顎までたどると、たっぷり焦らしたのち、テーブルに落ちました。それを視線で追うように、姉はうつむいて、ささやくのです。
「いま、一人じゃ食べきれる気がしないの」
 わたしはすぐさま、思わずうなずいて見せましたけれど、うつむいた姉に見えるはずもありませんでした。向かいの、普段なら父の席である椅子に腰掛けると、姉は曖昧に微笑みました。普段の姉の笑いと同じでした。
 いつの間にかぐらついていたやかんが汽笛のようにするどい音を立てる前に、姉は火から下ろしました。
 カップラーメンに湯を注ぎ、三分待ち、ふたをすべてめくるまで。わたしは夢見心地だったのですが、うんと香る食欲を誘うにおいに、目を覚まし始めていました。
「先に、食べさせて」
 うん、とうなずいて、姉が食べるところを眺めていました。赤い口紅は、取れ始めています。カップラーメンに入らないかしら、と思っていると、姉は言いました。
「許してちょうだいね」
 姉はカップラーメンをわたしに差し出しながらでした。わたしは何にも言えないで、うなずけもしないで、カップラーメンを受け取りました。ずずう、ずずう、とぎこちなく麺をすすりながら、やがて窓から差す朝日で、さらにぎらつく姉の服がまぶしくて、そうっと目を逸らしたのです。

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