// 赤いまつり

 せっかくの祭りだというのに、あたしはまた鼻血を出している。
 リビングでの昼寝から目を覚まして体を起こせば、着ていた半袖に赤い丸がぽつりと浮かんでいるのだから嫌になる。昔から鼻血が出やすい体質だったけれど、鼻血に慣れたことはない。いつだって鼻の中で伝う温かな液体の感覚は気持ち悪い。とうとう鼻下までたどり着いたときには、どうか鼻水でありますように、なんて馬鹿馬鹿しくも祈りながら手の甲で拭う。大抵、それこそ七割ぐらいの確率で、鼻血なのだ。くそ、くそ、と毒づきながら、これ以上滴らないよう鼻の呼吸を止める。口をぽっかり開けて、ティッシュを探す姿はいつもみっともない。さまになる人間はいないと思うけれど、あたしがもうちょっと可愛かったなら、って考えたりする。そうしたら、あたしが鼻血を出すなりすぐさまティッシュを差し出してくれる男だっていたかもしれないのだ。
 現実、いないのだ。洗面所で見つけたティッシュをひっつかみ、丸めて鼻に押しこみながらため息をついた。
 中学に上がって二年目、周りには恋愛感情を抱けない男友達と同じように恋愛にさして興味ない女友達ばっかりが集まってしまった。今日の祭りも何年連続になるんだかわからない、近所に住む昔から仲の良い幼馴染二人とだ。慶太とみぽりん。小学校六年生のときには、もう来年になれば好きな男の子と一緒にお祭りデートするから、この二人と来るのもおしまいなんだ、と一人でうっすら涙さえ浮かべていたのに。夢のまた夢、だった。
「なんも変わんなあ」
 洗面所に座り込んだまま、赤く膨らんだティッシュをゴミ箱に捨てて、また新しいティッシュを鼻に詰める。
 この辺りは田舎だから、私立を受験した数人以外は公立中学にそのまま上がる。スポーツクラブを入っていた慶太は陸上部に入ったし、ピアノを習っているみぽりんは吹奏楽部に入った。あたしは何も習いごとなんてしていないから帰宅部が良かったのだけれど、かならず部活に所属しなければいけないという決まりのせいで仕方なく美術部に入った。二人はずいぶん熱心に部活をやっているけど、あたしは入部届けを出したきり、何かと理由を付けて足を運んでいなかった。
 中学に入れば何もかもが大きく変わる、なんてむやみに信じていたあたしはもう、空っぽだ。夢しか詰め込んでいなかった胸に、夢がなくなればそりゃ何もなくなる。すがるものも見当たらない。次は高校だ、なんてもうぼやいている。
 ティッシュを鼻から引き抜くと、血はほとんどついていなかった。止まったらしい。ほっとしながら、壁に掛けてある時計を見た。六時二十分。二人との待ち合わせは六時半にすぐそこの角だけれど、今日は何せ浴衣を着なければいけない。時間はなかった。
 慌ててリビングに戻ると、寝ていたソファに今日着る予定の浴衣がかけられていた。赤い帯と、白い生地に見たことあるような紫の花や赤い花が描かれているやつだ。チェーンの服屋で買ったやつだけど、まあまあ気に入っていた。しかし、一年ぶりのそいつの柄は、変わっていた。
「やだ! ねえ、お母さん、お母さん! お母さあん! ちょっとお!」
 しばらく叫び続けていると、二階で掃除していたらしい母親が嫌そうに顔を見せた。
「なあによ、公美。さあっきからもう、うるさいうるさい。近所迷惑なんだけど。で、なに、ゴキブリ? クモ?」
 母親の面倒くさそうに間延びした口調にいらつきながら、浴衣の胸の部分についた赤い丸を指差しながら悲鳴を上げた。
「浴衣、鼻血ついてるんだけど!」
「あらほんと。色明るいから、また鼻血でも出してた?」
 なんてことはない、という母親に、いらつきは募る。浴衣を床に投げつけて、あたしは言う。
「ていうかさあ、なんでこんなところ置いとくの? 信じらんない。意味わからん。汚れるじゃん」
「公美が今日着てくから、ここに出しといてって言ったでしょ」
「なんで言葉どおり受けとんの。ここじゃなくても良いに決まってんじゃん。汚れないところぐらい、わかんでしょ」
 あたしとのやりとりが面倒くさくなった、と目に見える表情で母親は手を振る。
「はいはいはいはい、もお、去年買った安物でしょ? 新しいの買えば済む話じゃない」
「祭りは今日じゃん!」
「じゃあ、これ着てけば」
「やだよ、鼻血で汚れたのとか!」
「濡らした布とかティッシュでポンポンすれば大丈夫よ」
「やだよ馬鹿!」
 そんなのはダサいし、どうせいくらか染みが残る。しかもよりによって隠せない部分に血が付いたのだから、どうしようもなかった。あたしは汚れに対して敏感な方ではないけれど、なぜだか血の染みだけはむちゃくちゃ嫌いだった。不健康で、不穏な感じがする。嫌だ、嫌だって鼻息を荒くし続けていたけれど、はっと冷静になって時計を見た。六時三十分。待ち合わせの時間だった。自分の姿も確認してみれば、鼻血が付いた寝間着とぼさついた髪だけがあった。はああ、とあたしは母親に向かって恨めしげにため息をつく。
「もお時間ないから、いい。普通の服着る」
「せっかくの祭りなのに?」
「着れなくしたのは誰だよ!」
 親に向かってその口、と母親がとうとう怒ったのを尻目に、あたしは自分の部屋に駆け込んだ。充電していた携帯を手に取ると、みぽりんから不在着信があった。慌ててかけなおして数コール後、つながる。
「おい、何してんだ公美。遅えぞ」
 出てきた低いしゃがれ声にすこし驚いたけれど、なんてことはない。慶太だ。大会が近い陸上部のきつい練習で、喉を潰したのだと言う。野球部でもあるまいに、どうしたら陸上部が喉を潰すまで声を出すことがあるのだか。文化部で、しかも幽霊部員のあたしにはさっぱりわからないのだった。
 聞いているだけで呼吸しづらくなる声に、あたしは急かす。
「はあ、なんで慶太なんだか。っていうかね、あたし、ちょっと遅刻するから。みぽりんに代わってくんない。みぽりんに電話かけたんだけど」
「お前は遅刻するのに、いつもどおり偉そうだなあ」
 慶太はいっそ感心したように言って、素直にみぽりんと電話を代わった。
「もしもし、公美ちゃん? ごめんね、慶太くんに貸せって言われて、つい」
 細くて高い、まさに女の子、という声にあたしは安心する。昔から変わらないみぽりんの声だ。
「大丈夫。ちょっとびくっちゃっただけだから。っていうか、ごめん。遅刻しちゃう。また鼻血出てさ、しかも浴衣も汚しちゃったから、今年着れないっぽいけんね」
「えっ……本当? 公美ちゃん大丈夫? 遅刻とか、全然気にしなくて良いよ。いつも行くの早すぎるよねって、前から言ってたもん」
 あたし以上に戸惑った声色を聞くたび、申し訳なくなってくる。そもそも、昼寝をもっと早く切り上げれば問題なんてなかったのだ。本当に心配してくれるみぽりんにつくささやかな嘘は、すこし胸が痛む。ごめん、みぽりん。でも、こんなところで素直になって、昼寝して喧嘩してたら遅刻しました、なんて言ったところで誰も幸せにはなるまい。
「ほんっとごめん! 慶太にも一応謝っといてくれる? ってかほんと、電話切ったらすぐ着替えるに!」
「大丈夫、大丈夫。それじゃあ私も忘れ物思い出したから、七時にまた集合でどうかな? 慌てなくて良いから」
「そうしてもらえると、助かるかも。ほんっとごめん! 今日はもう、なんかおごる!」
「大丈夫大丈夫、じゃあ、また後でね」
 電話を切るなり血のついた服を脱ぎ捨てて、下着姿のまま洋服棚から見繕う。浴衣が着れないからって気を抜かず、人ごみを歩くのだから気合い入れすぎず。悩んだあたしは結局、小花柄の半袖とキュロット、それから黒タイツを履いた。夏に黒タイツなんて、と我ながら思うけれど、かといって太い脚を晒すわけにもいかないのだ。浴衣を着るなら無駄毛剃らなくて大丈夫ね、なんて気を抜いていたためもある。自分が持つ女子力の低さに呻きながら、髪を整えて、歯を磨いて、お金を用意して。三十分なんてあっという間に過ぎてしまう。
 すっかり暗くなった待ち合わせ場所に行くと、もうみぽりんと慶太の姿があった。当たり前だ。二人はそもそもの待ち合わせ時間にもちゃんと間に合っていたんだから、三十分遅らせて間に合わないわけがない。慶太はさておき、みぽりんには土下座でもする勢いで謝らなければ、と早足で近付いて、驚いた。
「え、うそ、みぽりん」
「公美ちゃん」
「浴衣!」
 あたしに気付いたみぽりんはシンプルなVネックのシャツと灰色の七分パンツ姿で、ううん、と首を傾げた。
「忘れちゃった」
「うそ! 髪型、だって完全に浴衣に合わせてんじゃん!」
 三つ網をお団子にしたヘアアレンジは、みぽりんが浴衣を着るたびにするやつだ。よく似合っていたから忘れるわけがない。あたしの剣幕に慶太は呆れた顔を見せ、みぽりんはすぐに白状する。
「さっき、着替えてきたの。一人で浴衣は、寂しいもん」
 みぽりんは良い子だ、ってことを毎年一回は痛く感じさせられて、あたしは一瞬声を出せなくなる。なのにあたしは、嘘をついて遅刻する。でも、今回がどうのということじゃない。根本の人間性が何もかも違うみたいで、あたしはどうあがいたってみぽりんになれないし、みぽりんもあたしほどだめになることはないのだってわかっていた。
 思わずみぽりんの細い体を抱きしめて、思い切り謝る。
「うわあああっ、みぽりんほんっとゴメン! 来年は絶対、絶対浴衣着るから! っていうか、慶太にも着させる、詫びで!」
「はあ? なんで俺もなんだよ」
 今日は部活が遅くまであるからそのまま行く、と言っていた慶太は、宣言通り学校のジャージを着たまま着ていた。祭りの風情なんてありやしないその格好だろうことに安心して、あたしも服を選んだところはあったのだけれど。
 みぽりんを抱きしめたまま、慶太を見て笑う。
「良いっしょ減るもんじゃないし」
「うざっ」
 そう言う慶太もあたしに負けず劣らず口が悪いけど、本気で思ってないってわかるよう面白がった顔で言うからやりやすかった。心配性のみぽりんも、慶太とあたしのやりとりは十分承知しているから面白そうに微笑んだ。
「ふふ、良いね、三人で浴衣。小さいころはやってたもんね。またやりたいね」
「ほおら、みぽりんも言ってるー! 浴衣選んであげるからさ、子供っぽい慶太を大人っぽく見せる奴!」
「みぽりんとか呼んでるお前のほうがなーっ」
 慶太はそう言って、満更でもなさそうにげらげらと笑う。その笑いに、あたしもみぽりんもつられて笑う。それでようやく、あたしたちは神社に向かって歩き出すのだった。
 三人でいると気楽だけれど、引っかかることだってある。未だ小学生のとき考えたあだ名、みぽりん、なんて。もうやめるべきあだ名だってわかってる。でも慶太が僕から俺って変えたときみたいに、みぽりんがあたしの呼び方をくみちんから公美ちゃんへ変えたときみたいに、あたしはうまく変えられなかった。どうしたらうまく変えられるかな。先を歩く慶太の背中を見ながら、みぽりんと話しながら考えていた。今か、今かと、中学生になってから、事あるごとに。
 ねえ、もう子供じゃないしみぽりんなんて、みぽりんも恥ずかしいよね、今度から美保子って呼ぶね。
 タイミングを見計らっているばかり、言えた試しは、一度だってない。面白い会話がひとつふたつ挟まったら、今度でいいやって思ってしまう。あたしはそういう人間だった。
 神社までは、そう遠くない。近くまで来ると、道路にも出店が並んでいる。もう少し待てば神輿や馬に乗った神子も来るのだけど、そうしたものにはあまり興味がない。一通り出店を回って、欲しいものを買って、最後に神社の駐車場でやる花火を見るというのがいつものあたしたちの楽しみ方だった。規模は大きくないけれど、吊るされた花火が大雨のように降るさまはなかなかの光景だった。
「焼きイカっしょ、りんご飴っしょ、ベビーカステラっしょ」
「公美ちゃん、綿あめ忘れてるよ」
「そうだった!」
 指折り数え買いたいものを上げて、一番安い店をチェックしようと張り切るあたしとみぽりんを、慶太はまた呆れた顔でかぶりを振った。慶太も昔はうきうきと話に乗ったものだったけれど、今はちょっと恥ずかしいのか乗ってこない。
「慶太はいらないみたい、残念」
 あたしの言葉に、慶太は簡単に引っかかる。
「いらないとは言ってないだろ!」
「あ、慶太くんは宝石つかみどりでもする?」
「しねえよ!」
 慶太も夕飯は祭りで済まさなきゃいけないから、部活でくたくたになり、お腹が減った状態を、恥ずかしさだけでは乗り切れないのだった。
「じゃあ、たこ焼き、お好み焼き。たくさん食べようね、慶太くん」
 いつも大人しいみぽりんがめずらしく慶太をいじるぐらい、祭りに浮かれている姿は嬉しい。慶太に宝石つかみどりをすすめたのは馬鹿にしているわけではなくて、風船釣りが好きな子だから同じ感じですすめただけだ。真っ先に赤い風船と青い風船を二つ釣ったみぽりんは、青いほうを一つあたしにくれた。優しい子なのだ。
 にしても、いつもより三十分遅れて出ただけで品物一つ買うのに時間がかかった。買う、食べる、ととんとん拍子に進むいつもよりは祭りっぽいなとは思うけれど、面倒だ。それにいつもと違う人々とも、出会ってしまう。
「慶太、おい慶太! 女に囲まれて浮かれてるら!」
「うっせーばーか、早くゲーム返せよ」
「うっせ! むじーんだよ、あのゲーム」
「あっ、美保子先輩ー! こんばんはあ」
「こんばんはあ。久しぶり、元気?」
「先輩、昨日練習で会ったじゃないですか!」
 二人はしばしば知り合いと顔を合せては、愛想よくいくらか言葉を交わした。あたしは気まずく目をそらす。
 幽霊部員で祭りに来るタイプの友達もいないんだから、ただずるずると、肩身だけが狭くなってゆくのはしょうがない。慶太とみぽりんも心なしか気を使ってくれていて、話をなるべく短く切り上げてくれるのも申し訳なかった。あたしにもっと友達や先輩後輩でもいれば、せめて対等になれたのに。
 でも、友達がたくさんいる二人があたしの友達で幼馴染というだけで、満足しちゃう自分もいるのだ。
「あたしやっぱ、みぽりん好きだな」
 下心をうんと含んだ突然のあたしの言葉に、みぽりんは心の底から喜んでくれる。
「そうなの、嬉しい。私も、公美ちゃんのこと好きだよ」
 手をつないで、あたしとみぽりんは並んで歩く。喧騒と、熱気。どこかで下駄の音がする。浴衣を着た小さな子供。そっと後ろを向くと、慶太がポケットに手を突っ込んでいる。ほっとしていると、みぽりんに手をひっぱられた。前に視線を戻すと、綿あめの屋台を見つけたらしくて横目であたしと目を合わせるなり、微笑む。走る。人混みの中、みぽりんはするりするりと道を見つけていく。ああ、やっぱりあたし、下心なくっても、このみぽりんが好きだな、と思った。
 前にはみぽりんの細い背中があった。さらに細い、腰。そのままずれた視線は、みぽりんのお尻へ。女の子の体。気付く。
 みぽりんの灰色の七分パンツに、小さくじんわりと黒く染みていた。股間のあたり。まださして目立たないけれど、あたしはアッと思った。今日見た、あの嫌でたまらない、不穏な血の染みだって、すぐにわかった。自分のことでもないのに、一気に体が冷えていく。手の力が抜ける。どうしよう、とあたしは身を縮めた。声をかけたほうが良いのか。
 たぶん、通りすがりの人たちは、みぽりんの下半身なんてじろじろ見てないから気付かない。でも染みが広がったら。でも本人が家に帰ってから気付いた方が良いんじゃ。あたしはわからない。ただでさえ頭の回転が遅いんだから、こんな答えのない状況で完璧に納得できる答えなんて、出せるわけもない。つい、足を止めると、みぽりんが振りかえった。
「どうしたの、公美ちゃん」
「み」
 みぽりん、という声は喧騒にかき消され、みぽりんもまた、慶太の背中で隠れてしまった。あれ、慶太、こんな背が広かっただろうか、なんて、あたしはぼんやりティーシャツに浮き出る慶太の背筋と肩甲骨を見ていた。
 慶太はみぽりんの肩に手を乗せる。あたしとみぽりんの手が、離れる。
「美保子」
「なあに、慶太くん」
 慶太は着ていたジャージを黙ってみぽりんの腰に巻きつけた。みぽりんはまだ不思議そうに首を傾げた。
「ジャージ、暑くなってきたの? 人混み、暑いもんね」
 タンクトップ姿になった慶太は仕方なさそうに、ひそひそと耳打ちをする。その光景に、と鈍感なあたしはまたアッと声を上げそうになった。それこそ、さっき買ったばかりのりんご飴を落とすかと思ったぐらい驚いたのだ。あの距離は、もうただの異性の幼馴染の距離じゃない。二人はいつの間にか、恋人だったのだと。
 慶太の耳打ちが終わると、みぽりんの顔色がさっと変わる。
「……えっ、気付かなかった……。だって、予定、まだ先だったから……」
 みぽりんは頬に手を当てて涙目になるけれど、思い出したようにぱっと顔を上げた。
「でもだめ、これじゃ慶太くんのジャージ、汚れちゃう」
 喧騒まみれの中の、囁き合うような会話だったのに、なぜだかあたしの耳には全部届いている。知らんぷりもできない。
 腰のジャージをほどこうとしたみぽりんの手に、慶太は手を重ねて止めた。
「いいから」
「でも」
 二人の目が合う。慶太はもう一度、見たことないぐらい優しく表情で、言った。
「いいから、美保子」
 ああ、とあたしは自然とため息をつく。まるで映画の観客みたいに、あたしは部外者なのだと悟ってしまった。彼と彼女の物語に、あたしはいらない。でも、でも、仲間に入れてちょうだいよって縋りついている。みっともなくてたまらないのに、まだ祈っている。どうか二人がこちらを向きますように、お願いどうか忘れられていませんように。その祈りが届いたのだか、慶太だけがこちらを向いた。目が合う。
「公美」
 ああ。わかったんだ。
「慶太、みぽりん、ごめん! 今友達見つけたからさー、話行っていい? 大丈夫?」
 あたしは笑顔で、なるべく人混みが多いほうを指差す。その先には誰もいない。あたしの友達で、祭りに行くって言っていた子はいなかった。
 慶太も平静を装って返す。
「おう。悪いけどちょっとさ、こいつ体調悪くなったっぽいから、家まで送ってくるわ」
「え、マジで? みぽりん大丈夫? あたしも送って行こうか?」
「あーお前はいい、いい。友達のほう行ってろって」
「ええーっ? なんか酷くない? や、っていうか早く行かないと見失っちゃうから行くけどさあ」
「そうそう、早く行っとけ」
 なんて、あたしと慶太はわざとらしく言い合う。わかってるでしょう、わかってるだろ。目でそう言い合ってしまった。わかり合ってることを、あたしたちはわかっている。
 みぽりんは、どうやらあたしが気付いていなかったと思ってくれたのか、ほっとした様子を見せた。
「うん、大丈夫。ありがとう、ごめんね、二人とも」
「あたしは全然大丈夫だからさ! じゃ、行ってくるね、みぽりん。慶太に任せちゃってごめん。お大事にね」
「うん、ありがとう。お祭り、楽しんで」
 ジャージを腰に巻いたままのみぽりんに手を振って、あたしは人混みをかきわける。探し人なんていないのに、誰かを探すふりをして、あらぬ方向を走っていく。泣きませんように泣きませんように。その祈りだけは正しく通じたみたいで、あたしは泣かなかった。いつも花火を見る花壇までたどりついて、一人で、唇をかみしめていた。
 ぼんやりしながら買ったイカ焼きやたこ焼きを食べていると、いずれ息を切らせた慶太が帰ってきた。ジャージは着ていない。
「悪い、待たせた」
「ん、や。……みぽりん、大丈夫だった?」
「やっぱ、気付いてたか」
「ん、まあ、慶太と同じぐらいに」
 あたしはまた、自分を守るために、ささやかな嘘をつく。遅刻のときよりもずっと、息苦しい嘘だった。慶太もあたしの隣に座って、やれやれと頭をかく。
「そっか。気付かんふりしてくれて良かった。わりと美保子、気にしてたから。うん、でまあ、体調大丈夫だけど生理って自覚したら、なんか精神的にもあれで、気分悪くなったっぽくて。おばさんに任せた。たぶん、お前にもメール行ってると思うけん」
 ポケットから携帯を出して見れば、たしかにみぽりんからメールが来ていた。ゴメン、というタイトルで、内容も予想がつく。あたしはまた、携帯をポケットに戻した。
「慶太も連絡くれたら、別に戻ってこなくて良かったのに」
「いや、お前も友達見つけてなかったって、わかってたし。あ、美保子は気付いてないから大丈夫。友達いて良かったっつってた」
 そう、良かった、という自分の言葉が、やけに抑揚なくなってしまったのに驚いて、ごまかすみたいに繰り返して言った。
「良かったよ」
「マジごめん、今まで付き合ってたの言わんで」
 改まって、言われてしまった。短いまつ毛を伏せる。
「いや、別に。うん、っていうかなんか、言いたくない気持ちとかわかるし」
「別にお前が嫌いだとか、そういうんじゃないから。嫌いだったらここ来てないし。わりと、みんなに言ってない感じ」
 いつから、とか、じゃあ誰が知ってたの、とか。いつもの図々しいあたしはすっかり黙りこんで、上手く言葉を選べない。うん、うん、って相槌を繰り返すのが精いっぱいだった。周りだけが騒がしく幸せそうに笑っているのに、あたしは上手く笑えない。
 慶太も同じみたいで、とにかく気まずくならないよう、しゃべり続けた。
「……美保子、なんか生理重いって、二人でいるときちょくちょくあって。うち、姉貴いるじゃん。だからまあ、そういうのわかるっていうか。や、意味わかんないなこれ。やっぱなんでもないわ」
 あたしの知らないところで二人はきちんと、恋人としてのことをしているのだ。寂しい、なんて口が裂けても言えやしない。はあ、と息を吐いて、なんでもないみたいな顔をして言う。
「やー、っていうか、もう、うん。あたし誘わなくて良いよ。来年は二人で行きなよ。あ、なんならさ、みぽりんが誘ってきたら用事あるって言って、適当に断るし」
「いや」
 慶太は首を横に振る。
「美保子、お前のこと好きだからさあ。マジ、お前祭りに来ないとかってなったら、普通に悲しむと思うから。来てよ。俺も三人で来ないと、しっくり来ない、ってか。いやまあ、お前がなんか、嫌だったら無理しなくて全然良いんだけど」
「そお、いや、うん。行く、よ。うん。あたしもだって……慶太も、美保子も、好きだし」
「おお、うん。そう、来年、またな。三人で、浴衣でな」
「うん」
 そして沈黙を合図に、鼻の中で何かが伝う。あたしは慶太にばれないよう、そっと鼻をすする。まるで涙を我慢しているみたいで、嫌になる。どこへもいけない血の味が、さみしく喉を通りすぎるだけなのに。

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