// 跳ねて羊

 はっと目を覚ましたときには、羊はもう羊でした。

 羊はもともと、大きな美しい星でした。
 宇宙の片すみで、ひっそり太陽の光を浴びながら、ゆったりと空を泳いでいたのです。
 しかし、あるとき小さなすい星が勢いよくぶつかってきたのが、終わりの合図でした。
 大きな星ははね飛ばされて、ばらばらになってしまいました。

 羊はそれらのことがすぐさま思い返せました。
 白いふわふわとした身軽な体も、青々と育った芝生も、そよそよとどこからか吹く風も、そのときばかりは羊をなぐさめることはできませんでした。
 それでも、その後の羊のささいな悲しみならばなぐさめてくれる、長らくの良い友達になりました。

 羊は神様の声を聞くことができました。
 と言っても、神様が声をかけてくれたのは、たった一度きりでした。
 やはり、目を覚ましてすぐのことです。

「君には、人間のために生きてほしい」

 にんげん。羊は耳慣れない言葉に、首をかしげました。
 そこはさすがの神様で、羊を疑問をさっしたように、すぐさま答えてくれました。

「人間とは、この星よりももっと遠くに住んでいる、たくさんの生き物だ」

 にんげん。羊はあらためて考えました。
 羊は自分以外の生き物を知らなかったので、自分と同じ、白いふわふわの毛並み、かたいひづめ、短いしっぽを思い浮かべました。

「人間は、君が柵を飛び跳ねてくれないと、眠ることができない」

 眠る。

「体を横にして、まぶたをつむり、体を休ませることさ。人間は生きていると、自然とそうしたくなるものだ。そして、君にはいらないことだ」

 たしかに、羊はそんなことをしたいと思ったことは、一度だってありません。
 でもそれは大きな星だったころのこと。
 もしかしたらこの体なら、いつかあるかもしれないな、と思いました。

「さあ、柵をよくお跳び。人間が待っている」

 羊はすぐそこにある、白い柵を見ます。
 柵は小さな小さな星を、半分にするように作られていました。
 それでもさして高さは無くて、おそるおそる足をはねあげると、小さな羊でもちゃんと越えることができました。
 もう神様は、声をかけてはきませんでした。

 それから羊は毎日、毎晩、毎朝、ひまさえあれば柵を跳びこえました。
 遠くのにんげんがよく眠れるように、羊はせっせ、せっせと跳びこえました。
 自分がいるから、にんげんは生きることができるのだ。
 羊の中は大きな星だったころにはない、不思議な気持ちが生まれました。

 羊は、ずっと、ずうっと続けました。
 羊は、ずっと、ずうっと続けました。
 羊は、ずっと、ずうっと続けました。
 羊が眠たくなることは、一度だってありませんでした。

 ある日、大きな生き物が、星にやってきました。
 星を傷つけないようにゆっくりと降りて、つかれたのか大きなため息をして、やがて動かなくなりました。
 羊よりずうっと大きくて、ぴかぴかのつるつるで、一番上がとんがっていて、なんだかとってもおそろしいものに見えます。
 さすがの羊も足を止め、おそるおそるそれに近付きました。
 すると、その生き物が大きく口を開いたではありませんか!
 羊はびっくりして、後ろにごろごろと転がりました。
 胸のあたりが、なんだかすごくどきどきします。

「驚かせてしまったかしら、ごめんなさい」

 小さな生き物がはきだしたのは、なんだかよくわからない、もっと小さな生き物でした。
 背が高くて、手足がすらっとしていて、長くきれいに伸びた黒い毛並み。
 どれもこれも羊からは、かけはなれていました。
 それでもなんだか、羊は気持ちが悪いとは思いませんでした。
 少女は困ったように首をかしげながら、ひとまず、とばかりに口を開きました。

「あたし、人間、人間の女よ、あたし。わかる? こんなところにも羊がいるのね」

 にんげん!
 そのときの羊のおどろきったら、ありません。
 羊はびっくりして、しゃべれないながらも、じいっと少女の目を見つめて、自分の考えていることを伝えようとしました。
 もしかしたら、神様が手伝ってくれたのかもしれません、少女は分かったようにうんうんうなずきました。
 自分はにんげんのために生きていた、そのにんげんと会えてとてもうれしいこと。
 これだけでも伝われば、とても幸せだろうな、と羊は思いました。
 しかし、少女の反応は、あまりよくありません。

「ふうん、羊がいないと眠れないだなんてうそ、誰がついたの? いまどき、誰も羊なんて数えて寝やしないわ」

 羊はまたびっくりしてしまいました。
 けれど、さっきとは違う、落ちついたおどろきでした。
 自分はがっかりしているのだ、と羊は気づいてしまうと、ついしょんぼりしてしまいました。

「ごめんなさい、傷つけてしまったかしら」

 少女はもうしわけなさそうに言うので、羊はひとまず首をふりました。

「相手のことを思いやる羊だなんて」

 少女はしばらくも、もうしわけなさそうにいました。
 羊は自分の気も少女の気もまぎらわせたいと思い、どこから来たのか、どうしてこんなところにひとりで来たのかたずねました。
 人間はたくさんいるのに、どうしてひとりを選ぶのか。
 羊には不思議でたまらなかったのです。
 少女は困ったように首をかしげました。

「そう、人間。人間は、すごくたくさんいる。数え切れないくらい、ここから見える星の数ぐらい」

 にんげんがそんなにたくさんいるとは思わなかった羊は、何度だっておどろきました。

「でもね、同じ人間がたくさんいても、心を通じ合わせられる人がいなかったらね、人間って、けっきょく一人ぼっちなの。それって、すごく、すごくさみしいことよ」

 心を通じ合わせる。
 羊に聞き覚えがない言葉です。
 なにせ、羊は大きな星のころから、羊にいたる今まで、ずっと一人ぼっちだったのですから。
 しかしなんだか、さみしい、という言葉は羊の今までにしっくりくるような気がして、羊はふるふる泣きだしてしまいました。
 少女は泣きだす羊にかまわず、羊の体に腕を巻きつけます。
 やさしい心地で、羊の涙はきゅっと止まってしまいました。

「あなたの毛並み、すごく良いわね。ふわふわして、心地よい。すこしだけ眠らせて。地球を出てから、しばらくずうっと寝てなかったのだけど、これならよく眠れそう」

 羊はもじもじと体をよじります。

「ねえ、私が目を覚ましたら、一緒に旅へ行きましょう」

 羊はびっくりしました。

「やっぱり一人ぼっちはさみしいし、あなたと一緒なら、これからもきっとよく眠れると思う」

 少女は、やさしく言いました。

「どうぞ、考えておいて」

 そして、少女はすやすや眠ってしまいました。
 羊はときおり神様に声をかけたりしましたが、やっぱり神様は返事をしてはくれませんでした。
 ただ、羊は今までの自分のやっていたことを考えます。
 誰かの役に立っているかも知らないで柵を跳びつづけて、けれど結局役に立ってなどいなかったのだ。
 いや、もしかしたら少女のうそかもしれない。
 さみしさのあまり、うそをついて、どうにか旅のなかまをつかまえたいだけなのかもしれない。
 なのに羊は、だれかに教えられたわけでもないのに頭の中で、ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も思いました。

 羊は、背中で眠る少女を起こさないようにしなければなりません。
 それでもほんのすこしだけ、羊は涙で、体をふるわせてしまったのです。

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