// ウーパールーパーをくわえて

「驚いた」
 彼は部屋の片隅のウーパールーパーに、本当に驚いたようだった。いつもは疲れ切った表情しか見せないのに、そのときばかりは妙に瞳を輝かせて飼育ケースに近付いた。
「おれ、学生時代のあだ名がウーパールーパーだったんだよね」
「知ってる、だから飼い始めたの」
「うそ」
「うそよ」
 おい、と言いながらもそんなことはどうでもよさそうに、視線は未だウーパールーパーを追いかけていた。なんとなく、彼がそう呼ばれていた理由が分かる気がした。妙に白い肌、何を考えているのか分からないふたつの瞳、きっと昔は寝癖を付けっぱなしだったのだろう癖っ毛。そう、それにきっと彼が学生時代、ちょうどブームだったこともあるかもしれない。かくいうこのウーパールーパーも、そのブームから未だ火を絶やさない、マニアと呼ぶべきだろう友人から譲ってもらったのだった。彼女が元々育てていたものが生んだ子らしい。飼育セット一式さえももらってしまったのだけど、彼女は豪気に笑うだけだった。
「なあに、ファンを増やす為ならいくらでも。ついでにウーパールーパー自体も繁殖させてくれると嬉しいんだけど」
 わたしはお礼を言って、今度食事を奢ることを約束した。友人はすこし嬉しそうにしたけれど、そのあとすぐに首をかしげた。
「でもあんたが興味持つとは思わなかった、何かきっかけでもあったわけ」
 わたしはその言葉にそっとぎこちなく微笑む。
「ちょっとネットで久しぶりに見てね、興味がわいただけ」
 友人はさして疑問に思わなかったらしく、へえ、とそれきり。何を見たのか問われたら、わたしはきっと嘘をつかねばならなかった。ウーパールーパーを調理する動画よ、なんてとてもじゃないけど言えないから。
 ウーパールーパーはよくぬめる。だから手から上手いこと逃げてゆくのを必死に掴み続けて、まず頭を落とす。力任せでも多少汚いながら、なんとか落ちる。意外と血は出ない。それからもう苦労することはない。名残のように静かに小さく動くだけの身体に、ゆっくりと包丁を入れて丁寧に開く。そして、内臓をすべて除く。まな板に置いたままの頭についた赤いふたつの瞳と時折目が合いながら、適当にぶつ切って、あとは煮るなり焼くなりするだけだ。味は美味しいというけれど、果たして、どうだったか。
 わたしはその夜、夢を見る。逆光で見えない誰からから、さばかれてしまう夢。まず首を落とされて、そこから大人しく自分の体が切り開かれてゆくのを見ているだけだ。赤い血がだくだくとまな板に広がる。それっきりの、夢。さばいているのが誰かは、最後まで分からなかった。わたし自身? 友人? 彼? お母さん? それとも、ウーパールーパー?
「ねえ、知ってる」
 帰り際、声をかけた。玄関で煙草を吸いながら、靴を上手く履けないでいる彼の背中へ。
「ウーパールーパーって、食べれるのよ」
 彼は答えない。もう、いつもの疲れ切った空気だけだ。けれど靴を履き終えると、いつもは挨拶も曖昧に家を出るのに今日はなぜだか振り返った。はっとする。振り返ったこともそうだったし、何より、彼がくわえていた煙草が真っ白く、先が火で赤く点っていたから。ウーパールーパーに見えた、なんて言ったら、彼はどんな顔をするだろう。わたしは目が悪いことを初めて死ぬほど恨みながら尋ねた。
「どうしたの」
 いや、と彼は首をひねって微笑んだ。
「君も、ウーパールーパーによく似ている気がして」
 彼がそう言って帰ってしまうから、わたしはひとり泣くしかないのだ。

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