形状記憶少女

// つたなる母親よ

 つる子のことは、漢字にするなら鶴子だろうな、と大学に入学してからずっと勝手に思っていた。しかしつる子の父親が植物学者で、母親が植物であることを聞いて、どうやら蔓のほうらしいということに気付いたのは、つい最近のことだった。
「でもまあ、いおらの言うことは間違ってはいないよ」
 つる子の黒髪はあんまりに綺麗すぎるから、どちらかというと深い緑のように見えた。その髪の束を手櫛で梳かすのがつる子の癖だった。
「どういうことなの」
「お母さんには、この子は鶴のように白い肌の子だ、だから鶴子だー、って言ったらしいの。お母さん、母親が植物であることが私にもお父さんにとってもネックだと思っているらしいからさ。でもお父さんはすーごいお母さんのことが好きなの。だからそっと付けたわけ。お父さんかお母さん、どっちか死ぬときに私かお父さんが、きっとネタバラシするよ」
 つる子は手櫛をやめて、指に髪を巻きつけた。つる子の猫毛がまた絡まってくるのを見て、また手櫛を始める。
 つる子の母親とは会ったことはなかったが、見たことは二度ある。一度目は植物図鑑。つる子のお母さんが見たい、と私が駄々をこねたのだけど、その時つる子はちょうど母親の写真を携帯に入れていなかったから困って、図書室へ私を招いた。それから図鑑を開いて、指差した。これがお母さん、と。カニクサ、Lygodium japonicum (Thumb.) Sw.と書かれたつる子の母親は、鳥の羽の様な形ともみの木のような、しかしあれより一回り大きく黄緑色の葉を持ち合わせていた。綺麗だね、というと、つる子は複雑な顔を見せた。
「いや、言うてもこれお母さんじゃないんだけどね。なんていうか、うーん、歴代首相の写真見せて、これお父さん、って言ってる気分。超適当。お母さんはなんかもっと……違うんだ」
 うまく言えないらしいつる子は、苦い顔で、次は写メ撮ってくるよ、と約束してくれた。でもお母さんは写メが苦手だし、お父さんもお母さんの嫌がることをするなと怒るのだという。元はと言えば、未だ世間が植物の人権を認めていないから、なかなかこういったちょっとしたことも難しいらしい。
「でもお母さんもいおらのこと好きみたいだし、きっと許してくれるよ。だから頑張って撮ってくるね」
 つる子はにっこり笑った。それから約束通り写メを見せてくれたのが、二度目のこと。一面つる子の母親が映った写メをメールで送ってきてくれた。あの植物図鑑より、一層鮮やかに見えた。
 しかしその写メもお母さんに見つかってお父さんに消されたというし、様々に厳しいらしいつる子の家庭を考えて、三度目はないかな、と思っていた頃、つる子が嬉しそうに私を家に誘った。
「お父さんが、泊まりにおいでって。こんなこと言うの、珍しいのよ。お母さんも驚いちゃって」
 私は驚いて行きたがったけれど、よく考えると母親とは一方的に三度目の顔合わせだけれど、父親とは初めてだったことに気付く。つる子に聞いてみるが、やはり写メはないらしい。
「ま、当日までのお楽しみ、ってことで」
 つる子の家は、さほど遠くはなかった。しかし近くもない。ただ、コンビニだとか駅だとかといったところからは妙に離れた場所にあるし、人気もなかった。父親の仕事の関係で、大きな庭があるというから、きっとそのためでもあるのだと思う。だから探すのは難しくなかった。そもそも、母親が家にからみついていたのが何よりの目印だったのだ。
 私はチャイムを押す。音割れした響きのしばらく後、扉を開いたのはつる子ではなかった。
「初めまして、今夜泊まらせていただきます、つる子さんの友達のいおらです」
「ああ、どうも、つる子の父親です」
 つる子の父親は、皺のついた白衣を着て白髪と疲れた表情も相まって、ほとんど老人の様だった。
「どうぞ」
「あのう、つる子さんは」
「……母親のところです。もうしばらくしたら、戻ってきます、きっと」
 ああ、と相槌を打つ。なんとなく、私と父親の間にはしらけた雰囲気があった。それから、沈黙した。
「……すみません」
 リビングまで案内される間、父親が背中のまま謝罪を口にした。
「何のことですか」
 そのときさえも、しらけた雰囲気は続いていた。
「……娘の茶番に、付き合わせてしまって」
 ちょうどリビングのソファに座るよううながされたところだったので、ついでに私はテーブルにこぶしを落とした。鈍い音がして、父親の肩が揺れた。
「どうして茶番なんて言うんですか。つる子は信じ切っているのに」
「信じ切っていたほうが、第三者としてはなおのこと茶番でしょう」
「あなたは第三者なんかじゃない!」
「そうです、私は第三者じゃない。しかしあなたはそうだ」
「私は、私だって、話に乗った時点で、いえ、この家にいたらもはや、みんな同じこと」
 つる子の家に訪れる前、すこし近所の家を周ってみた。そうして話を聞くと、皆眉をしかめて答えた。ああ、あの家の子、かわいそうに、母親がいなくなってから気をおかしくさせてしまって、父親がしっかりしていないから……。私はそれらの話に、ありがとうございます、と答えた。なぜ礼を言わねばならないのか、自分で分からなかった。友人を馬鹿にされているのに! だ。
「つる子はこのままじゃあ、普通の人生を送れません。もしこの先、恋人ができたらどうするんです。いいえ、好きな人でもいい」
「つる子が途中できっと、あなたのように母親が植物と言い出すでしょう。それを知ってからだって……」
「そうじゃありません!」
 ほとんど悲鳴のように、私は叫んだ。父親は、ぐっと薄い唇を噛み締める。
「つる子は……本当はもう、好きな人がいます、きっと、私にもまだ言ってませんが」
「それが」
「それは……大学の隅で生えた、カニクサです。お母さんと一緒の、あの」
 父親が息を呑む。その一瞬で、私は幾度もつる子の横顔を思い出す。あのカニクサに、初恋の少女の顔で視線を送る、あの顔を……。
 それからつる子が来て、一緒に夕食を作って、三人でお酒を飲んだ。私が買ってきたうんと安いお酒と、つる子が好きな少し高いワインと、父親のとっておきのウイスキーだった。お酒に強いはずのつる子も顔を真っ赤に染めていた。ただその背中はいつだって寒くて、誰かがトイレに立つだけで、世界が終るみたいに泣き果てるから、誰もがトイレを我慢して、でもそれがなんだか面白いから笑い転げた。
 朝になると、庭ではつる子と父親が死んでいた。母親が凶器らしかった。つる子の首に掛ったツタが少しちぎれているのと、爪の先が緑であるのからすると、父親が絞めたのだろうか。それから、父親は一人で母親を首に巻きつけ、死んだのだろうか。私は考えるのをやめて、警察に連絡して、ふっと湧いた涙をこらえながら玄関の階段に座りこんだ。それはまるで鍵をなくした子どものように、母親の帰りを待つ、子どものように……。

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