// 大いなる魔女の子

 大いなる魔女が死期を悟り子どもを作り始めたのは、つい昨日のことだった。
 何でもいい。望む年齢の子どもの体重分だけ動物の肉を集める。そのとき、動物の毛が一本たりとも付いていてはならない。そうした不純物が多いほど出来あがったものは人間からかけ離れるからだ。それから本当は年齢関係なしに人間の心臓か脳があれば随分簡単にできるのだが、大いなる魔女にそんなものは必要なかった。呪文が刻まれた銀製の宝箱に自らの便混じりの土を詰め、肋骨を一本と先程の動物の肉をその中に埋めた。銀製の宝箱は子どもが生成されているうち、魔が忍び込まないことに最適だった。便は血液一滴に成代われたが、あんまり似すぎた子どもが生まれるのを嫌がった大いなる魔女はこれを選んだのだった。しかし人間と言う形には近付くよう肋骨も入れておいて、これは大いなる魔女が住む森奥深くに迷い込んだ人間が朽ち果てた死体から取り出したものだ。後はいくらか呪文を唱え、札を張る。弱い呪文が書かれた札だったのだが、これさえ破れず生まれることができない子どもはすぐに死んでしまうのは魔法を習わぬ人間たちでさえ知っていた。そして銀製の宝箱に布をかけ、よく日の当たる窓際に置く。子どもが生まれるまでに三月から半年ほど掛った。
 大いなる魔女は長く生き過ぎたせいで時間に対してはとんと無頓着であったのだが、その間はしばらく人間じみた真似をしてみた。なんとなく一つのものしか食べず、ときおり吐いてみて、家から出ずにじっとした。腹に詰め物入れて日に日に増やしていったりもした。妊婦は皆こんな気分なのだろうか、大いなる魔女には分からないまま続けていた。
 そもそも大いなる魔女もはるか昔には何の変哲もない小娘であったのだが、その頃から子どもを産むことがままならなかった。誰しもを魅了する美しさを持ちながら身体が大変に弱かったのだ。それを心配した夫や両親によって手掛けられた魔術のおかげで病気などはかからなくなったが、また年を取ることもなくなった。魔術とは、良くも悪くも呪いだ。両親が死んでも、夫が働けなくなるほどの年齢となっても、大いなる魔女はほとんど小娘のままでい続けた。しかし子どもは宿らず、宿ったところで化け物扱いをされるのは目に見えていた。大いなる魔女はそれから夫が死ぬまで外に出ず、葬式を終えてすぐ旅に出た。この呪いを解く魔術を探しに行くためだ。夫は最後まで優しくあった。だからなおのことつらかった。他の人間は厳しくあり続け、大いなる魔女は蔑まれ続けた。その間も大いなる魔女は多くの魔術を取り入れた。何が役に立つかわからぬ。ただそれは、なおのこと大いなる魔女を人間離れさせるというジレンマを抱えていた。それでもただの人間に戻るためには、大いなる魔女はそうしなければならなかった。しかしその容姿ゆえ魅入られる者が多く、また大いなる魔女もまだ年を取らぬ小娘でしかなかったため、亡くなった夫に似た優しい人に会うとつい心惹かれてしまった。それも長くは続くこともなく、年を取らぬを知られれば相手もろとも殺された。しかし大いなる魔女は決して抵抗せず、どのような拷問を受けても死に至ることはなかった。相手が死んだところで、大いなる魔女は次にまばたきをしたときにはもう、村を丸ごと燃やしていた。そういったことが幾度かあって大いなる魔女がらしく有名になった頃、ようやく森にこもることを決めたのだ。
 森は今まで大いなる魔女が燃やしつくした村たちをかき集めてもなお広く、道らしい道もないところだった。周囲は鬱蒼を茂っているため人々はなかなか足を踏み入れないのが幸いで、ついで大いなる魔女は家を建てる森の中央に人が来ないよう、人避けの魔術を使った。森の中央は不思議と拓けていて、青青しい緑が満ち透き通った湖が静かに佇んでいた。時折小動物たちか風が木たちをさざめかせる。大いなる魔女は深く深呼吸して、少し涙した。なぜか分からなかった。しかし少なからずの自分の人間らしい一面であるような気がした。それから魔術を知る限り使って、元あった一番に大きい樹木の中に家を作った。そうして、何百年と経ったか、大いなる魔女は興味がない。 久しぶりに数え始めたのは子どもを仕込んでからで百五十二日目、その日とうとう子どもが生まれた。朝方、大いなる魔女が具のないスープを飲んでいると窓際の宝箱がばたばた五月蝿くし始めた。そこで手助けをしては元も子もないから、大いなる魔女は見守る。何もできない人間ぶる。それは夜まで続いて月が湖の真ん中に映る頃、ようやく子どもは生まれた。十を過ぎた頃かという子どもは、どことなく大いなる魔女に似ていた。みっしりと宝箱に詰まっていたらしい。身体には余った土と跡がついていて、少し痛々しかった。
 大いなる魔女は手招きをする。窓際から降りた子どもは胸元に寄り添う。男か女か、判断する術などなかった。元はといえば便混じりの土であり、肋骨なのだ。まだ生まれたばかりだから下手に扱うと崩れかねない。それでも大いなる魔女は子どもを抱きたかった。土臭い、便臭い、人間離れをしたその子供を。大いなる魔女は森に来た時以来からまた涙した。
 大いなる魔女は子育てを勿論したことがなかった。していたところで、この子どもにそれが通用していたわけがない。子どもは裸で生活し、小動物と遊んだ。食べ物は大いなる魔女が作ったものがあったのだが、土や生きた小動物を特に好んだ。人間ではあるが元が儀式より生まれた子どもだったため、人間らしさを求めなければ気にする事柄ではなかった。しかし大いなる魔女は、子どもを人間らしく育てたかったのだ。魔術を使えば成せることも決して使わず、教えなかった。それが功を奏したか否か、子どもは土や小動物を食べることがなくなった。あるいは身体が人間というものに馴染んだか、スープやパンを美味しく感じられるようになったらしかった。大いなる魔女はそれに喜んだ。物を食べることは血を作ること、血を作るのは自らの元になること、そしてその血は死ぬまで、永遠に巡ること。すべてが元になることを大いなる魔女はよく語った。
 子どもがやがて大きくなった頃、魔女はとうとう死にかけていた。永遠に寿命があるものなどないのだ。小動物たちも嘆き悲しみ、人間らしく育った子どもは殊更つらそうだった。子どもは大いなる魔女によく似た、美しい娘に育っていた。
「お母さん、苦しい? 痛み止めのお薬を飲む? わたし、本で調べて調合したのよ」
 そう言う子どもに大いなる魔女は喜んだが、その喜びを表現できぬほどに弱り切っていた。大いなる魔女はただ首を振る。もういっそ早く殺してほしかった。子どもがこれだけ立派に育ったのだから、悔いはなかった。大いなる魔女は子どもの頬を撫で、礼を言って亡くなった。

 子どもは目を覚ます。ゆっくりを身体を起こして、まず鏡を見る。そして外へ出て、いつもの小動物たちを見る。少し泣く。そしてまた部屋に戻った。大いなる魔女の死体があるはずのベッドへ。そこに魔女の死体はなかったがただ白いはずのシーツは真っ赤に染まり、その上に骨だけが残っていた。
「ああ」
 子どもは人間らしく育った。ゆえに小動物を生きたまま食べることを好かぬ大いなる魔女から隠れて続けていた。内臓から何から何まで食べ、骨は湖に沈めた。叱られたくないが故の行為は、あまりに人間らしかった。しかしそのストッパーであった大いなる魔女が亡くなった今、子どもはどうなるだろうか。
 子どもは食べた。死にたての、大いなる魔女の死体を。子どもは元より人間でなかった。大いなる魔女の便混じりの土から出来あがったのだ。それがあまりに強力な大いなる魔女の血に抵抗できるはずがなかった。血は時間をかけて子どもの身体を巡る。子どもの不安定だった血の記憶は、大いなる魔女の血の記憶に支配される。
「ああ」
 しかしその記憶は長らく生きれば、消え失せる。すると大いなる魔女はまた繰り返す。自らの便混じりの土と、自らの肋骨を混ぜる。そうして子どもを作り、子どもは人間らしくありながら人間でないから死体を食らう。そうして記憶はいつまで引き継がれるのだ。たしかにひとつの死は訪れたが、果たして本当の死なのだろうか。死とは何なのだろうか。これをいくら考えても後悔してもいつか忘れてしまうのだ。繰り返される。
「ああ」
 大いなる魔女は涙した。

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