形状記憶少女

// 言葉、そしゃく

「ゆりこ、ニュース見たか」
「見てない」
「このゆとりが! まったく、まあいい。教えてやろう」
「どうぞご勝手に教えて下さいまし」
「うむうむ。実はな、どうやら言葉を食らうウイルスが世界中に蔓延しているそうだ」
 そう言ったようへいは、人差指をしいと唇に当てた。果たしてその動作が何と意味をするのか、私にはさっぱりわからないでいた。そのようへいの言葉自体も実のところわかってなくて、言葉を食らうウイルスってことで、お口チャック→お静かにってことでしいってことなのだろうか。それともウイルスに感染しないようにお口チャック→人差指でしい、かもしれない。いずれにしろわたしはようへいが馬鹿にしたようにゆとりなので、さっぱりわからないのだった。
「ようへいさん、詳しく教えてたもうことなかれ」
「うむ、いいだろう! だけどなゆりこ、勢いで言葉を発するのはよくないぞ。それだと教えなくていいってことだからな! 俺の空気読解力が人一倍あるおかげで、今現在の会話は成立している! そのことをよく心得ておくんだな!」
 わたしの頷きあんどいつも通りの説教のち、ようへいは腕を組み、説明しようッ! と胸を張った。
 そのウイルスは正式名称はゆとりのわたしでも分かる程度に簡単な名前でワード・イット・ウイルス、通称WEVというらしかった。ようへいの言うとおり、本当に言葉を食らってしまうウイルスらしい。どうやって言葉を食らうのかわからないが、ウイルスにかかった者は言葉を少しずつ忘れていくのだそうだ。そのウイルスはどう感染するのかもどうやって言葉を忘れさせていくのかも、さまざまな憶測が飛び交うもののはっきりとした原因はわからない。ただ最後には何もしゃべれなくなる。あ、だとか、い、だとか、う、だとか、え、だとか、お、なども。一文字も発音できなくなるのだ。というか、書くことも何もできなくなるとかいう、うわさ。
「ううむ、ようへいや」
「なんだゆりこ」
「あ、だとか、い、だとか、う、だとか、え、だとか、お、などは……言葉なのかねえ」
 うむ、とようへい満足げ。どうもこの質問がお気に召したらしい。
「例えばだな、おれがものすごく良いことを言って、ゆりこが一声あげたとする。まあ、おっ、みたいな、そんなところだな!」
「うむうむ」
「そこで既に、簡素ながらもコミュニケーションはできあがっているだろう。言葉はコミュニケーションだ。つまり一文字でも発せられたら、言葉として成り立ってしまう。ゆえにウイルスは、一文字残さず食べつくしてしまうんじゃないだろうか、と、おれは考えている!」
「素人専門家、ようへいさんのよく考えられた浅はかな考えでしたか」
「うむ、そういうことだな! しかしゆりこ、素人専門というと、ちょっといかがわしいからやめなさい! せめてただの素人なら許すから!」
 ようへいはいつだって必死である。
 わたしは想像する。言葉を失うようへいを。わたしを。ようへいはいつだって口をせわしなく動かしていた。それができなくなったようへいは、私の瞳をただじっと見て、口をぱくり、ぱくりと動かしていた。その口から察するに、本当にただ動かしているだけで、意味をなしてはいないようだった。たぶん頭の中ではめまぐるしく言葉がかけめぐっているだろうに、それをどうしたってなんにもできないのだろう。ようへいは泣きだす。ようへいは鼻をすする音だけ、はっきりと空気を震わせる。わたしはそんなようへいを慰める。そっと頭を撫でて、頬を撫でて、涙を拭いて。そして最後に、私は言葉にしようとする。
「わたし、ようへいのことが」
「ん、なんだゆりこ」
「……忘れちゃった」
 目の前のようへいは、饒舌だ。わたしの慰めはいらない。わたしはむりやり微笑んで、わざとらしく舌を出す。
「わたしも、きっと言葉を食べられたのね」
 そのまま舌を噛んで死んでしまいたい気持ちで。だから言葉にできないの、と言いわけがましく。

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