// その小指の指輪

「入らない」
「やっぱりだめかぁ」
 薬指の途中で止まった指輪が、悲しくさびついていた。プラスチックの宝石は幸い汚れてはいないものの、傷つきすぎてすこし汚い。夏の太陽にぎらぎら照らされて、まぶしく光ってる。
 私はそのとき、ようやくまじまじとその指輪を眺めた。
「あ、これ覚えてる」
「え、まじで」
 彼がどっきりしたような顔で見てくる。この指輪を持ってきた張本人、幼馴染だ。指輪は彼の妹のものでもなく、もともと私のものというわけでもない。彼がタイムカプセルに入ってたから持ってきた、と縁側で昼寝をしていた私の腹に落としたのだ。あるならはめてみたい。穴があったら入りたい的に、はめてみたところで。まあ、タイムカプセルに入っていただけあるわけで、入らなかったわけだけど。……ややこしい。
 指から指輪を抜いて、握った。やはりその感触も小さかった。
「うん、あれだよね。近くの駄菓子屋さんで売ってた二百円ぐらいの指輪。私たちが小学生のころ、ちょっと流行ったやつ……だったっけ」
「そうそう。忘れっぽいお前がよく覚えてたなぁ」
「本当。なんで覚えてたんだろう」
 たしか、高学年の女の子の間で流行っていた。私はそのとき、まだ二年生ぐらいだったから羨ましいな、と見ていただけだ。なんとなく高学年の女の子しか買っちゃだめ、みたいな風潮があったから、そのころは学年が上がるのが楽しみだったものだ。けれど気がつくとブームは廃れて、駄菓子屋さんもつぶれて、指輪をすっかり忘れて高校生になってしまった。そして今になって思い出しても、小さくてはめられない。ああ、これは本当に高学年の女の子だけのものだったんだなぁ、なんて感傷に浸ってしまう。きっと私より指の細い友達とかならはめられるのだろうけど、それはまたちょっと違う。あの頃のむやみなあこがれが解消されるわけじゃない。複雑な女心は小さいころかあるものなんだな、と冷静に考えていた。
「それで、なんでこれを私に持ってきたの?」
「ふっと思い出したから」
「何を?」
 う、と答えに詰まる。すこし迷ってから、仕方なく口を開いた。
「その指輪を買ったころ」
「え、これ買ったのって本当に」
「俺。うん、それで、お前にプロポーズしようと思っていた、と思う」
 たぶん、よく覚えてないけど、なんてごまかすように続ける。そういう告白に関しては別に驚いていなかった。別に付き合っていたわけとかではないけれど、ただ小さいころから家族ぐるみのお付き合いを続けて「私たちもいつかお父さんお母さんみたいになるんだろうね」という予感に生きていたのだ。それがそのまま大きくなってもスライドしただけだから、あんまりびっくりしていないだけだった。たぶん彼も同じ感覚で、そんな小さい頃にプロポーズしようとしていた、という事実が恥ずかしいだけだと思う。  そして私もさらに思い出す。たしか指輪が流行った頃、同時にドラマでプロポーズシーンが子供の間どころか世間で流行っていたはずだ。いわゆる三カ月分の給料云々、ってやつで。私は見てなかったけれど、周りの子たちがきゃっきゃと真似したりしていたのは覚えている。そしてそのプロポーズがたしか。
「この指輪がはまったら、結婚してくれ」
「……すっかり覚えてんじゃねえかよ」
 黒歴史だ、とげっそり言う。その黒歴史を晒せるあなたもなかなかの黒歴史、なんて言うとさらにげっそりされた。がっくりうなだれて、ぼやき始めた。
「あーあ、もうやだ。俺、この指輪がはまるころのお前にタイムトリップして会ってくる」
「いいじゃない、もう。早くプロポーズしてくれれば受けるのに。それとも指輪がはまる頃のロリい私がいいの?」
「じゃあ結婚してください」
「はい」
 これもこれで黒歴史だよなー、なんて囁かれた。いい黒歴史ですよ、と返すと、黒歴史に良いも悪いもあるか、と経験者らしい重いコメントが寄せられた。私は思わず笑ってしまう。
 そしてまた、指輪をぎらぎら太陽に照らした。冗談半分に指輪をそのまま、小指に滑らせる。
「あ」
 二人の声が重なった。指輪は小指にしっかりはまっていた。ちりーん、なんて運命的にも風鈴が鳴ったりしちゃったり。

( 100202 ) 戻る 
inserted by FC2 system