// 通じてるように

 黒電話の重い受話器を肩と頭で挟んで、会話は続けられる。コーヒーが注がれるたび、匂いと白いけむりが立った。
「はい、問題。世界があらゆる通信を禁止してから何年目?」
「六十二年目」
「正解。じゃあ私たちがこうして通信機を見つけて使い始めたのは何年目?」
「十六年と百五十四日」
「さすがなんでも帳」
 笑う。彼は淡々と「懐かしいあだ名だ」と言うだけだった。
 そう、私たちが生まれるずっと前から、もう電話だとかパソコンだとか携帯だとかはすべてなくなっていた。簡単な理由から難しい理由まで、小さな原因から大きな原因まで。いろんなことがあって、そしてなくなったのだと先生は言う。そんな便利なものがあったことを教えてくれなくていいのに、と私たち生徒は囁き合う。あったことを知らなきゃ、羨むことすらしなかったのに。
 ただ、彼は羨むことよりも調べることに熱中していた。昔からなんでも帳と言われるほど、なんでも調べてなんでも知っていた。大人よりも知識を大量に持っていた気がする。そのなんでも帳であった彼が言うに、教科書にすら写真なども載っていなかったのに、彼の祖父の家の古い本には沢山載っているらしい。幼馴染の縁で、埃かぶった書庫に入れてもらい、それらの本を一緒に見たのは、セピア色に、鮮明だ。
「これは何? 字が読めない」
「けい、たい。携帯電話だ」
「こんなに小さなものが電話っていうの? 信じられない」
「電話以外にもいろいろ機能があるらしいけど。ああ、そう、電話がね、おじいちゃん持っていた」
 嘘、本当。短いやりとりのあと、彼が下の棚からつるりと黒く光るものを出した。これが電話だというのだろうか。でも、先生の言う機能化が進み軽量化が……などという説明とはしっくりこない、重厚感たっぷりのものだった。
「これが、電話?」
「そう、黒電話。古くてもう使ってないから、ずうーっとここに仕舞っておいたんだって」
 だから回収騒ぎにも巻き込まれなかったという。たぶん正式でないオークションなどにかければ、大変な値段になるだろう。たとえ世界が禁止しても、ひっそり愛したり大事にしたり自慢したりする人がいるのだ。現に今だ、ニュースで通信機の売買が摘発されましたなんてものが絶えない。
 私は興奮して、べたべた触る。
「貸して。うわ、すごい。なんか、重い。冷たい。ここを、くるくる回して電話番号……だっけ」
「そう」
「電話番号を回して、繋がるのね。不思議。本当に魔法みたいなのね」
 じーごろ、じーごろ。優しい響きが私をくすぐる。受話器をおもむろに耳に当ててみたりもしてみて、それがむやみに楽しかった。
「あげようか」
 そんな私に、彼はやっぱり淡々と言う。私は驚くのだけど、彼は押しつける。
「あげる。いや、怖いからじゃないよ。ただ、これは君の所にあったほうがいい。どうせ通信機といってももうひとつ、通信機がないとしゃべれないし、そもそも繋げてくれる会社も何もないしね。僕は調べれば、それで満足だし」
 ありがとう、とお礼を言う前に、しい、と彼は人差し指を口に当てる。ただし、約束がある、と声をひそめて。私も同じく声を小さくしてたずねた。
「何?」
「親にも、僕以外の友達にも、誰にも言わないこと。見せないこと。でないと捕まってしまうよ。君はもちろん、あげた僕も、回収に協力しなかったおじいちゃんも、保護者であるおじさんもおばさんも」
 そう、通信機保持は重大な罪なのだ。たとえ子供でも容赦ない。そしてその周囲の人々すらも。帰り、私は何重にも電話を包んで、ランドセルに入れた。すれ違う人たちに胸を高鳴らせて、家に帰った。
「あれがもう、十六年も経つのね」
「まさかまだ捕まらないなんてね。うっかりな君だから、いつか捕まってしまうと思っていたのに」
 彼は冗談をいう時ですら、淡々としている。そうね、私もそう思うの、と言う。やはり彼はまだ知らない。やはり、やはり、やはり。肝心な本文を言えないで、私の頭に繰り返される。
「ねえ、知ってる」
 黒電話をもらったときと同じように、私は胸を高鳴らせている。うっかりその勢いで涙がこぼれそうなほどに。深呼吸。
「何を?」
「通信機、また、復活しそうなのよ。そうやってまた、世界が取り決めたの」
「そうなんだ」
「世界中騒がれているのよ。あなた、よっぽど辺境地にいるのね」
「まあ、僕だからね」
 時計を見る。かちこち、短針と長針が十二時で重なりそうだった。もうすぐ、新年を迎える。その瞬間、通信規制法はすべて解放される。
「ねえ、また、電話できるかしら」
「たぶん」
「会えるかしら」
「それは……わからない。ただ、ひとつ」
「何?」
 時計は、ちくたく、迷うことなく十二時へ。そして彼も迷うことなく、言うのだ。
「よいお年を」
「……ええ、よいお年を」
 切られる電話。プーッ、プーッ、という音は何度聞いても胸が痛いのはなぜだろう。私も受話器を置いて、十二時を迎えた。ひとりで、黒電話とコーヒーと一緒に。
 その黒電話の繋がっていない回線は、たぶん、今の私と同じなのだろう。私は彼と別れてから、涙をそっと流すのがだいぶ上手くなった。

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