// 公衆電話にて、彼女

 公衆電話には老婦人がおり、その隣のベンチには若い女性が座っていた。電車が人身事故で止まったため、友人に遅れる連絡ついで無駄話でもしようと思ったのだが意外と並んでいた。そもそもがあまり人のいない駅で、普段は公衆電話があったことすら忘れるほどだ。こうなったからには仕方がない、と思いベンチの端に腰かけた。どうせどこにいたって暇なのは変わりない。そう思っていると、隣の女性がそっとこちらを向いてきた。不器用な笑顔を見せられる。
「あなたも、携帯ないんですか?」
「あ、ええ。家に置いてきてしまって」
「そうですか。私はそもそも持ってないんです」
 えっ、とつぶやく。まず同じ公衆電話待ちであることに驚き、次に携帯を持っていないことに驚いた。それが顔に出たのか、少し面白そうな顔で珍しいでしょう、と囁かれた。なんと返せばいいのかわからなかったので、そうですねえ、などと当たり障りのない相槌を打った。
 彼女は構わず会話を続けた。
「直接会って話したかったんですけど、これであんまり遅れるのも嫌だから電話しようと思ったんです」
「何かいいことでもあったんですか?」
「ええ、妊娠してたんです」
 また驚かされた。自分とそう大差ない年齢だろうに、と。つい彼女の腹部を見てしまうが、妊娠しているとはとてもわからない細さだった。優しく撫で続ける彼女の手から目を離して言う。
「おめでとございます」
「ありがとうございます。彼もそう言ってくれるといいんですけど」
「彼氏さん、は年上の人で?」
「いえ、同い年です」
「それじゃあ、難しいですね」
 言い切る前に自分の発言の愚かさに気付き、はてどうするかと考えたまま、沈黙した。彼女も顔をうつむけ、黙っている。カバーしようのない失言だった。たとえこの暇つぶしの時間の間だけの関係といえど。
 冷汗が流れ始めたころに、ふっと彼女がつぶやいた。
「そうですね」
 いたって冷静な納得した口ぶりだ。彼女は瞬間言葉に迷いながらも、続けた。
「だから、電話にしたのかもしれません。会うのが怖いのかもしれません。私、臆病ですから」
 彼女の横顔を見る。前を向いて、遠い目をしていた。その顔は既に、母親だったと思う。
 老婦人がようやく受話器を置いた。彼女はこちらを見ずに公衆電話に飛びつくと同時に、電車復旧のアナウンスが流れる。ベンチから離れる時、彼女の顔を覗こうか迷ったが、それはやめておいた。電車に間に合わなくなってしまうかもしれないし、何より結末を知りたくなかった。ただ彼女が嬉しそうにしゃべる姿が脳裏にはっきりとよぎったのだ。

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