// お化け屋敷より

 もう時代遅れなんだよ、と自虐的に笑った仲間を思い出す。たしかあいつはメリーゴーランドのスタッフをやっていて、その頃からメリーゴーランドが動いてる姿をあまり見なくなっていた。メリーゴーランドが市からの言い渡しで使用禁止になった頃には、そいつは既にやめていた。これを思い出すと、いつもなぜだか煙草が吸いたくなった。まだ若い頃に吸っていた、安っぽい奴だ。でも禁煙中なのをふっと思い出して、飴を口に含んでごまかすことにする。ごろごろと舌で転がす飴の感触は、安っぽい煙草を吸っていた時期よりずっと幼い頃を思い出させた。
 あの日もそうして飴を舐めていた。がたついたお化け屋敷の中で、柳の木の下にひっそりと身を隠して。隙間風がひゅうひゅう入り込むくせに中は熱がこもっていて、かぶっているマスクは息苦しかった。動くと尚暑苦しいのだけど、しかし活動時間は待ち時間よりずっと短いのでなんとか老体も持ち応えられていた。
 空き時間が長いと、無駄なことを思う時間も自然と増えてくる。なぜお化け屋敷という昔ながらの、ひゅうどろどろとしたアトラクションでありながら、おれがかぶっているマスクはゾンビなのだろうか、だとか。もう三十年もここに身を潜めては驚かしていたが、経営者が流行に乗りやすい性質のせいだとすぐに思いついた。一時は本格的に落ち武者の格好で血ノリだらけの特殊メイクをしていたときもあったし、人手が足りず女の格好をして一枚二枚と皿を数えたときもあった。経営者が調子に乗って、白い仮面をつけてチェーンソーを振り回し客を追いかけるという案が出されたときは、さすがにみんなで食い止めた。しかし……今では食い止めたメンバーも、経営者もいなくなった。ただの回想だというのに、やけに胸を痛くさせていた。
 そのとき、ようやく客が入ってきた。長い間この仕事をやってきたため、足音で多少どんな客か分かるようになった。今回の客は小さな子供とその親のようだ。たぶんこの仕事以外に役に立つ機会はないだろうと思う。遠くできゃあと小さな叫び声が聞こえた。やはり子供だ。それも女の子。唯一お化け屋敷を素直に驚いてくれる子だ。親がいるならフォローもきく。一番やりがいのある客に違いない。悲鳴がまたいくらか聞こえたところで、足音が近づいてきた。
 一歩、二歩、三歩……いまだ。思い切り飛び出して、適当な叫び声を思いっきりあげる。
「うわああああああああああ!」
「きゃああああああああ!」
 少女の叫び声。マスクでよく見えないが、きっと怖がってくれているだろう。満足げにしていると、そのまま少女はぱたりと倒れてしまった。父親らしい人間が慌てる。
「のぞみ! のぞみ!」
 マスクを慌てて外すと、顔色が蒼白になった少女が倒れていた。まだ小学校低学年ぐらいの、小さな子だった。父親は文句を言いたげにこちらをきっと見た後、携帯を取り出し救急車を呼ぶ。騒ぎを聞きつけたスタッフが駆け寄ってきたり、客がそんなところに遭遇したりして、お化け屋敷は騒然とした。わたしは唖然とした。
 その後のことをまとめると、一言でいえば酷かった。少女は身体が弱い子だったけれど怖いもの好きで、父親が連れ添うというのを条件に仕方なく入って、そして想像以上に驚いて心臓麻痺による死亡。AEDも意味を成さなかった。テレビでは専門家がいかにもな顔つきでしゃべっていた。
「身体が弱いと知りながら、お化け屋敷に入っていくという親は信じられませんね。ええ、ですからこれは不幸な事故です。一応注意書きもあったそうですからね、心臓の弱い方はご遠慮くださいとね。しかし、こんな整備もされていない遊園地を残しておくのはね、いささか危険だと思ういますね、ええ。今後このようなことがないためにも、遊園地側はしっかりとした対処を――」
 わたしは他の見解は知らないが、これはまったくまともなほうだそうだ。明らかにわたしが悪いと叫ぶ人間のほうが圧倒的だと聞いた。どうでもよかった。その子の両親に訴えられたりもしたが、注意書きのため有罪になることはなかった。しかし殺人者でなくなったというわけではない。やはり、どうでもよかった。
 無論それで家庭が守られるはずがない。妻の近所からの目、娘の同級生からの目、どちらもどうしようもなかった。わたしにはどちらも守れるほどの力はなかった。だから、離婚することになった。わたしに言えることは何もない。
 妻に離婚の旨を伝えられたらしい娘の繭は、軽い足取りでわたしに近づいてきた。一瞬殺してしまった少女とかぶり、胸が死にそうなほど跳ねた。しかし娘は無論露知らず、首をかしげてわたしに問う。
「ねえ、パパ。どうしてママと離婚するの」
「……ママとお前を守れなかったからだよ」
「人を殺したからじゃなくて?」
 今の子供はませてるとかじゃない。ただ本当に理解しているから聞いているのだ。心臓がつぶれそうな質問に、わたしは乾いた笑いを見せた。しかし娘はまっすぐと見つめ続ける。そこでようやく笑いでごまかせないことを悟った。
「そう、だね……。根本的な原因はそれだよ。でもね、そのあとの行動がだめだったんだね。わたしは誠心誠意努めて行動しなければならなかったのに、ショックが大きすぎて何もできなかった。だから、君も妻も傷つけてしまった。もう別れるしかないんだよ」
 思わず娘ではないような気持ちで、本音をしゃべってしまった。後悔し反省したが、一瞬救われたような気持ちになったのは嘘ではなかった。
 娘はそう、とうつむいた。
「もう、どうしようもできないんだね」
「うん。もっと、早くどうにかしていればよかったよ」
「パパとはもう会えなくなるの」
「会えなくなる、だろうなあ。ママがきっと会わせてくれない。会わないほうがいいだろうしね」
「じゃあ、大きくなったら、迎えに来るわ」
 娘はにっこりと笑う。
「でもそれまでの最後のお願い。お化け屋敷に連れて行って」
 ……結果から言うと、わたしはお化け屋敷に連れて行った。離婚が成立する前日のことだ。トラウマのような気持ちで足を運んだ。ただ、遊園地はとうに事件のため締め切られていたので、同僚に無理に頼んでひっそりと入り込んだだけだ。さすがに数ヶ月経っているためマスコミは既にいなかったので、それは助かった。しかしそのためで演出効果なんてものは何にもない。真っ暗で隙間風が吹く中を歩くだけだった。なんとなく、私がいたときよりこちらのほうが怖い気がしたのは、気のせいであって欲しい。
「それで、どうするんだい」
「まずはね、お花を供えるの」
「……のぞみちゃんの?」
「うん。お墓みたいなところだもの。最後にちょっとだけ使わせてもらいますって、お願いしなきゃ」
 なるほど、と納得してその辺で摘んできた花を、あの場所に備えた。そんな発想が浮かぶくせに備えるものがその辺で摘んできた花というのが、まったく小学生らしいのがおかしい。大人と子供のバランスに揺れているのだろう。いや、私のせいで強制的に揺さぶられているのかもしれない。
 じっと拝んでる娘の背とのぞみちゃんへ向けて、謝罪の言葉を頭の中で連ねた。ただどれも安っぽく嘘っぽく、これ以上どうすればいいのかわたしにはわからなかった。
「うん、よし! パパ、それじゃあどこかに隠れてて」
「え? どういうことだ」
「お化け屋敷なのよ、脅かし役がいないと成り立たないでしょ」
 そんなこともわからないのかと言わんばかりの言い草だ。こういう強気なところは、妻の地を継いでいて昔から変わっていない。思わず目を細めてしまう。しかしそんなことをしていると、娘はとっとと入り口に向かって走り去ってしまった。大丈夫なのだろうかと思いつつも追いかけたらきっと怒られるので、素直にいつもの場所に隠れておいた。
 マスクもつけずに仕事場に収まっているのは、なんだか変な気分だ。そして二度と味わうことはない気分だと思うとやけに切なく感じた。じっくり娘が来るまで味わっておこう。じいっと、足がしびれない程度に身体を小さくして、娘を待った。
 しかし、おかしい。短いコースだというのにいくら待ってもやってこない。いや、もしかしたら私が飽きた頃にやってくるかもしれない。あの子は頭がいい子だから、そういうことを平気でやる。心配が募るのには代わりはないが。
 がさ、と音がした。いつの間に近づいてきたんだと驚きながらも、襲うような体勢でいつもどおりの叫び声をあげる。
「うわああああああああ!」
「きゃあ」
 驚いた、というよりも面白がっているような声色だった。やれやれ、娘はすべて種明かしされている手品を見ているような気分に違いない。
「……さあ、帰ろう。母さんも待って……」
 いる、と言い切れなかった。目の前には、誰もいなかったのだ。こっちにやって来たように、また静かに戻っていったのだろうか。いや、それはさすがにわたしも気付く。では、いったいどこへ行ったのだ。
 暗いあたりを見回していると、ぐずぐずと鼻鳴らす音が近づいてきた。
「ぱぱ」
「……繭?」
 小走りでわたしに駆け寄り、抱きついた。服に涙がしみていく。いったい何が起こったのか、私はさっぱり分からないでいた。
「さっき、入り口に戻る前に変なところへ迷い込んだの。ここよりもっとぼろぼろで、真っ暗だったの」
 その場所に覚えがあった。ずいぶん前は、ここは途中でコースがふたつに分かれていたのだ。しかし人手は足りぬ、予算を減らすということで片方を行き止まりにした。しかし警察が入ったせいで開かれたままだったのだろうか。定かではないが、そこにどうやら迷い込んだらしい。
 あそこに何か危険なものはなかったと思うが、親ながら少しひやりとした。
「でもね、助けてくれた」
「え?」
「あの子が」
 息を呑む。そして少しの間で無理やり落ち着き、聞いた。
「の、のぞみちゃんが?」
「……たぶん」
 娘が言うに、迷って少し経ってから、ぐいと腕を引っ張る感覚があったらしい。最初はわたしの同僚かと思ったが、どうも違うようだ。同い年ぐらいの子の力や手の感触だったのだという。それに気付くと恐ろしくて泣いてしまったが、すると手がすっと離され、ここにいたのだという。
「あの子だって思うと、今はそんなに怖くない。怖いと思って悪かったなって思うぐらい。お化け屋敷っていう、生きてるのと死んでるのの真ん中ぐらいだったからかな。だから出てきてくれたのかもしれない。本当のところは分からないけど。パパを許してくれたのかもしれないし、許さなかったからこうなったのかもしれない。本当にわかんないけど、とにかく、ちゃんとしよう」
「ちゃんとって?」
「ちゃんとしたお花を買って、供えよう」
 濡れた瞳で真面目な顔をしたので、おかしくてなんだか笑ってしまった。ずいぶん久しぶりに笑った気がした。わたしは娘と同い年ぐらいの少女をおどかし殺し、娘をお参りついで最後のおどかしをした場所で、盛大に笑った。遠くまでよく響いて、それは外から聞いたらさぞ怖かったろうと思う。
 花は明日買い、わたし一人で来ることにした。娘と手をつなぎながら帰るとき、わたしもちゃんとあの時あったことを話すことにした。
「パパものぞみちゃんに会ったよ」
「えっうそ」
「繭かと思って、また驚かせてしまったよ」
「……怒ってた? それとも泣いてた?」
 わたしのぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情をひとすくい。それを食べたら甘酸っぱいような苦いような、変な味がするのだろうと思う。
 ぎゅっと娘の手を握りながら、娘を思い、妻を思い、遊園地を思い、お化け屋敷を思い、のぞみちゃんを思った。本当はもっとたくさんのものを思っていた。もしかするとこの瞬間こそが、祈りというものなのかもしれない。
 わたしは答える。
「ああ、笑っていたよ」

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