// うごめく秩序

 ある小さな町の田舎道に、ぽつんとある名もなき古本屋。そこがわたしの職場であるのだけれど、本当にその古本屋に名前はない。店名と言われれば古本屋としか言いようがない。一応看板にもそれがゴシック体ででかでかと書かれているし、店長も肯定しているのだから確かではある。だが他の人間が納得するかどうかといえば、納得しない。かくいう店員のわたしもそんな人間の一人である。店員が納得しないんだから、単なる客である一が納得するならば是非その人に店員の座を譲り渡したいと思う。だが残念ながら、今まで一度もそんな人には出会わなかった。それが普通なのだろう。
「店長、一体なぜ古本屋という名前なのでしょう」
 一度、一応訊ねたことはあったのだ。さすがに存在価値を問うようなことを言っては失礼だと思っていた時期がわたしにもありました。今は店長がそんなナイーブ野郎じゃないことを知ったので、まったくもって気にしない。店長はどうでもよさそうにゆっくり頷きながら、当たり前の顔で答えた。整った顔が、まあ憎いこと憎いこと。
「古本屋だからだよ」
「もっと個別化するべきでしょう」
「個別化するほど、古本屋はないからね」
「新しく出来たら困るでしょう」
「そしたら、新しく出来たほうが個別化してくれるだろう」
 残念ながら、その通りであった。正論かどうかは置いておき、たしかにそうだ。でも納得できない。納得したら負けな気がする。そんなわけでこの胸のもやもやを捨てきれずにいますが、わたしは元気です。そして店長も元気です。本日もひなたぼっこしつつ、きりりとした顔つきでふざけてきます。
「さて、ワトソンくん。最近この古本屋で事件が起こっているのを知っているかね」
 暇だから付き合え、という副音声がわたしには聞こえた。わざとらしく溜息をつきながら返す。
「犯人はヤスです」
「ポートピア連続殺人事件はいーの! あのねえ、小説がいくらか、なくなっているんだよね」
「……わたしは盗んでいませんよ?」
 さも不機嫌な様子のわたしが面白かったのか、笑いながら「君を疑っちゃいないよ」と店長は笑った。店長にとって商品が盗まれるということは、単なる雑談レベルの話のようだ。こういう適当さを見やると、店長はどこぞの金持ちの坊ちゃんではなかろうかと考えてしまうのだが、以前聞いたところ農家の次男らしい。まったく田舎らしいエピソードではあるが、店長らしくはなかった。偏見だなあ、とは思う。きっとその原因は、常連である男性とか店長のファンらしい女の子ぐらいしか来ない店がずっとやっていけてるせいだ。いつ潰れても、わたしは「やっぱり」と冷静に呟ける自信があるぐらい。大変失礼なことをわたしが考えているなか、店長は神妙な顔で言った。
「きっとね、僕の小説が食べてるんだと思うんだよ」
「……はあ」
 その台詞は店長じゃなかったら、この手中の広辞苑の角で丁寧に殴るところだ。だけど店長なので、思い切り険しい顔つきで相槌を打つ。こちらが慣れたことなら、あちらも慣れてるようでだるそうに続けた。
「きっと吸収したいんだね。いろんなもの。その作者の才能とか、想像力とか、お金とか」
「最後やけに現実的なやつがありましたけど、まあいいです。ってーかそもそも、店長は作家だったんですか? そこが一番びっくりです」
「あれー、そこ? うん、まあそうなんですが」
「初耳でした。続けて、どうぞ」
 こっくり頷く店長。話は続けられる。
「小説が、小説を食らうってのは、まったく珍しいことじゃないと思うのだよ。人間を食べる人間がいるんだから、動物でないものが動物でないものを食らうんだって、自然なことじゃないか。相手を一部を取り込みたいって願ってるんだ、本だって」
「つまり、自らを書いた執筆者を恥じているということでもあるんでしょうか」
「そうだね、自らを恥じている、つまり書いた奴のばかばか! んもうっ! ってことだから。大分極端だけどね」
 本が擬人化されてるのは気にしないことにしよう。さてそれは置いておいても、なぜかわたしは「そうかもしれないなあ」と納得しかけてしまったのは、とてもとっても不味いことだ。どうやらとうとう、店長の毒に当てられてしまったらしい。ああ、なんてことだ! でもたしかに、わたしの頭の中に本が蠢く姿が浮かんだのだ。
 深夜になって、もそもそと店長の本が何かの幼虫のごとく、微々ながらも本棚を移動する。そして次の主をぐっすりと寝ながら待つ古びた本を、ぱっくり口を開けてくわえてしまう。止める人も本もいないため、それはゆっくりゆっくり咀嚼されてしまうのだ。その間、食われる本はぴくりともしない。正しい本の姿であり、そしてその姿のまま消え行く。他の本は、ただそれをじっと見つめてる。次はもしかしたら自分かもしれないという不安(期待でもいい)を抱きながら。ああ、そして店長の本はげっぷのひとつでもして、また元の場所に戻ってしまう。何事もなかったかのように、自らの価値がまた上がったかのように感じて。なんら変わってないことに気付かないで。
「ああ、それは、とても悲しいことですね」
 わたしは珍しく感情を込めて言った。店長は、深く頷いた。
「まったくだ」
 そのあと、なくなった本が有名な作家の初版かつ絶版になってしまったものだと知る。ついでに、この古本屋になぜあるかわからないほどぶっ飛んだ値段もだ。まったく、店長の本は極悪本である。うっかり興奮して、そんな本は発禁ぐらいしてもいいということを言ったら、売れなさ過ぎて絶版さ! と笑顔で返されてしまった。ちょっとかわいそうに思った。  それから更にそのあと、正確には数日後だ。
「犯人が見つかりましたとさ」
 めでたしめでたし、と続きそうな口調で店長は言った。何時にもまして眠そうな表情だった。わたしはそのとき、すっかり小説が小説食べちゃうぞ事件を忘れていて「ヤスのことですか?」とまた同じネタを吹っかけてしまった。だが店長もネタのやりとりを忘れていて、普通に首を横に振って否定しただけだった。
「本がなくなってしまったよ事件。犯人は常連のお客様でした」
「あの男の人ですか?」
 常連と言うと、たった一人しか浮かばなかったことは、きっと泣ける出来事だろう。店長は頷く。さらに泣ける出来事になった。性別だけで通じてしまう会話とはこれいかに。店長はお昼にやってる推理ドラマの刑事のごとく、事情を説明し始めた。
「とても欲しかった本だそうだよ。その作者の大ファンだそうでね、見つけたのはいいけど金額がどうしても手に届かなくて、ついうっかり手がおろろろろーん、とね」
「警察に届けたんですか?」
「僕がそんな細やかな男に見えるのは嬉しいけどね」
 してないらしい。まったく適当な人間だ。あのわたしの給料とトントンぐらいの本を、おろろろろーんで済ますとは。わたしは溜息をついて、どうしたのか訊ねた。
「おうよ、取られた本はあげました」
「な、なんだってー!」
「僕がやってるのは本の新しい持ち主探しであって、葬儀ではないんだよ。だからあげた。ああ、正確にはお金貰ったから売っただけど」
「……おいくらで」
 店長がさらりと答えた金額に、眩暈を覚えた。なんてことだ。一瞬にしてわたしの給料が、うまい棒幾十本分かに成り下がったではないか。どんなマジックだ、これ。うまい棒幾十本分かがわたしの給料になることは、絶対有り得ないことなのに! ぐおー、と発狂しかけているわたしに、まあまあと店長が慰める。
「いちお、お金だけじゃないから。盗んだんだから、それなりに覚悟してもらわないとね」
「一体、何を」
 したんですか、と死にそうな声で呟いた。店長は面白そうに言った。
「僕の本を是非読んでくださいって押し付けたんだけどね」
「はあ」
「物凄く嫌な顔された。嫌いな子に告白してこいっていう罰ゲームをやることになった女子みたいな顔だった。あれは印象的だったよ」
 店長はげらげら笑いながら、机をばんばん叩いた。わたしは笑えず、そんな店長をじっと見ていると、やがて笑い声が溜息に変わった。「……笑ってよ」などという呟きは聞こえないふりをして、いまだダンボールに詰め込まれた本を棚に並べる作業に戻る。溜息も聞こえなくなり、やがてしくしくと二十代男性の泣き声が耳に届いた。
 本日も古本屋は元気に営業中である。ついでに店員および、店長の本を読んで慰めてくれる方も募集中である。まったく面倒臭い店であることを、わたしは実感せざるをえない。

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