// 一分後の世界

 世界が滅亡します。ただし、あと一分で。

 そんなニュースが流れたとき、お母さんは泣いていた。お父さんは仕事で会社だった。ぼくは世界が滅亡するということの意味が理解できなかった。でも辞書を開くのは面倒臭かったので、誰かに聞こうと思った。とりあえず、お母さんは除外。だって子どもみたいに泣き喚いているんだもの。
 ぼくは階段を駆け上がって自分の部屋に入る。これで何秒費やしたのかなとか考えながら、目の前の窓を開けた。綺麗な空も広がる野原もないけれど、ぼくの好きな景色がたしかにあった。
「やあ、かずくん」
 ぼくの親友のかずくんがいた。隣の家に住んでいるのだけど、ぼくの部屋とかずくんの部屋がちょうど向かい合わせで、窓を開けるとすぐに話せるぐらいの距離なんだ。
「おう。お前聞いたか? 世界がメツボーするって。ニュースでやってたの」
「聞いた。でもよくわかんない。お母さん、泣いてた」
「大人ってのは変なこといろいろ知ってるからな、しょうがないんだ」
「ぼくらは何も知らないから泣かないで済んでるの?」
「かっけーじゃん」
 かずくんは笑った。お母さんは泣いてたのに、かずくんはまったく普通に笑った。だからぼくもなんとなく笑う。この間にも世界がメツボウしかけてる。ぼくは改めて尋ねる。
「じゃあ、ぼくらは泣かずにどうすればいいの?」
「うーん、とりあえず握手するか」
「握手? したら世界はメツボウしないの?」
「ばーか、するに決まってんだろ。でも親友と握手しながら一緒に終わるって、かっけえじゃん」
「そうかなあ、うん……きっとそうなんだろうね」
 ぼくとかずくんは、手を伸ばしてがっしり握った。ぼくと同じぐらい小さい手だけど、かずくんは野球をしてるせいかちょっとだけ硬かった。
「なあ、ひろ」
「なあに、かずくん」 「世界が終わっても、親友でいよーな」
「もちろんだよ」
 でも本当は、ぼくは世界が終わって欲しくなくて、終わらないまま親友でいたかった。きっとかずくんも、同じ気持ちだったはずだ。

「ヤバイ、世界滅亡するんだってよ」
「は?まじで言ってんの?頭おかしいんじゃね?」
「マジマジ。ニュースでやってた。しかもあと一分だって」
「意味ねー!超意味ねーじゃんそれ。あと一分とか!」
「好きな人に実は好きでした、ってメールでも送れば?」
「届いたところで携帯見てないだろうし、つーか、返信メールが届くか危ういわ」
「それもちょっとロマンチック(笑)」
「世界が滅亡するときに、そんなロマンチックいらねー」
「そもそもネトゲしてる最中に世界滅亡ってところで、既にロマンチックじゃないしw」
「まあねwwwとりま、世界滅亡カウントダウンでもしに、2chでも行ってみるかな」
「いやいや、ここでやれよ」
「まあ、行ってる間に世界滅亡してるか。じゃー、5」
「4」
「3」
「3」
「2」
「3かぶった、スマン」
「1」
*
 父は世界が滅亡する一分半前に死んだ。
 父が死んだのを確認されて、しばらく何も考えられずにいたら、突然看護師が飛び込んできて医者に向かって言った。「先生、世界があと一分で滅亡します!」と。先生はちらちらこちらを見ながら、やっぱり部屋を看護師と一緒に飛び出した。あの人たちは一体何をする気なのだろうか。たかがあと一分で。もしかしたら嘘かも知れないけど、看護師さんの必死な表情とかさすがにドッキリでそんなこと言う人はいないことを考えると、やっぱり本当のことのようだ。
 いつまでも全く笑えない。しょうがないのでわたしは、残されたお母さんとちょっとだけ視線を交わす。話すことなど何もないけど、何か話さなければならないと思った。
「お父さんは、いつもこうだね」
「そうね、この人は、誰よりもずれてたわ。でも、素敵な人だった」
「うん、いい人だった」
 わたしがそういうと、いかにも驚いた顔でお母さんは言った。
「珍しい」
「なにが」
「あなたがお父さん褒めるの」
「だってもう死んじゃったし。わたし達も死ぬし」
「そうね……」
「わたし、お母さんもお父さんも大好きだった。本当言うと。いつもはうざかったし、話わかってくれないし、嫌いだったけど、やっぱどこかじゃ好きだった。親だからとかって理由じゃないよ。お母さんがお母さんだからだよ」
 顔を真っ赤にもせず、言えることができた。でも代わりにすごく泣きそうになった。無理矢理笑顔を繕う。
 お母さんはそれを見て、そっと笑って両腕を広げた。わたしは迷わずそこに飛び込む。お母さんの匂い。お母さんの温度。ぶわっと涙がこみ上げた。気持ちよくて心地いいのに、胸が苦しかった。わたしはまだ生きたがっていた。たとえお父さんが死んでいても、お母さんと一緒に。
 お父さんの冷たくなった手を、お母さんと一緒に握る。ああ、くそっ。くそ、くそっ! お父さんめ。なんて惜しいことをしているんだ。あと一分半ぐらい生きてろよ。今この瞬間にでも生き返れ。超好きだから。
*
 一分で人は何が出来るのだろう。
 カップラーメンは注ぐはずのお湯がまだ水のまま世界が終わるだろう。ゲームも本体の電源つけて、さあプレイ開始というところで世界が終わりを迎える。自殺するのだって、一分しかなかったら世界が滅亡するのと自殺、大して変わりゃしない。あるいは音楽を聴いて優雅に死のうか? いやいや、サビに入る前に終わっちまうよ。なんかそれ寂しい。では憎かった人を殺そう。まさか。憎い人が世界滅亡時に偶然隣にいて、自分自身が凶器を持ってるわけない。ってゆーか、どうせ自分も死ぬし。
 そんなことをまだ世界が滅亡する三分前に考えていた。その時は世界が滅亡することを知らなくて、単に見知らぬ少女との沈黙が耐え切れなくて暇つぶしの思考に走っていただけだ。ああ、でも人間の本能とはいかんせん侮れないものだ。まさかマジで世界が滅亡するとは。今頃世界はどうなってるのだろう。阿鼻叫喚魑魅魍魎跳梁跋扈そんな感じなのだろうか。ただ知ってる難しい四字熟語並べただけですが。
「あと世界滅亡まで一分ですが」
 そこで僕は台詞を切って、続きの台詞が言えないほどさも重要なように黙り込んだ。それはただ、目の前の少女の動向を知りたかっただけに過ぎない。だがそれを口にするほどには彼女と親身なわけではないし、世界が滅亡することをまるでどうでもいいことのように考えている軽い奴だと思われるのも嫌だったのだ。
 少女は読んでいた教科書を閉じて、顔を上げた。美しい顔。短い睫毛と一重のまぶた、釣り上がった瞳、白い肌、黒い髪、桃色の唇、赤い舌、文字をなぞる指、細い首、短い脚。その胡散臭い全ての美しさに、僕は心を揺さぶられる。
「世界の終わりの過ごし方なんて、教科書には載ってなかったわ」
「僕も見たことないし、知らない」
「だったら世界滅亡に戸惑いながら、教科書に恨みつらみを込めて、この世を去るしかないわね」
「寂しい終末だ」
「終末にロマンを抱く馬鹿はいらないわ」
 切り捨てられた。この調子だと地球滅亡? かんけーねーよとばかりにまた教科書を読み直されそうなので、へこまずに再チャレンジする。
「まあまあ、もうすぐすべてが終わるんだし、それまでぐらい仲良くしようよ」
「あと数十秒よろしく」
 ひどかった。さすがの僕もへこみかけそうなところで、彼女が口を開いた。初めて彼女からの会話だった。
「彼は決して、方向性は間違っちゃいなかったと思うわ」
「じゃあ何が間違ってたんだろう」
「世界を、よ」
 的確なんだかそうじゃないんだかよくわからない彼女の言葉に笑った。

 やっちまったなあ、と俺は思わず呟いた。宇宙に浮かんでいたはずの青い星は、目の前で綺麗に消え去った。一体これで何回目なのやら、と思いながら、ため息を吐いてレポートに書き記した。
 「2008.04.29 地球消滅。原因:巨大隕石墜落のため。ただし一部人間が10日前に隕石の存在に気付く。だが一般民衆が知るのは一分前であった。結果は地球消滅に終わったが、それまでの人間達の動向は非常に興味深い」と、そこまで書いたところで、俺の後ろの扉が開いた。振り返ると、そこには顔馴染みの先輩が「よう」と片手を上げていた。
「ああ、先輩。俺、また失敗しちゃいましたよ」
「そうみたいだな。地球は惑星の中でも値段がダントツだからなあ……。こりゃ厳しい」
「一応代わりはもう一個あるし、バックアップも取ってあるんですけどね。これ以上失敗したら、マジ俺生きていけなくなりますよ……」
 ちらり、と小さな宇宙を見やった。
 これは数年前に開発された、宇宙仮想モデルケースだ。最初は宇宙のセットを購入し、別売りの惑星などを買うとちょっとした太陽系が再現できるのだ。勿論、仮想の星なども売っており自分の好きな宇宙も作れる、という趣味にも対応している。その中でも地球が一番人気で、値段が高い。人類を自分の好きなようにいじくれるってのが人気のワケだ。この俺もそれで人類成長過程を実験しているのだが、どうにも上手くいかない。
「面白いっちゃ面白いんですけどね。地球に五分前に世界は創造されたって言ってる奴もいるんです。意外と侮れませんよね」
「はは、そりゃ面白いな」
「――でも、これやってると本当にその説は怖いですよ。もしかしたら、こういうのやってる俺らもその一部なんじゃないかって」
 はん、と先輩は笑った。そして乱暴に俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でる。
「考えすぎはいけねーぜ? たとえ五分前にこの世界が創造されても、そいつがバックアップ取ってる限り俺たちゃ生きていけるんだから、よ」
「嫌な考え方ですよね、それ」
 けれど俺はくすっと笑ってしまう。そりゃまったく先輩の言うとおりだ。考えたところで俺らに分かることじゃないし、知らないほうが幸せってもんだ。
「……うし、じゃ俺、今度こそ頑張ります!」
「おう、頑張れよ」
 先輩は、少年のように笑った。

そして世界は滅亡した。

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