形状記憶少女

// あい、あむ、みい。

 私なる私を探す旅に出ようではではないか、と私は宣言した。そこは誰も居ない何も無い部屋であり、宣言する意味すら無かった。ただ私は自らに知らしめる様に呟いた。声は何処に反響する事も無く消入る。好い加減黙って諦めたら如何かね、と頭の中で誰かが云った。白い壁と白い天井は、沈黙していた。
 私が私である事を先ず知る為に、手っ取り早い方法がある。目の前のオブジェの如く吊られた縄を見た。生死は判り易い判別方法だ。私が私であり此処に在るなら、死が静かに訪れるだろう。一歩、片足を上げた。奇妙な音を立てる椅子に乗り上がる。後は首に縄を縛り付けて、椅子を蹴飛ばすだけだ。だが失敗してしまった。余裕ぶって縄を結んでいる内に、椅子がまたもや奇妙な音を立てて壊れてしまったのだ。幸い私に怪我は無いが、椅子は真っ二つだ。縄は小さく揺らめいていた。
 気を取り直して、私は目の前に鏡を置いた。部屋の何処からか湧いて出て来た(先程まで無かったのだから、非現実ながらそう表現するしか手は無い)ものだ。安物らしい其れに向かって、私は呟いた。お前は誰だ。お前は誰だ。無論鏡に対して存在を問うてるのではなく、鏡に映る自らに問うてるのだ。お前は誰だ。お前は誰だ。此れを繰り返し行っていると人は狂ってしまうと誰かに聞いた。聞いた当時は恐ろしいものだと身を震わせたが、今は全く恐れはないし、仕方がない。狂うのもまた、自らの証明の一つだろう。何の根拠も無く私は信じ切って、訊ね続ける。お前は誰だ。お前は誰だ。相手は無表情に薄い唇ばかりを動かす。不愉快だ。私は鏡を叩き割った。
 腹が空いて来た。私も人間だ。当たり前である。だが此の部屋には天井からぶら下った縄と、壊れた椅子と割れた鏡しか無い。食べられる物は無い。いや、確かテレビで土や硝子を喰らう人間が居ると見た覚えがある。だが私は残念ながら全くつまらない人間で、その様なものを口にしたことも無いし、口にしたところで消化できずに吐き出すだろう。偶、と情けない音が鳴った。私が口にする言葉よりも余程大きい音だった。すると矢張り鏡と同様、食べ物が湧いて出た。オニギリとサンドイッチ。はて、何故二つとも主食なのかと疑問に抱きつつも、空腹の腹を満たすために黙々と食らった。オニギリの中身は玉子焼きだった。
 腹も満たされたので引き続き考え直そうとした。が、其れより先に眠気が襲った。生理現象は恐ろしい程強大な力で私を引きずり込む。真っ白な天井が遠のいてゆく。眠い。
 目を覚ます。勿論時計も窓も無いので、時間が分らない。腹は減ってないので、熟睡した訳ではないのだろう。さて私の目的は何だっただろうか。首を傾げる。忘れてしまった。手段を追い求めたせいで目的を忘れる。人間とは得てしてそういうものであるのだな、と思った。うう、うううう。私は代わりに(何の代わりだ?)呻き声を上げる。ううううう、ううう、う。機械的な呻き声。オニギリとサンドイッチを吐き出す。真白と透明が混ざった液体に成り果てていた。私は涙を流す。痛みを底知れぬ不安から、ぼろぼろ涙を零す。呻き声と嘔吐物と涙。床に汚れが広がる。ふと視線を上げると、目の前に水の入ったコップと、錠剤が置いてあった。私がずっと求めていた物のような気がした。嘔吐物に汚れた手を服で拭取り、錠剤を掴んだ。口の中に投げ込んで、水も流し込む。其れだけで全てだと思った。しばらくすると痛みは無かった事のようになったが、薬の副作用か眠気が襲った。つらい。
 二度目の目を覚ます。先程の代わらぬ惨状が目の前に在った。何故かほっとする。嘔吐物を避ける様に、服が部屋の隅に置いてあった。気が付くとシャワーまで設置してあった。何処から運ばれたのだとか面倒臭い事を考えられる程、私は人間が出来ていない。シャワーを浴びて新しい服を着た。だが私の体から、嘔吐物の臭いは抜けなかった。次に現れるのはトイレと布団かなと、暢気に考えた。
 もう私である私とか、私が私である等と考えるのをやめた。そもそも其れ以前に考える事が有っただろうにと自らを責めた。三分ぐらい。次に私は此の部屋の存在を問う事にした。お前は誰だ、と呟くわけにもいくまい。部屋の隅で丸くなり、全てが事後の部屋を眺めた。もしや私は何らかの犯罪者であり、此処は拷問部屋では無かろうか。其れにしてはしち面倒臭いシステムを採用している。却下。もっと現実的に。此れは夢である。嗚呼、現実的だ。現実的だとも。ただ証明するものも無ければ否定する素材もない。いや此れを言ったら今現在全てがそうじゃないだろうか。全く、面倒臭い環境に放り込まれたものである。
 此処が何処であるか分っても分らなくても、私は結局此処を出られないだろう。何時か私は狂うだろう。そんな予感を思いながら、私は胎児の様に身体を丸める。瞼を閉じる。狂うまでに、何らかを見つけられたら良いと思う。私である私。私が私であることを。三度目の就寝。

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