// チャイルドロップス

 ころころと口の中をしょっぱいドロップスが転がった。
 あたしは六歳で、彼は十六歳だった。ぴったり、十歳差だ。恋愛をする壁にもならない、たかが二桁の遅れだ。彼が死んで十年生きれば、あたしは彼とぴったり同い年になれる。あたしの夢の一つだ。彼と結婚したら、カッコイイおじいちゃんとカワイイおばあちゃんになるまで、一緒にいるのだ。そしていつも会うたびにくれたドロップスを、一緒にずうっと食べ続けるのだ。
 でも、一緒にいるどころかその前提すら、あたしには叶わなかった。彼に「君が大きくなったらね」とあしらわれてしまったのだ。あたしの、一世一代の告白がまるで空の花火みたいに、ぱあんと弾けて消えてしまった。あるいは涙みたいに瞳から流れ出たら、地面に吸い込まれて消えてしまう。
 たかが十歳で、彼は何を迷ったのだ! あたしは憤慨する。あたしが二十歳になったら、彼は三十歳で、彼が四十歳になったら、あたしは三十歳だ。なんだかドラマみたいで素敵じゃないの。それだというのに、あたしの好きになった男は腰抜けなのかしら! 仲良しのユリちゃんは言ってたわ。十歳どころか、三十も年上でしかもお母さんのお兄さんと付き合ってると。つまり、三十六歳のおじさん(こういうと、ユリちゃんはとても怒った。おじさんじゃなくって、タカスミさんっていうのだと。のろけはやめてほしい)と恋愛しているのだ! もう大人にしかできないようなことも、体験したという。
 ああ、なんて羨ましい! あたしはとても悔しく思う。どうすれば彼を手に入れられるのかしら。あたしは爪を噛む。するとぴん、と思いつく。あたしはとても頭のいい子だ。
 あたしは彼の後ろを刑事みたいにそっと付いていった。鈍い彼は気づかない。塾へ向かう途中だろう。白いパーカーの帽子が、ふわふわと歩くたび揺れた。彼が液の中に入り、ホームを通り、黄色い線の前に立った。アナウンスで言われる、あの危ない場所だ。すると、そこで一人の女の人が彼に声をかけた。彼も表情をゆるめて、だらしない笑顔をその人に見せる。その人の腰に手をまわして、キスし始める。周りの人たちは、眉をしかめてる。あたしは乾いた桃色の唇をなめた。何にもしてなくてもぷるぷるとしている自慢の唇だったのだけど。こういうとき、彼のドロップスが欲しくなる。と、アナウンスが鳴った。ピンポンパンポーン♪ 電車来ますよ、気をつけてくださいね、あたしはそれを合図に動いた。
「ユウスケくん、ママ、愛してるわ!」
 いつもママがパパに甘えるときみたいな高い色っぽい声で、あたしは叫んだ。自慢の小さくって、細い指をした掌で、二人の背中を押した。ユウスケくんとママの表情は、いつまでも忘れないだろう。ぐしゃあ、とか音がしたと思うけれど、恍惚に思わずおしっこを漏らしてしまったあたしは、失神してしまってその後をよく覚えてない。
 気がつくとそこは狭い個室に白衣を着たおじさんとお姉さんと一緒にいた。そしておじさんにいろんなことを聞かれる。あたしは首を振るばっかりだ。何を聞かれているか、どころか、何を喋っているのか理解できなかったからだ。いつまでもあたしがそんな調子だから、おじさんは溜息をついて椅子によりかさった。と、そこであたしは気がつき、質問した。
「それ、なんて読むの?」
 おじさんのネームプレートだった。とても難しい漢字だったから、小学生のあたしには読めなかった。すると、おじさんはようやくあたしが反応を見せたことで、満足げに頷きながら教えてくれた。やはり何を喋ってるかわからなかったから、口の動きで理解した。あたしは、大きく笑った。おなかとのうみそが痛くなるぐらい、大声で。
 おじさんの名前は、タカスミといった。

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