// あたまのなかの

 あなたは道に落ちている濡れた木の葉は好きでしょうか。あの、すこし青臭い、赤茶や緑の優しい色が雨に濡れてきらきら光ったものです。夕方、外灯に淡く照らされる街路樹の根元に落ちてるやつとか、朝、道端で水たまりに沈んだ一枚の葉とか。どんなものでも、わたしはあれを好みます。わたしの寝ていたあいだの、知る術のない沈黙の時を知らせてくれるように思うからです。雨が染み込んだやわらかなそれが、わたしに語りかけてくるのです。無言の報せは、朝の孤独を優しく包んでくれます。
 あなたも、理解してくれるのでしょうか。嬉しいです。このようなことはなかなか他人にいえたことではないのです。まず簡単に喋ってしまえば、単なる夢見がちな女だとか、気味の悪い人だと思われてしまうからです。実際、まだ幼かったころに経験しました。他人からすれば、所詮酸性雨と土のこびりついた薄汚い葉に過ぎないのでしょうね。無論、わたしからも何らかの狂気を感じ取ったのでしょう。ですが、あなたのようにたまに分かってくれる方がいるから、わたしは区別するようにしました。信用できる方だけに、話すようにしました。
 まだあなたと会ったばかりであっても、関係ありませんよ。理解してくれそうな方であれば、時間など関係ありません。例えばあなたは嫌な幼馴染がいるとしましょう、大人になっても良い縁を続けられますか。続けられないでしょう。続けたとしても、嫌々でしかありません。そもそも始まりが良くない。どうせ近所であったとか、親同士の仲が良かったとか、そんなものです。ああ、無駄なことを話すのはよくありませんね。時間は人が思う以上に、進むのが早いというのに。
 ある日、あなたと同じように、わたしは出会ったばかりの男性に話してしまいました。魅力的な男性だったのです。背が高くて、がっしりとした体型で、顔も整ってました。性格は軽いというよりも、誰にでも優しい人でした。今思えばわたしも若かったのでしょう。あれは信用できるとか、理解してくれそうなどというよりも、一目惚れに何より近かった。わたしは彼と瞳を合わせた瞬間、途端に口が軽くなってしまいました。ロックでも外れたようでした。
 彼は、真摯な態度で聞いてくれました。それがわたしの口をさらに滑らせます。人見知りするはずのわたしは、そう、今以上に明るく語りました。ああ、たぶん、あの美しい瞬間は二度と来ないでしょう。あれほどたった一つのことを一人の人間に理解してほしいと思ったことはありません。例え怪訝な顔されても、どうやっても理解させてやるとすら、思いました。自分が恐ろしかったです。
 幸い彼は、あなたのようにすぐに理解してくれました。彼は詩が好きで、わたしの言ったことを丁寧に褒めてくれました。理解こそすれ、褒められるのは初めてでした。わたしはもう、彼に酔いしれていました。わたしは彼と付き合うことにしました。すべてが初めてで、新鮮でした。思い出すと恥ずかしいことばかりです。でもあの頃の自分にとっては全てに代えがたい最高の日々でした。
 ところで話は最初に戻りますが、木の葉は大抵掃除されてしまって、仕事や学校から帰る夕方ごろにはなくなっていますよね。わたしはまた、それがたまらなく好きでした。なくなるからこそ美しいあの造形を、また雨が降ったとき、朝のからっぽの頭に詰め込めようと考えるのです。それに、夕方になるともう濡れた木の葉は何の魅力もなく、単なる湿った邪魔な葉っぱでしかないのです。
 うふふ。
 ここまで話すと大抵の方は、わたしの頭を疑われるのです。この目一杯濡れた木の葉が詰め込まれた、脳を。大丈夫かしら、と瞳が訴えかけてきます。わたしはその輝く瞳の中に美しさを見つけようとします。でもやっぱり、所詮生に繋がる眼球でしかないのです。やはり普通の人には理解できないのでしょうね! あの生と死に揺らぐ、雨に濡れた、まるで泣いているような、冷たい、道を彩る、葉たちを。
 わたしにしか理解できない! あなたも理解できないのでしょう、そう、彼も理解してくれなかった! 冬の朝、もう君にはついていけないと、彼はそう言った! わたしを捨てたのです! わたしと彼が出会った、美しい街路樹が立ち並ぶレンガが敷かれたあの道で! ああ、理解、理解してくれたじゃない! 初めて会ったとき、褒めてくれたじゃない! 嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき! ……そんな風にわたしは、彼を罵りました。言い訳のようになりますが、わたしは若かった。そして彼も。ゆえにわたしは、過ちを犯しました。反省しています、でも、後悔などしていません。
 うふ、ふ。
 そう、わたしは彼を殺しました。マフラーで首を絞めて、死体となった彼を自らの家に持っていって、風呂場に置いておきました。さあ、わたしはこれからどうすればいいのか。決まっています。彼もわたしと同じにさせればいいのです。わたしはキッチンから包丁を取り出して、風呂場に行きました。彼の髪に隠れた皮膚を、ぱっくりと開かせました。血が溢れます。生きていた名残だわ、と思いました。そして、さらに深くを切ろうとすると、こつんと硬い感触がしました。頭蓋骨でした。時間はかかりましたが、一生懸命いろんなものを使って割って、中の脳みそをゆっくり外へ出します。ああ、今更ですが、あなたは、こういうグロテスクなものは大丈夫でしょうか。大丈夫ならいいのですけど。……たしかにわたしはその直前まで、ホラーとかグロテスクなものが苦手だったのです。けれど火事場の馬鹿力とでも言ってしまうのでしょう、まったくもって平気でした。
 脳みそを取り出し終わると、中は空間となりました。何もありません。頭をこつんと小突いて、どんな音がするが試してみたかったのですが、そんな時間はなかったのです。とにかく早く、彼をわたしと同じにしたかったのです。血に濡れた服を着替えなおして、外で掃除していた知り合いのご近所さんに声をかけました。よかったら、そのビニール袋に詰まった木の葉をくれないか、と。いい人でした。簡単にくれました。でもこんなゴミをどうするんだとも、聞かれたと思います。ゴミといわれたとき、うっかり怒ってしまいそうになりましたが、なんとか抑えました。有難うございます、とだけお礼を言って、部屋に戻りました。血の匂いを嗅ぎつけられても困ると思ったのです。
 その宝が詰まったビニール袋をすぐに風呂場へ持って行きました。あとは、あなたにもわかりますよね。わたしは、その木の葉を彼の頭の中に詰めました。ぎゅう、と詰め込めれるだけ、詰め込みます。ぎゅ、ぎゅう、ぎゅ、ぎゅう、ぎゅう、ぎゅううううう。恍惚という表現が正しいと思います。わたしはただその瞬間のためだけに存在した、とすら思えた程です。詰め終わると、余韻に浸る間もなく、開いていた頭を裁縫道具でまた元に直しました。これでも、家事は得意なほうなんですよ。彼は元通りになりました。少なくとも、先程よりは。わたしは終わったと思いました。やりきったと。彼はすべてわたしと一緒に、同化したと。頭の中には濡れた木の葉が詰まっています。ただ少し違うのは、彼の頭の中のやつは、血で赤く濡れてたことだけで。
 そして、わたしはあなたに連絡しました。正確には違いますが、あなたのような方を求めてました。……ついでのようですけど、いまさらこんなことを思ったって仕方がないんですけどね。彼の頭の中に詰め込まれた葉は、まるで夕方のいやらしい葉のように、私の興味をまったくひかなかったのです。不思議ですね、面白いとも、思えます。
 ――ああ、空、雨が降りそうですね。この調子なら、朝には雨が上がってるでしょうか。でも、わたしはもうしばらく、大好きなあの光景を見ることはできないんでしょうね。きっとそうでしょう。だってわたしは、何も知らない人間達からしたら、ただの狂った女でしかないのですから。だから、罪を償えとわたしに言う。何の意味もないのに。ねえ、そう思いません、刑事さん?


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