// 知らないかのじょ

 気付けば雰囲気はすっかり冬で、町にはマフラーやコートを羽織る人々で溢れている。長く続いた残暑が突然切り替わったせいもあるんじゃないんだろうか。いずれにしろ、寒いことには変わりあるまい。俺は凍える手をポケットの中に突っ込んだ。 平日の朝の通勤ラッシュを終えた時間なだけあって、駅にはちらほら数人しかいなかった。田舎、ということもあるか。見ればホームには、くたびれたサラリーマンのような男や腰が曲がりきった婆さんがいる。俺にもあるように誰にも、この電車に乗らなければならない理由があるのだ。そう考えると途中経過までの目的は一緒だと思うと、不思議な感覚だった。つまりこの寒い中、夏服の薄くて淡い色のワンピースと麦藁帽子をかぶった彼女にもあるわけだ。
 そこでようやく俺は気付いた。気付くのが遅すぎたような気がしないでもない。このよくても秋の時期(本当によくて、だ)に、夏服?小学生のガキンチョが半袖半ズボンで騒いでるのは分かるけれどその少女はどう見ても高校生ぐらいの年齢だ。中学生などとは一線を越えた大人びた表情で、緩く吹く風に流れる長い髪を耳に掛ける仕草。その大人びた表情は、詰まるところ憂いを帯びた表情、とでも言うのか。決して絶望ではないけれど、ああ、もう駄目かもしれないなという予感できる表情だ。そこでホームに次の電車が来るというアナウンスが流れ、ようやく俺ははっと気がついた。人をまじまじと見るなんて、失礼にも程がある。例えどんな格好をしていようとも、他の人間が嫌がらない限りはそいつの勝手だ。それに電車に乗らなければいけない理由があるように彼女にもきっと夏服を着なければいけないわけがあるに違いない。決め付けるのもどうかと思うが、変な目で見るよりはずっとマシだ。遠くから電車の規則的な音が聞こえてきた。どんどん近づいてくる。俺は少女から目を離して、電車が来るであろう線路に視線を移した。そういえば、と俺は思った。
 先程少女の服装にばかり気を取られていたが、今思えば立っている位置も可笑しかった。黄色い線よりも、前。アナウンスで危ないから下がれと警告される線の前だ。そんな場所にいるのはそう、投身自殺をする奴ぐらいで。投身自殺。そのキーワードがやけにぞくぞくと体を這った。俺はなんだか走り出した。本能が警告している。警鐘を力いっぱい鳴らしている。そして電車がホームに流れ込んできた。少女の体が、気のせいか線路の方向へ倒れこもうとしている。気のせいなわけがあるまい。俺は全く使われていない足を精一杯動かして、腕を伸ばした。日にさらされた彼女の白い腕を掴んで、自分の体ごと無理矢理後ろへ引き下げる。叫び声も何もない。ただただ、電車の到着する音に紛れ込んで倒れた。どうやら他のホームにいた人間はそのことに気付かなかったようで誰も降りない開かれた電車の扉の中へと入っていった。プシュー、という音ともに扉は閉じられる。そして彼女を殺そうとした(多分この表現は間違っているだろうけど)電車は遠のいていった。
「………」
「………」
 俺も彼女も、沈黙したまま電車を見送る。けれど彼女の方が先に立ち上がった。そして無言で服の汚れを払い、俺に手を差し出した。普通逆じゃないだろうか。俺はその手を借りず自分で立ち上がった。まったく、なんていう出来事に立ち会ってしまったのだろうか、と思いながら。
「なあ、あんた」
「寒い」
「……はあ?」
「寒いの」
 差し出していた手を、そのまま立ち上がった俺に差し向ける。彼女のその少ない言動とその行動から察する意思のは「服を貸せ」。本当にこの堂々とした自己中心的行動は、夢じゃないのだろうか。少し眩暈がしてきた。
 そして気付けば、俺はその少女と喫茶店にいるではないか。これなんていう魔法? なんて言いたいところだが、生憎ここまで来た経緯は覚えている。駅で呆然としつつ、上着を奪われ仕方なくこのままじゃどちらも中途半端に寒いだけなので、最寄の喫茶店に行くことにしたんだ。彼女は見た目の軽装から分かるように、金も持っていなかった。そのため、二人分の紅茶代プラス、一人分のケーキ代は俺にまわってくることになる。……バイトの給料日まで、あと何日だっけ? っていうか、人の金でケーキを食べるな。
「ここの喫茶店は駄目ね。紅茶はぬるいし、ケーキは不味いし」
「お前が言うな」
 上品に口元をふきながら、綺麗な声で辛辣なコメントを言った。夏服のワンピースに皮ジャンを羽織った姿で言うには、とても滑稽だけど。でも、決して間違いではない。この喫茶店に最寄なため、場所はとてもいい。人通りも多いし、見た目も田舎にしちゃ洒落ていて新しい。けれど接客態度が悪く、何よりメインのケーキが不味い。だから接客態度第一な田舎の老人では受けが悪いしそれは二の次の若者ですら足を運ばない、そんな店だ。先程も入店する際、あまり美人とはいえない女性店員にじろりと変な目で見られていたし。……いや、俺らの変な組み合わせもあるか。俺の勤めている店でさえ、自分たちのような奴が入ってきたら引くだろう。溜息をつきそうになると、少女が拭き終えたらしい口を開いた。
「で、結局あなたは何の用?」
 俺が聞きたいよ、とは言わなかった。その代わり、面接では一番してはいけないという、質問返しをしてみる。
「なんで飛び込もうとしてたんだよ」
「飛び込む? 何のことよ」
「だからさっきの、駅のホームから、その」
 なんて言えばいいのかわからなかった。あれは本当に自殺だったのか、と今さら思う。単なる勘違いじゃないか。だってこの寒い日に、夏服を着ている奴だ。何があっても、不思議とは言わずとも変じゃない。けれど彼女は思い出したように頷いた。
「ああ、自殺のことね」
「………」
 やっぱり自殺だったらしい。当たったには当たったが、頭が痛くなりそうだ。何か理不尽さを感じるぞ。
「なんでそんなことしようしてたんだよ」
「なんでって」
 きょとん、とした顔でこちらを見る。今までクール、と言うよりあまり表情を出ていなかった彼女にしては間抜けで滑稽な人間らしい表情だった。決して美少女ではないけれど、美しい、と思う。見た目云々の話ではなくて。そんな彼女が困ったように首を傾げながら、答えた。
「そうね、勢いよ。多分これが一番正しいわ」
「勢い……」
 勢いで死にたくなるようなことでもあったのだろうか。両親が亡くなって一人ぼっち? あと一週間で死ぬと医者に宣言された? それとも、とまた新たな予想をうち立てようとしたところで自分がいくら予想しても意味がないことを思い出す。さっさと考えてる暇があったら彼女に理由を聞けば早いだろう。だがそれは失礼でもある。きっとここはもうこれ以上聞かずに、お代を払って去るべきなのだ。さて、このケーキはいくらだったろうか。百円程度ではないことは確かだった。思い切り思考を変えたところで、彼女が口を開いた。
「幼馴染に会えなかったの」
「……はあ?」
「小さい頃仲の良かった男の子がいたの。でもね、会えなかったの。せっかく家まで行ったのに、その男の子のお母さんが会わせてくれなかったの」
 悲しかったわ、としみじみ呟いている彼女。確かにそれは悲しい。いや、という俺のせっかくの気遣いが。だが人に愚痴りたくもなる理由だ。何か慰めの言葉をかけてやろう、と俺は口を開こうとする。が、またも彼女がしみじみ呟いた。
「何がいけなかったのかしらね。やっぱり母がその男の子のお父さんと不倫して、二人して行方不明になったせいかしら」
「それだよ」
 間違いなく原因はそれだろう。間違えようがないだろう。いや、もしかしたら他にもどれもが決め手になるような原因を諸々作っていたのかもしれない。今度こそ頭が間違いなく痛くなった。何処の漫画だ、ドラマだ。何故この少女と出会った。何時か俺は悪い事でもしましたか? 今神様に会えて質問できます、なんてことになれば俺は間違いなく質問の雨を降らせることができる。そして神様の台詞も予想できる。『ワカンナイネ』――やばい、想像しただけで切ない。
「せっかくこのワンピースを着てきたのに」
 ネガティブになっている俺を横目に、大きい溜息を思い切りつく彼女。
「なんだ? そのワンピースがその男の子との思い出の服、とか?」
 冗談ぶったように言った。そこまで行けば立派なドラマだ。月9は無理だろうが、つまらない深夜ドラマ程度ならいけるかも知れない。あるいは、ドロドロとした昼ドラか。……それでもあんまり見たくないドラマだ。だがそもそも俺はドラマを見ないほうだ。こんな話がドラマ化されたら、視聴者から批判殺到だろう。そして彼女がまたも大きい溜息をついて、答えた。
「いいえ、冬服に可愛い服がなかったの」
「帰れ」
「まだケーキを食べ終えてないわ」
 俺は最後の一口を、乱暴に彼女の手元のフォークを奪って刺した。そして思い切り少女の口の中に突っ込む。タイミングを計ったように口を開いていたため、綺麗にゴールしたが。
「女の子に乱暴は駄目よ」
 口の中でケーキを噛み砕きながら、そんな台詞をほざいた。なんだこの女。そしてまだ飲み干していなかったらしい紅茶をぐいっと傾けて飲んだ。
「ぬるいわね」
「人の金で言うな」
 そしてここで大きい声で言うな。店員の目が明らかに痛いだろう。もうしばらくは此処には来れないな。いや、そもそも普段来ない場所なのだから問題はないのか。それでも何か失う気分はぬぐえない。
「――さて、私はもう帰るとするわ。食べ終えたことだし」
「帰れよ」
「ああ、まったく。私は何しにここへ来たのかしら。変な男に連れられて不味いケーキ食べてぬるい紅茶飲んで。まったく、嫌になるわねえ」
「お前が言うな」
 どちらかと言えば俺が言うセリフだ。変な女連れて不味いケーキ食わしてぬるい紅茶で妥協して。何故こんなことをしているんだ。俺は溜息をつきながら店員の視線に耐えつつ代金を支払った。一方の彼女は満腹になって満足したのか、麦藁帽子を目深にかぶりなおし喫茶店前の大通りで「やっぽっぽーい」とかナントカ叫んでいた。元気である。
「で、あんたどうするんだよ」
「どうするって何をかしら」
「……いや、幼馴染とかさ」
「門前払いされちゃしょうがないわ、ところでこのダサい上着返すわね。センスが全く見えないわ。ファッション雑誌でも見てもうちょっと勉強なさい」
「アドバイスをどうも有難う」
「ええ、感謝するがいいわ」
 やべ、殴りてえ。上着を着ながら思った。けれど殴ったところで少女のこの態度が治るわけではない。寧ろ悪化するんじゃないだろうか。「うふふ、殴ったわね。親にも殴られたことないのに。なんてね。冗談はさておき、さあこれから何処行きましょうか。交番? 警察? それとも直接刑務所がよろしくて?」……なんて。冗談にもならねえ。大きく溜息をついて、人気のない大通りでくるくる踊る少女を見やった。真っ白なスカートが風に舞い、耐えず笑顔を繕う少女。寒さなどは感じられない、暖かな日差しの降り注ぐ、別の世界のようだ。黙っていれば綺麗というのはこういうことかと納得した。
「本当はね、幼馴染に会うだけじゃないの。伝えに来たの。わたしの母と彼のお父様がね、亡くなったこと。ううん、多分自殺かしら。車に乗って二人でね、海へ落ちたの。お昼のドラマにしちゃもったいないぐらい、ロマンチックな具合じゃない? ああもう、笑っちゃうわ」
 ほんのちょっと自虐的な微笑を浮かべて、言った。引きつった笑みはこの上なく、痛い。見てるこちらがこれだけ胸を痛ませるのだから、笑ってる本人はそれこそ死にそうなほど痛みを伴ってるだろう。目を細めて少女を見る。少女は俺を見ながら高らかな笑い声を転がした。
「あなたも笑いなさいよ。今なら許してあげる。そしてこれはお願いじゃなくて命令よ」
 どこぞの将軍か貴様。ただそれは口調だけだけれど。笑いながら、なおかつ踊りながら涙をこぼす少女がどこかの将軍であってたまるか。こんなにも弱々しい存在がこの世にあったのかと、不覚にもそんなことを考えてしまったりした。笑うかわりに、じっとその目を見てやると吸い込まれるようにこちらへやってきた。俺の胸にしがみつく。
「ああ、世界のみんながあなたみたいな馬鹿だったら良かったのに。そしたら世界は平和だったでしょうに」
「お前も馬鹿になるのか?」
 さんざん嘲笑ったくせに、という言葉は飲み込んだ。彼女は涙を俺の服に染み込ませながら言った。
「自殺なんかしようとするわたしは、とうに馬鹿に決まってるでしょ」
 でもあなたよりは良い馬鹿よ、とも付け足した。お前も飲み込め。でも反論する気にも突っ込む気にもなれなくて、俺はただそうだな、と肯定した。自殺しようとした見知らぬ少女を止めて服を貸してやりデザートまで与え胸まで貸してやる俺は、たしかに馬鹿に違いないのだから。でも、そんな馬鹿もいいかとまたも不覚ながら考えてしまった。

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