// 白い黒

 そこは真っ白だった。 ぼくは今立っているのか、浮いているのかさえわからないほど、白に満たされていた。 見たところ、足元に影がないから浮いているのかもしれない。 どころか、地面という概念そのものがないのかもしれない。 あまりに不安定だ。 けれどぼくの足元はしっかりと支えられていた。 不思議だった。
 ぼくの目の前には、少女がいた。 白い世界の中、黒い服を着ていた。 ゴシックのようなところどころにレースがついたワンピースだ。 胸の中央らへんは、円状に白かった。 お洒落なのだろう、ぼくには理解できないけれど。 あとは靴も髪も、持っている日傘も黒かった。 けれどこの空間に日傘というものは必要なのだろうか、とぼくは思った。 もしやこれもお洒落なのだろうか。 そんなことを考えていると彼女は今ようやくぼくに気付いたように、 こちらを見てにこっと笑った。 綺麗な白い歯と、赤い舌が覗く。 ぼくは柄にもなく、どきっとした。
「こんにちは」
「こんにちは?」
 さて、時間帯はお昼なのだろうか、などと考えていると彼女がくすっと笑う。 笑顔がよく似合う。 美少女、とはまさに彼女のことだ! とぼくは思う。
「あなたはなぜここにいるのかしら」
「わかりません、ぼくが聞きたいぐらいです」
「そう、じゃあ、わたしと一緒ね」
「一緒、ですか」
 そう、一緒、と彼女は遠くを見ながら呟いた。 ぼくはこの世界の果てを知らないけれど、もしかしたら彼女は知っているかもしれない。 そこに何があるか知らないけれど、彼女が求めたものがあったのかもしれない。 ああ、ぼくはこの世界を知らなすぎる。
「ここに、人はいないんですか」
「いるわ、それなりに。でもわたしは、追い出されてしまったの。周りの人と違って、変だから」
「変? どこが?」
「ここをずうっと歩けば、人がいるの。 でもね、あなたも私と同じだから、辿り着いてもその人たちに追い出されるわ、きっと」
 彼女はぼくの質問に答えず、ゆっくりとぼくに歩み寄りながら言った。 ぼくは遠ざかろうとしたけれど、足がうまく動かなかった。 彼女とぼくの顔の距離は、とても近くなった。
「面白い、眼球がないのね。でも、わたしのことは見えてるのかしら」
「見えるよ、全部」
 そう、と彼女はくすくす笑いながら、細い人差し指でぼくの目元をくるりとくすぐる。 ああ、そういえばぼくに瞳はなかった、と思い出す。 あまりに自然すぎて忘れていた。
「二つの黒いくぼみ。いいわね、素敵」
「そうかなあ、ありがとう」
「わたしとおそろいよ。わたしはね、二つもないけど、一つだけあるの」
 そう言って、ぼくの瞳から指を離し、自分の胸を指した。 小さいふくらみの中、円状の白。 最初ぼくはそれを服の一部だと思っていたが、違った。 どうやらそれは綺麗に貫通した穴のようだ。 後ろの白が、そのまま見えた。 ぼくはちょっとびっくりした。 ぼくのような人は、初めて見たからだ。
「面白いでしょう、触ってみる?」
 ぼくは左右に首を振る。 気持ち悪いとかじゃなくて、年頃の女の子の胸(色々疑問はあるだろうけれど)に 触るなんてとんでもなかったからだ。 彼女はそう、と言って手でその穴を塞いだ。 そうすると、彼女は普通の人だった。
「ところで、さっき人がいるって言ってたけど」
「え? ああ、ええ、そうよ。ちょっと遠いけど、先のほうね」
「でも、追い出されるの?」
「そう、わたしはあの人たちから見て、可笑しいから。あなたもきっと同じ」
「可笑しいぐらいで、追い出されるの?」
「自分と違うものがいるって、怖いでしょう。そっくりなのも怖いけど」
「そう、かなあ」
「そうよ」
 日傘をくるくる回しながら、彼女は断言した。 たかだかこのくぼみと穴だけで、人々は拒否するものなのだろうか。 今まで生きていた記憶を遡ろうとするが、よく思い出せなかった。 思い出せないぐらいなのだから、きっとそんなことはなかったのだろう。 ぼくは決心して、彼女に言った。
「ぼくを、そこに連れて行ってくれない?」
「……もしかして、街に? やめたほうがいいわよ、きっと」
「拒否されても、なんとか説得するよ、大丈夫」
 ぼくが力強くそういうと、彼女は溜息をついた。どういう意味を含む溜息なのか、わからなかった。

「後悔するわよ、でも一度は見たほうがいいでしょう」
 ちょっと悩んだ様子を見せながら、彼女は微笑んで仕方なさそうに言った。 彼女が歩き出す。それをぼくは追いかける。 追いかけ続けて、何十分も経ってようやく街の形らしいものが見え始めた。 ああ、人がいるんだ、と思うとぼくはなんだか安心した。 瞳がないぐらい、きっと受け入れてもらえるさ、とも思いながら。 街の入り口らしいところで、彼女はさっと身を隠した。
「なんで隠れるの?」
「いいから、来なさい。一度見てから判断しなさい」
「何を?」
「見ればわかるわ」
 何もわからないまま、ぼくは彼女の隠れている壁の後ろに身を潜める。 しんとした街。 コンクリートの地面と、ビル。 まるで帰ってきたかのような、感覚。 けれど彼女の表情は険しく、早くここから逃げ出したいようだった。 ぼくはなんだか自分が連れてきたようで申し訳なくて、さらに身を縮めた。 そんなところで、人らしい形が見えた。 思わず乗り出しそうになるが、彼女が腕で制止する。 口だけを動かして、言った。 「気付かれちゃだめ」……何故か、やっぱりわからなかった。 けれど言ったとおり気付かれないようにして、その形を見る。 形が動いた。どうやら二人、いるらしい。
 ぼくは声を出さず、びっくりした。 意識的に出さなかったんじゃなくて、出せなかった。 その人たちは、人と言うにはあまりにも単純だった。 銀色に光る、生き物だった。 首足腕は確認できるがそれぞれの細やかなパーツは見えない。 ただ柔らかな銀色の粘土で人の形を作ったような、ものだ。 何か会話しているらしいが、その言葉はぼくと彼女が話しているのとは違うものだと分かる。 ぼくは喉を鳴らして、つばを飲み込んだ。
「わかったでしょう、この世界では、わたし達は異常な生物で彼らがあるべき姿の生物なの。 だからわたしは追い出されてしまったわ。わざわざ裁判にまでかけられて。 まるで魔女になった気分よ。……せっかく、彼らと生活する勇気を出したというのにね」
 無駄骨だったわ、とばかりに首を振った。 彼女はぼくの反応を見て、もうここに用はないと思ったらしく彼らに見つからないよう歩き始めた。 ぼくは慌てて追いかける。 ひんやりとした汗が流れるのを感じた。 冷や汗、初めてかいた。
「世界はね、不公平な多数決で創られてるの。 たとえどんな悪でも、多数支持する人たちがいれば正解。正義がハズレになるの。 このわたし達の状況を善悪で判断するのは難しいけれど、今の例で言えば私達はハズレ。 ハズレはハズレとして生きていくしかないわ。 でも、ハズレとして生きていくのを拒んだ人がいた。 わたしよりも前に、ここにいた人。 その人は彼らと生活しようとして――失敗した。 よくわからないけど、多分、殺された。ううん、食べられた。 この世界では食べ物が少ないから」
 今は彼らの体も進化して、食べ物を食べなくても生きていけるけどねと肩をすくめた。 だから食べられることはなくなったわと付け足して。 ぼくはもっと早く言ってほしかったな、と思った。 ぼくはちょっと溜息をつきながら尋ねる。
「結局、ここはどこなんだろう」
「最初に言ったでしょう、なぜここにいるのって。わたしもわからないって。 ここにいる理由もわからない人が、ここがどこかなんてわからないわ。 でも、きっと今までわたし達が住んでいた場所とは違う場所。それだけよ」
 彼女は嘲笑するように微笑みながら、呟いた。
「あるいは、わたし達の住んでいた時よりも、ずっとずっと、遠い未来」
「え?」
「……冗談よ! そんな顔しないで。さあ、行きましょう」
「どこへ?」
「どこかよ、わたしたちがいるべき場所よ。まだ見つけてないの。だから一緒に探しに行きましょう」
 ぼくに選択肢はない、ということだけわかった。 ぼくは苦笑して、彼女の差し出す手を取った。 世界も彼女もどこへ向かっているのかわからないけれど、追いかけるだけなら、考えずに済む。 ぼくは耐え切れず、口元を緩ませる。

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