// ディーエスーレは終わらない
少年は一切のまどろみなく、目覚めてすぐに上半身をゆっくりと起こした。
その深い眠りが薬のせいだったからだろう。
上半身を起こしきって、ようやく自分のいる場所を確認するようにぐるりと周囲を見回し、そして信じられないとでも言うように大きく目を見開いて、口に手を当てた。
彼は自分のいる状況が上手く把握できないまま、よろよろと立ち上がって扉の方へと走った。
ドアノブをぐるりと勢いよく回すが、押しても引いても開かない。
そこでほんの少しの冷や汗を流しながらも、出来る限りの力を振り絞り扉を大きく叩いた。
「誰か、誰か!」
声変わりはしたようだが、年齢にしてはいくらか高いほうの声で叫んだ。
部屋に幾重にも響く扉を叩く鈍い音が彼に現実を知らしめてるようだった。
いくら叩いても誰も何も反応しない。
彼は舌打ちをして他に逃げ場所はないかと探し始めた。
けれど扉以外の道は見つからない。
トイレの扉もあったが、中は用を足すだけしか出来ない空間だった。
窓も通気口もない、唯一の扉は閉じて開かない。
逃げ道がない、監禁された。
それを理解したのだろう。
「っざけんな!」
部屋の真ん中に置かれていたテーブルを蹴る。
その振動でテーブルの上に乗っていた花瓶が花と一緒に倒れこんだ。
幸い花瓶は割れなかったものの、中の水がゆっくりと一定に滴り落ちた。
彼も溜息をつきながら脱力したように座り込んで、呟く。
「……なんでだよ」
先程の強い調子は一切見せずに、泣きそうな声でもらした。
彼のいた部屋は人一人ぐらいなら快適に住めそうな家具と生活用品が揃っている。
普通に考えてもそれらは正常だった。
だがたった一点、異常な点があったのだ。
意識しなければいいという安易な方法で解決できるものではないほど異常な点だ。
――その部屋はむらなく塗られきった一つの青い箱のように、全てが青かった。
家具も生活用品も床も天井も壁も扉も電灯も、目に付く全てが原色の青色で彩られている。
更に言うならば、少年自身も青い服青いズボン青い靴下という服装になっていた。
彼はそれにも気付いたようでゆっくりとその青い床に顔を埋めて、そっと嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
いつの間にか泣きつかれ眠ったようで、目を覚ますと青いテーブルの上に何かが乗っていた。
青い盆の上に青い器が乗っており、白い湯気が立っている。
それが目につくと彼は腹を押さえながら慌てて立ち上がった。
相当おなかが減っていたのだろう。
けれど青い器の中身を見ると突然先程の勢いをなくし、しゅるしゅるとまた生気のない顔へと戻した。
その青い器の中には、青いご飯が盛られていたのだ。
もう一つ青いスープらしいものもあったが、いずれにせよ食欲はあおられないだろう。
最初はその見た目に腰を引いていたが、餓えには勝てなかったらしい。
ゆっくりと横においてあった青い箸を手に取り、青い飯を咀嚼し、飲み込んだ。
毒が入っているわけではない、と分かった途端勢いよく口の中に詰め込む。
見たら食欲がそげてしまうからだろう、ご飯を一粒残らず口の中に入れた後、スープでそれを流し込んだ。
涙目になりながらも餓えはおさまったらしく、よろけながら床に倒れこむ。
倒れこみながらちらりと見た青いキッチンの方に、寝る前にはなかった青い鍋と青い炊飯ジャーが置いてあるのを確認した。
中身は確認するまでもなく、青いご飯と青いスープだろう。
彼は自分の状況をゆっくりと再確認し、また泣き始めた。
それからは食べて寝るだけの生活を強いられた。
強いられたというよりも、それだけしかやることがなかったのだ。
それ以外はぼんやりと天井を見つめたり、椅子に座って何かを考えたりしていた。
食料は寝てる間にちゃんと調達されていたが、一週間経てばもう日に一度程度しか彼は口にしないため、日に日に痩せ細っていくのがはっきりと読み取れる。
あるいは突然喚き出したり泣き始めたり叫び始めたりするばかりだ。
そしてその日もまた、突然叫び始めた。
「そうだ! こんなに簡単なことを、僕は何故わからなかったんだろう」
歌うようにあるいは役を演じるように彼は愉快そうに言い、青い部屋に入って見せたことのない笑顔を作った。
そして当たり前のようにキッチンの戸棚を開き、青いキラキラ光る包丁を出して、それを少年は笑顔のまま心臓に
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と、ここまで僕が書いたところで扉がノックされた。
ずれた眼鏡を直しながら「どうぞ」と言って振り向くと、顔馴染みの男が立っていた。
三十半ばぐらいの年をしているが、見た目は少々深け気味だ。
言うならばその年にしては貫禄がある、という感じ。
仕事柄そうなってしまうのだろう。
身長は高めで、僕よりも二十センチぐらいは上だ。
髪は短く黒色。ついでに黒いサングラスをかけて、きっちりとしたスーツを着ている。
そこまで言えば単なる怪しい人、あるいは黒の組織の人(僕が愛読する推理漫画の敵のことだ)にしか見えまい。
だが顔がにやにやとだらしのない笑顔をしているため、それは防げることとなる。
また違う意味での怪しさが出てくる気がしないでもないが。
「どうだい、小説の方は」
「ちょうど今終わろうとしていたところですよ」
「そりゃ邪魔したな、すまなかった」
「いいえ」と首を振りながら青と赤だけの色を再生し続けるビデオを止めた。
僕がいる部屋は、ビデオの少年のいた部屋とは違って白で統一されており、幾分小さめの部屋だった。
内装はシンプルで、ペンと紙を置くための長細いテーブルと座るための椅子、そして処刑内容を確認するためのテレビしかない。
彼は肩をすくめて笑いながら言う。
「もう今日は終わりだって、受付のお嬢さんが怒ってたぜ。
あの人はいつも時間を守ってくれないってよ」
「――つい夢中になってしまうんです。書けるときに書かないと、ペンが止まってしまって」
「お前らしい理由だな」
そう笑って言いながら、部屋の奥にあるテレビからビデオを抜き出して「それじゃあ行くか」と部屋を出た。
僕もそれに返事をしてついていく。
廊下もあのビデオの部屋と違って、きちんと自然な色で塗られてきっていた。
恐らくここまで読んだ人は、確実に僕の職業を小説家と勘違いしているだろう。
いや、勘違いと言うほど大幅に間違っていると言うわけではないが、厳密に言えば違うだけだ。
僕の職業は処刑執行観察書記人、それを世間では処刑作家と呼んでいる。
そんな危なげな仕事が生まれたのは二十年ほど前に遡ろう、処刑改正案のせいだ。
処刑改正案とは死刑を絞首刑だけにせず、もっと罪によって様々な恐怖を味あわせる処刑をするべきだという案。
本来はもっとややこしいものらしいが、簡単に表現するならばそういうことだ。
その頃の国の治安は酷く死刑が大量に行われていたため、その案は安易に可決された。
その際に処刑された家族だか処刑された奴に殺された人の家族だかが、こう希望したらしい。
「処刑される人の死ぬ間際を見たい」と。
最初それはさすがにと国は否定したが、その訴えた人の口が上手かったのか、滑稽なことに人情などを訴えていると国が迷走し始めた。
愛するものの最期を見届けたいのは当然だの、だが人権などはどうなるんだと。
そして最終的にビデオなどや直接観察できることはできないが、文などの間接的なもので知るのは良しとされたのだ。
そして生まれたのが僕の職業でも処刑作家なわけである。
勿論この職業は簡単になれるものではなく国家試験がちゃんと存在しており、その試験が国の試験でも一番難しいものだと言われていたりもするほどだ。
その上試験だけでなく、人格検査という精神的な面も問われたりする。
処刑作家は金が良いということで試験を受ける奴がいたり、処刑風景を見たい奴なんて何処か大抵狂っていたりするので、試験に受かった奴でもこの検査で大体落ちる。
「この試験に受かる処刑作家は人間じゃない」とすら言われていた。
確かに人間というよりも無機物に近い奴の方が多い気がするが、それはそうでもして心を閉ざさないと、侵入してくるからだ。
処刑される奴の心ががそっとひそかに、じわじわと。
勿論気付かぬうちに侵食されて狂った奴も何人もいた。
処刑作家だった奴が逆に処刑作家に書かれるほうに回ることだってある。
それを皆、人間らしくただ恐れているだけなのだ。
「B-274の部屋の鍵と、第五四〇一審の処刑ビデオを返却します」
「はい、お疲れ様でした」
童顔だけれども赤い口紅を引いて整った顔をした受付嬢が、笑顔を作りながら鍵とビデオを受け取った。
それなりに顔馴染みの人だが、あまり会話をしたことがない。
彼女が後輩らしい女性にその鍵とビデオを仕舞うよう頼んでいるときにふと思い出して言った。
「いつもすみません。今度からちゃんと時間を守ります」
軽く頭を下げてから顔を上げると、彼女のいつも綺麗に微笑む顔は真っ赤に染まっていた。
そして僕の後ろで声を潜めて笑っていた彼にキッときつい視線を浴びせて叫んだ。
「い、言いましたね、赤坂さん! 言うなって言ったのに! 言ったのにぃー!」
「悪い悪い。つい口が滑ってな」
「滑ってじゃありません! そんなことをしなくても
赤坂さんは駄洒落でいつも滑ってるんですから、それで我慢してください!」
「ちょ、それ言ったな、言ったな、言っちゃったな。……言うなよ」
彼女の発言で凹んだようにうなだれる赤坂。
それを満足げに見下して、こちらのほうへ視線を向きなおした。
いつもの端正な顔と違って、その表情は生き生きとしている。
よほど赤坂と仲が良いのだろう。
彼は確かに誰とでも仲が良さそうだった。
それは逆に言えば内面を見せないからこそ、出来ることだろう。
そこで考えるのをやめた。
処刑作家という仕事についてから、どうも深く考え込んでしまう。
実際のところは赤坂はあまり深く考えていないだろうに。
彼女はいつもより優しい笑顔で言った。
「ごめんなさい、桐谷さん。この人が言うことは気にしないで下さい。全て妄言ですから」
「承知の上です」
「くぉら、ちょっと待て少年少女! 俺を虐げるような発言を軽々しくすんな!」
「もう私達は成人してますし、虐げるような、じゃなくて実際に虐げてるんです」
ふん、と鼻を鳴らしながら言い退けた。なかなか口達者な人だ。
けれど鍵とビデオを仕舞い終わった後輩が後ろでオロオロしているのは気付いてもいいだろうに。
久し振りにほんの少し微笑みをもらして、技を掛け合う二人を見守った。
( 070318 )
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