// さよなら@世界

 死にたい、と呟いた。 何故なら本当に死にたかったからだ。 この世界の死でなく、もっともっとリアルな死を。 ああ、それならば今ここでこうしているべきじゃあるまい。 すぐに何処か高いビルにでも入って、エレベーターで最上階まで駆け上がり 屋上に出て何のためらいもなくフェンスを乗り越え、飛び降りるべきなんだ。 でも僕にはそれが出来ない。 自殺までの過程を想像しただけで胃が痛み始めるような臆病者だからだ。 そんな僕はもう一度死にたい、と呟いた。 今にも泣きそうな、あまりに情けない声だった。 それは正直独り言のつもりだった。 けれど本当は何処かで誰かに聞いて欲しいと願っていたのだろう。 いや、実際に願っていた。そして誰かに愚痴を聞いて欲しかった。 僕は死にたい、屋上から飛び降りてでも首を吊ってでも良いから、死にたいと。 そのささやかな(ささやかというにもあまりに小さくて儚い!)願いが届いたのだろう。 すぐ隣のベンチに座っていた少女には聞こえたらしい。 普通そんな独り言が聞こえれば、逃げるだろう。 変な人頭の可笑しい人狂ってる人。 そんな言葉は幾らでも思いつける。 けれど彼女は逃げず、ただ読んでいた本を静かに閉じた。
「なんで死にたいんですか」
 そして至極当たり前のように尋ねてきた。 僕の予想なら、死んではだめだとか気持ち悪がって去っていくとか、そうだと思っていた。 それだというのに、彼女はあまりにも異常だった。 その異常さを僕は願ったのだけれど。 僕は少し顔を歪ませて笑いながら尋ね返す。
「死ぬのに理由なんて必要かな」
「必要です。何事にも理由がなければ成り立ちませんから」
 どうでもよさそうに大事なことを彼女は言う。 僕はさらに顔を歪ませて笑う。まったくとんでもない奴と隣に座ったもんだ。 相手からすればこっちだってとんでもない奴だろうけど。 でも何せこの月曜日の平日、しかも朝の六時ごろの公園のベンチで 読んでいる本はカフカの変身だし、着ている服は黒いワンピースに黒い靴。 何処かの葬式の行列に混じっても、違和感を感じさせないだろう。 まあ隣と言ってもベンチの端から端と、それなりに遠い隣なだけ大分マシだ。
「なんで死にたいんですか」
と、彼女は質問を繰り返した。つまらなそうに、興味なさそうに。 暖かな眩しい日差しと、綺麗な水色の空にはとても不釣合いな質問だ、と思った。 けれどその発端は僕だということを思い出しながら言葉を返す。
「なんとなくだよ」
「それが理由ですか」
「君の言う理由に値するなら」
 成程、と彼女は納得したように頷いた。 それで充分だったらしい。 彼女は一層興味をなくしたようにまた本を開いて読み始めた。 僕はしばらくそれを見て、自分でも可笑しいと思う質問を困ったように言う。
「止めたりしないんだね」
「何をですか」
「僕が死ぬのを」
 彼女はまた本を閉じて、変な顔をした。 「一体何を言っているの」とでもいうような。 変な顔。そして少しだけその顔をゆがめて、言った。
「貴方は死にたいと願っただけで、死ぬと宣言したわけではありません。 願うのを止めて欲しかったのですか」
「ああ、そういやそうだ――」
 忘れていた、と言う感じに呟いた。 揚げ足を取られた気がした。生死がかかっていると言うのになんて軽い話だ。 僕は言いなおす。
「じゃあ、死ぬよ」
「無理です。貴方には不可能です」
「なんで?」
 吃驚した。そこで否定されるとは思わなかったからだ。 僕がそんなに決断力がない男に見えたのだろうか。 それとも単なる冗談だと取られたのだろうか。 それとも彼女の気まぐれか。 どれも彼女にも僕にもなんとなく不釣合いな考えだ。 僕は彼女にもう一度訊ねる。
「なんで?」
「貴方はもう死にます。自分で死ねないのです」
「――何言ってんの?」
「そのままですよ」
 そのままそのまま。意味も意義もなしにそのまんま。 その代わり救いも慈しみも何にもない。 在りのまま。 彼女は唄でもうたうように、そう言った。 けれど僕の目には変な奴にしか見えない。 僕が言うのもなんだろうけれど。
「そのままって――」
「つまりですね、わかりやすく言うと私が貴方を殺すのです」
「冗談が過ぎるよ」
「冗談は嫌いです」
「じゃあやめてくれよ」
「冗談は嫌いだからこそ、本気と言う意味です」
 彼女は立ち上がる。 気がつけばカフカの変身は、ファンタジーな剣にかわっていた。 銀色の刃に青色に帯びた握りの部分。 何の装飾もされていない、シンプルなタイプ。 彼女の細い体にとてもじゃないが似合わない、無骨でやけに大きい剣だ。 変身にも――程があるんじゃないだろうか? だが僕もこれで易々と殺されてはたまらない。 先程の死にたいという感情と、まるで違う感情が沸き起こる。 ああ、可笑しいな。 あんなに死にたいと思っていたのに。 僕はポケットの中を探る。 そして中に仕舞っていたシャープペンを取り出した。 軽いはじけるような音。 気付けばシャープペンは刀へと姿を変えている。 彼女の剣とは洒落にならないほど細い、頼りない刃。 けれど透き通るような銀色で、刃の部分は触れるか触れないかで皮膚を破る代物だ。 ――何ヶ月もかけてようやく手に入れたんだ。 こんなところで役に立つ前に殺される、なんてごめんだよ。 そんなことを思っていると、彼女が刀を見てふんと笑った。
「刀と剣ですか。辞書などで調べるとほぼ同一視されてますけど、私は違うものと考えます」
「ああ、そう」
 知ったことではない。僕は構えをとった。 何かで習ったことがあるわけじゃない。 なんとなく、一番やりやすい格好をとっただけにすぎない。 が、彼女は構えすら取らない。 せっかくの剣をぶらさげて、口の端を吊り上げて笑っているだけだ。
「構えを取らなくていいのかな」
「漫画みたいに『な、なんだ……! あの隙のない構えは!』とかなんとかみたいな 構えだけでももう凄い、っていう奴でもやってほしいんですか?」
「まさか」
 僕はその一言を言い終わる前に、走り出した。けれど彼女は自分の体を守ろうとすらしない。

「終わりだ」
 そう呟いて、そのまま彼女の胸へと刀を突き刺す。 ああ、可哀想に。 と、僕は思いつつ、動きを止めなかった。 けれど、自然に動きが止まった。 いや、違う。 ――止められた。
「つまらないお話にお付き合い有難うございます。 そのお礼で最後にネタ明かししてさしあげましょう。 私はゲーム本社の開発部にて作られた、リセットキャラクターと申します。 あまりに強大な力を持ってしまったプレイヤーと、所謂荒らしと呼ばれるプレイヤーを止めるためのものです。 最近ではそんな方々よりもプレイ時間の長すぎる、いわゆる中毒者の方を 止める役割の方が大きいかと思います。 つまり、あなたのような方です。 ネタ明かしは終わりました。それでは長い間プレイお疲れ様でした」
 彼女の刀が僕の胸を貫いていた。 ずぶずぶと音を立てて。滴る赤い血。 少女はまたつまらなそうにふんと笑って、剣を抜いた。 僕の意識は暗転する。 目の前が真っ暗になった。 そしてその瞬間、機械的な女性の声。
「ID game205様、残念ながらゲームオーバーです。 データを消すため、一度電源を切らせていただきます。 またのご利用、お待ちしております」
 ぶちりと何かが切れる音。 目にかぶされていたカバーが上に上がる。 ――ああ、ゲームオーバーか。 そこでようやく理解した。 初期にはよくゲームオーバーになったが、 最近ではまったく聞いていなかったから理解が遅れた。 その機械的な声に懐かしさすら感じるなんて。 僕は一人苦笑しながら、狭い部屋にぽつんと置いてある椅子から降りた。


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