// 思い出はオムライスの味

 どうして彼を愛してしまったのだろう、と今でも考える。 でも幾ら考えても答えが出るものではない、ということはとうに知っていた。 彼を愛する前から、知っていたと思う。
 まず思い出すのは、息苦しい狭い四畳半の部屋に二人で寝転がるシーン。 最初は少しだけ離れているのだけれど、どんどん近づくのだ。 彼の顔がアップで瞳に映る。 少し荒れた肌とか、綺麗な茶色の目とか、たらこっぽい唇とか。 それでどちらからということもなく抱き合った。 抱き締め合っただけでえろいことはしちゃいませんよ。 純愛でしたからと、今の彼氏に笑って言った。 今では軽い笑い話だ。でも、周りからは自慢話だろう。 それでも私にとっちゃ、十分の可愛らしい、切ない恋愛話だ。 ああ、ほら、脳内で勝手に再生されはじめる。 あのときの彼の声。

「俺」
 まだ声変わりしない声で、そんな一人称を言うたびほんの少し微笑んだ。 とろん、と眠気が襲う。それでも彼は真面目な調子で言い続けた。
「絶対お前と結婚するから」
「嘘」
 眠たいまぶたを無理矢理開いて笑ったまま、すぐに否定した。 確か中学生のころのことだ。 中学生なんて、夢見る時期はもう過ぎている。 それでも彼は愛しげに私を見て(きっともう彼以上私を愛しく見てくれる人はいない)言うのだ。
「マジだって」
「う、そ」
 ゆるく微笑んだ。そういう彼が好きだった。眠気が深まる。 その夢に今にも落ちそうな感覚が甘く、好きだった。 奴に抱きしめられているような気がした。 気のせいだったとは思うけれど。 私は彼のぎゅっと首元を抱きしめた。 ぬるい体温を感じて、奴がいることを確認した。 今ではもう思い出せない、感じることの出来ないぬくもりだ。
「絶対結婚してやる」
「アンタがずっと私を好きでいられたらね」
「お前はどうなんだよ」
 私のことは言わなかった。 酷く眠かったせいだろうし(その日の前に、読書をしすぎたせいだ)起きても何も言えなかった。 言わないんじゃない。本当に答えようがないからいえなかったのだ。 だからといって私は奴をずっと好きでいられる自信がないわけでもなかったし、 別の人を好きになる可能性があったわけでもなかった。 単なる、優しくて残酷な勘だ。 そんな私の考えなんて、鈍感な彼は気づかない。 もし、彼と私がいくらか違う人と何人か付き合ってから出会っていたら、 とても素敵な、長い長い恋愛が出来たと思う。 もちろんあの頃も素敵だと思うけれど、所詮子供の恋愛だった。
「おお、好きでいてみせるさ」
 今度こそ何にも言わなかった。  そして中学卒業の数日前。 私たちはそれぞれ違う高校へ行くことが決まっていた。 だから遠距離恋愛に自信がないということを理由に私から別れを切り出した。 その時の彼は何か言いたそうだったと、思う。 彼は何か泣きたそうだったと、想う。 彼は何か叫びたそうだったと、おもう。 その表情だけが、私のまぶたに鮮明残る思い出だ。 ふと思い出してふと謝りたくなるほど、ひどい。
 今瞳を開いても奴はいない。いるのは今の彼氏。 そして世の汚い事情も理由も訳も、何もかも知ってしまった大人の私。 私はキッチンに立って、食べ物が詰められた冷蔵庫をあさりながら言った。
「ねえ今日は夕飯にオムライスを食べましょう」
「何で?」
「童心に帰るためだよ」
 何より隣の人からもらった物の卵が、使いきれそうにないほどあったせいだけれど。 彼氏は笑いながら返す。
「それって昔の思い出のせい?」
 彼の吸う、煙草のにおいが鼻につく。 あまり煙草は好きじゃないけれど、彼が吸っているのは好きだった。 私は頭にオムライスの必要な材料を過ぎらせながら答えた。
「そうよ」
 ああ、そういえばあいつもオムライスが好きだった。そんなことを思い出した。


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