// 一人ぼっちの追悼式

 先日、祖母が亡くなった。 駄菓子屋を長年営み近所の人々から親しまれてきた祖母の葬式には、大勢の人が来た。 知らない顔の中年や小さい子供が、本当に悲しそうにしている。 俺にはそれがやけに不思議な光景に思えた。 以前にも一度だけだけども、葬式に出席したことがあった。 それは祖父の葬式だった。 祖父は祖母と違い人嫌いで、外の世界と完全に断ち切った生活をしたため、 小さい上に顔見知りばかりのものだった。 そのうえ、皆が悲しみに統一されてるようなことはなかった。 寧ろ面倒臭い頑固なじいさんが死んでほっとしたような、安心感を漂わせてる人すらもいた。 表情には出さないにしても、雰囲気とかが小さい俺でも何かしら感じられた。 それを思い出すと、祖母はどれだけ人に親しまれてきたのかが、よくわかった。 けれどその周囲にいる人間のように、悲しみに明け暮れるようなことは無い。 俺はもう中学生なのだ。泣いてなんて、いられない。 別に泣いていられない理由など、これっぽっちもないけれど。
 葬式が終わって数日後、通りすがった祖母の駄菓子屋はシャッターが締め切られ、張り紙がされていた。 「長い間親しんでくださって有難うございました。諸事情により、締めさせていただきます。」 簡潔な言葉だった。小さい、細かい字からすると、おそらく母さんの字だろう。 諸事情なんて書いても、どうせ皆わかっているのに。 その張り紙をそっと撫でてみた。 ざらざらした紙の触感が、やけに物悲しく感じたのはきっと気のせいだろう。 俺の通学路は、かならずその駄菓子屋の前を通らなければいけなかった。 毎朝、毎夕、かならず。田舎だから違う道を行こうとすれば、かならず遠回りになる。 そして通るたび、祖母の残された悲しさとか寂しさとかが残っているような気がして、 その日に日に錆びつくそれらが、体にこびりつくような気がした。 いつか溜まって、鉛のように重くなるんじゃないんだろうかとも考えた。 考えるだけで、いつも体は身軽だったけれど。
 半年ぐらい経ったある日、ふと立ち止まってじっくり駄菓子屋を眺めてみた。 別に何も考えず、ただじっくりと。 白いシャッターはいつの間にか、カラースプレーで描かれた歪な文字と絵で埋まっている。 なんて書いてあるのかわからないけど、ろくなものではないことは確かだ。 こんなものになるぐらいなら、いっそなくなってしまえばいいのに。 そんな俺の気持ちをまるで察したように、父が夕食頃に突然駄菓子屋の話を切り出した。 駄菓子屋を壊すことが、親戚中で話し合われてるそうだ。 既に中学を卒業し、高校生になった俺は数ヶ月ぶりに父さんと話すことになる。 ひいふうみい……と頭の中で何ヶ月喋っていないかを数えていると、父さんが言う。

「お前はどう思う」
 少し酔っていたようだから、ウソかと思った。 けれど、父さんの後ろでキッチンに構えていた母さんも真面目な顔をしていたから、本当だとわかる。 ちょっと戸惑いながら、訊ねた。
「ばあちゃんのだろ?」
「うん、壊して売ろうって。ちょうどあそこに建物が建つらしくてな。 立ち退き金をきっちり等分で。親戚はみんな了解してる」
「ふうん、いいんじゃないの」
 そこで会話は途切れた。 父はそこから話を追求しようとするわけでもなく、ちょびちょび酒を飲み続けている。 俺もゆっくりと夕飯をかきこむ。 テレビでは、夕方のニュースが流れている。 県で新しく土地開発がされるそうです。これからの新しい未来をどうのこうの。 画面に映った土地に、ぽつんと建っている祖母の駄菓子屋が移った。 ああ、これがか、と思った。どうでもいい話題だった。 ぼんやりしていると母さんが二階に洗濯物を持って、階段を上がる音がした。 夜に洗濯物を干す癖はやめてほしい、と以前言ったことがあったが 「アンタ、恥ずかしい柄のトランクスがご近所に晒されていいの?」の一言で 俺の口は閉じさるをえなかったこと思い出す。 そこで父さんがまた突然口を開いた。父さんの発言はいつでも突然だ。
「俺さ、本当は殴られるかと思ったよ」
「はあ? 誰に?」
「お前にだよ」
 また違う突然さで、父さんは言った。 照れたように笑いながら、酒を飲む。 母さんに言われている量より今夜は少しだけ多いようだ。
「お前、おばあちゃんっ子だったから。この話切り出した途端、泣き叫びながら殴るんじゃないかと」
「……いや、馬鹿じゃねえの。そんなの、するわけないじゃん」
「いや、たしかにそうだけどさ。お前なら有り得そうで」
「馬鹿にしてんの」
「そんなんじゃないんだよ」
 そんなんじゃない、と繰り返し小さい声で呟く父さん。 正直俺はおばあちゃんっ子と言われ驚いていた。 寧ろ祖母不幸といわれてもしょうがないんじゃないか、と自身で思っていたのに。
「なんで、俺がおばあちゃんっ子だと思ったんだよ。小さい頃の話だろ」
「つい最近まで俺はそう思ってたがな。いつも無関心なふりして実は後ろにずっとついている感じで」
「意味わかんねえよ」
 毒を吐いて、自分の部屋に駆け上る。 その途中、母とすれ違って「夜にバタバタ走るんじゃないの」と一喝された。 けれどそれに気にすることも無く自分の部屋に入ってベッドにダイブした。 軋む音が響く。部屋は暗い。息がほんのすこし上がる。 溜息をついて、落ち着かせた。 そしてすぐに上半身を起こし、ベッドのすぐ上にある窓を覗く。 そこから駄菓子屋が見えた。 暗い中、電灯に照らされてほんのすこし影が分かる。 ほんの少し、口の端を引きつらせて笑った。
「は」
 カーテンを乱暴に閉めて、またベッドに勢いよく寝転ぶ。 息を吸う。冷たい空気だ。けれど、きっと汚い。 窓を開けようか? 面倒臭い。 そんなことをぐだぐだ考えているうちに、眠りにつく。 ただ眠る直前まで、まどろみながら生きたい、と思った。 ただなんとなくだ。別に、深くは考えてない。 多分、祖母の生きてた証が消えていくのを見て、思った。 それだけの、はず。
 一週間ぐらい経って、何処かの野球チームの帽子をかぶって俺は自転車で祖母の家へ走った。 ちょうど工事の準備が行われる直前らしいのか、まだ誰もいなかった。 朝早いからかもしれない。どうでもいい。 俺は自転車を降りて、深呼吸した。 スプレーと土に汚れた駄菓子屋を前に立って、帽子を外した。 帽子は胸に当てて、眼を瞑る。
 そして俺は追悼する。 祖母を駄菓子屋をこのちっぽけな世界を。


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