// Bye Bye soon

 僕は誰もいない村に生まれた。 実際はきっと僕を精製してくれた両親がいただろうし、育ててくれた人がいるだろうから人はいたのだろう。 けれど僕がそれを意識する頃には、大人も子供も動物もいなかった。 可愛い玩具みたいな小さい家が並んでいたのに、中には誰もいなかった。 何処へ行ったかは、僕は知らない。 だから追いかけようもないし、追いかけようとも思わないからただただほつれた人形を抱きしめる。 決して愛らしいものではない人形だけれど、何故だか愛しいと思う。 誰かにもらったのか、買ってもらったのかも知らないけれども。
 そこで僕はふとポケットの中の飴の存在を思い出した。 ある家にそっと足を踏み込むと、散らばった飴があったのだ。 飴たちは赤い水玉模様の描かれた紙に包まれていた。 中身は丸い青色のものだ。 でも大分前からあったものなのか、食べられそうなものは少ない。 結局幾つか落ちていたなかで、食べられそうなものは一つしか見つけられなかった。 そのたった一つの飴を口に含む。 甘ったるい味が口に広がった。 確かしるべが飴は果物の味を真似ているように作られているといっていた。 けれど僕はそもそも果物自体食べたことがないから、何の味かさっぱりだ。 ころころと飴を転がしていたが、しばらくしたら飽きたので人形を抱きしめながら、声を上げた。
「しるべ、しるべ」
 僕は彼の美しい名前を口にする。 しるべと僕だけが、この村にいた。 聞いたことがないからわからないけれど、多分しるべが僕を育ててくれたのだと思う。 そのしるべはいつも何処にいるか分からない。 けれど名前を呼べば何処からかひょいと顔を出す。 今日は僕の丁度真上に会った木から下りてきた。
「ああ、こんばんは」
「こんばんは、しるべ」
 彼はとても美しい見た目と、声と、名前を持っていた。 ただ僕は自分の姿としるべ以外の人間を見たことがないから 基準がわからないのだけれど、それでも僕は美しいと思う。 僕の方はどうなのかは知らない。 けれどしるべはいつでも僕のことを美しいと褒め称えてくれた。 でもきっと、しるべほどではないだろうに。 しるべがそっと僕の体に近づいた。 鼻を小さく動かしている。 匂いをかいでいるらしかった。
「甘い匂いがするよ。何を食べているの」
「家の中で飴を拾ったんだ」
「僕にもくれる?」
 僕は困った。 さっき言ったとおり、飴は一つだけしかないのだから。
「飴はこれしかないんだ」
「じゃあ、それを頂戴」
 そういって彼は僕の顔に、自分の顔を近づけた。 彼の唇が僕の唇触れたと思ったら、舌が入ってきた。 冷たいぬるぬるとした舌だった。 それは僕の舌で踊っている飴を捕まえようとしている。 けれど飴は上手い具合に逃げ続ける。 いや、飴が逃げてるんじゃなくて彼の舌が捕まえようとしていないだけなのかもしれない。 どちらかはわからない。 最初はちょっと吃驚したけど、途中から苦しくなってきた。
「ん」
 苦しくて逃れようとするけれど、しるべは僕の両肩を掴んで離そうとはしてくれない。 涙が出そうになった。 僕は瞑っていたまぶたを開いて、彼の開いたままの瞳に哀願する。 する気だった。 僕は突然の出来事で、目を見開いたまま呆然とした。 しるべがそれに気付いたのか、ようやく唇と両肩を解放してくれる。 口の中の飴は、もうなくなっていた。
「どうかしたの」
 ああ、しるべ。美しいしるべ。僕はなんだか悲しくて涙が出てきた。 さっきの苦しいとは違う苦しさが僕を襲う。 襲う、というより優しく包み込むように。
「しるべ、しるべ……しるべ。僕は見てしまったよ」
「何を見たの」
 僕は嗚咽を飲み込む。
「僕は君の瞳で、自分自身を見てしまったよ」
「――ああ」
 彼は酷く寂しげに、呟いた。 気付いてしまったのかと、残念そうに。
「僕は、君は」
「いいよ、何も言わなくて。今まで騙していてごめんよ」
「……ああ」
 僕は涙と吐き気をこらえる。 しるべはほんの少し困ったような笑顔を見せた。 その笑顔は気付く前には、酷く美しいと思っていたのに。 しるべが口を開いた。
「君が今気付いたとおり、本当は僕は酷く醜いんだ。 右半身はケロイド状でぐちゃぐちゃだし、左半身はやけどを負ったようにぼろぼろだ。 歯は所々抜けてしまってるし、鼻は低いし目は瞼がはがれている……。 僕は生まれた頃からそうだったのさ。 だから君が生まれる前の村人たちがいた頃には酷い扱いだったよ。 化け物と何度罵られたことか。石を投げられたこともあったよ。 両親は既にいなかったから、守ってくれる人は誰もいなかった。 いや、いたとしても守ってくれたかはわからないけれど。 でもね、僕はずっと我慢してきたんだ。僕は自分でも醜い事を知っていたから。
けれどある日、とうとう僕は耐え切れなくなったんだ。 ある美しい夫婦の女が身篭ってね、村人たちがさぞ美しいだろうともてはやしてね。 ああ、僕はこれ以上醜く見られてしまうのかと思ったんだ。 それを考えたら耐え切れず――村人たちを殺してしまった。 何で殺したかは忘れたよ。でも僕は今までにないぐらい頑張って殺した。 最後にその美しい夫婦が残った。 男は女を守ろうとしたけれど、殺した。 女は涙を零して助けを願った。でも殺そうとしたら、化け物と罵られた。 だから他の奴らよりも酷く殺した、と思う。 ただ――女の腹を割いたときに、君が出てきた。 君も死んだかと思ったら、泣き声をあげてね。 きっと僕はそこで殺すべきだったんだと思う。
でも僕は君を育てた。 昔何かの本でひよこが初めて見たものを親だと認識する、っていうのを見てね。 人間でも出来ないだろうかと思ったんだ。 村の君自身を見れそうな類のものを壊して、村人の死体と血を処分ね。 そしたら――上手くいった。 正直ここまで上手くいくとは思わなかった。 君は良い子に育ったし、僕は初めて生きていて良かったと思ったよ。
でも……ここで失敗した。 まさか、僕の瞳で自分の顔を見るなんて思わなかったよ。 残酷だね。神様はいつだって僕には味方してくれない」
 しるべは溜息をついた。 もう空は暗いから、表情は見えない。 僕は涙を流したまま、唇をしるべの唇につけた。 さっきのとは違う、柔らかなものだ。
「きっと僕としるべの考えていることは全く逆だよ。 しるべは自分の姿を醜いと思っているだろうけれど、僕にはやっぱり美しくにしか見えない。 しるべは美しいよ」
「――ああ、有難う。有難う」
 しるべはまぶたのはがれた瞳から、涙を零した。 それはとても美しい姿だ。 僕はそんなしるべを抱きしめる。 村人たちから罵られたしるべも、村人たちから殺したしるべも、 罵った母親を残虐に殺したしるべも、僕を生かし育ててくれたしるべも、全て美しい、僕のしるべ。 僕は泣くしるべを抱きしめたまま、僕を身篭ってくれて殺されてくれた両親に心の中で感謝した。


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