// ストーカー

 さて、あの男が私をつけてから、どれくらい経ったろう。 ふとそんなことを考えた。 私が気付いたのは三ヶ月前だけれど、もしかしたらもうちょっと前から つけられていたかもしれない。 私は特に鈍感だから、半年前だったなどと言われても仕方がないかもしれない。 いや、そんなこと言われる心配はないだろうけれど。
 本当に明確に覚えてないぐらい、平凡な日常のある日だった。 私は突然あからさまな視線を感じた。 気のせいかもしれない、と思えないほど明らかにあからさまなものだ。 今の今までひっそりとしていたけれど、突然大胆になったような。 もしかしたら私が彼に気付かないことが、彼にとってはもどかしかったのかもしれない。 あるいはその時初めて私をついてきたのか。 そんなことはわからない上にどうでもいいだろう。 それから、毎日何時でも視線を感じるようになった。 会社にいても家にいても何処にいても見られている。 初めのころはひどく怯えた。最終的に何をされるのだと。 頭の中で自分がどんどん追い詰められていく想像が 止められないぐらい広がって、自分で自分を追い詰めた気がした。 けれど一ヶ月ほど経ち、何にもしてこないことで 今度は嫌悪感と怒りが湧いてきた。 何故知らない男に私の生活を見られていなきゃならないのだと。 たまに無性に叫びたくなるような感覚もあった。 何故私なのだと、何故つけるのだと。 答えられても困るような問いばかりだなあ、と今更ながら思う。
 そういえば何時だか忘れたが、本気で追いかけられたことがあった。 誰もいない暗いコンクリートで、私の靴の足音が反響する。 そして彼の足音が私の足音と重なりながら、反響する。 どうせつけてくるだけだと、その日も安心していた。 だが、瞬間。気を抜いた瞬間。 足音が早くなった。 ぞくりと背筋を這う不安。 私は持っていた茶色い皮の鞄をぎゅっと握り締めた。 そしてあまり走るのに向いていないであろう皮靴で、走る。 突然私の足音が速くなったことで、相手の足音も速まる。 鬼ごっこ。 ふと頭の中に浮かんだワンフレーズ。 そんな楽しいものじゃない。 私はもうまともに数年使っていない足を、無理矢理動かして。 ……そのときはなんとか逃げ切れた。 今思えば良い思い出とはとても感じられないが、よく逃げ切ったものだと思う。 人間何か大切なものが失われると感じると、どうにかなるものなのだ。
 さて、彼を思い返すのはこれぐらいにしておこう。 思い返しても良いことがあるわけじゃない。 私は受話器を取って、警察に電話した。
「はい、もしもし。警察ですが。どうなさいました?」
「あ、警察の方ですか。 突然ですがすみません、私ストーカーされてるんですが」
 まだ若いらしい警察官の息の飲む声が聞こえた。 この一言で信じていいのだろうか。 イタズラという考えを思いつかないあたり、新人らしい感じがする。 けれど私は取り乱したりせず冷静に、今現在のことを伝えようとする。
「ええと、詳しいことを教えていただけますか」
「ええ、三ヶ月ほど前から――多分三十代ぐらいの男性につきまとわれていて」
 警察官が、そこで少し戸惑った唸り声を出した。 どう対処していいものかと悩むような。 しばらく間を空けて、おずおずと尋ねてきた。
「あのう……悪戯電話では、ありませんよね」
「はい。しっかりストーカーされてますから」
「ええとあの。失礼ですが、性別をお尋ねしてよろしいですか」
電話なのだから彼には見えないであろうけれど、大きく頷いた。 そして堂々と答える。
「男ですが」


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