// 君と私の平行線

 平行線を一緒に辿ろう。 そうすればきっと、何処かに辿り着くから。
 何処かで見た映画のワンシーン。 くさい台詞を悠々と言い切る男がいた。 よく覚えてないけれど、ヒロインも私と似た呆れた反応をした。 けれどやっぱり都合のいい展開になって ヒロインはその男と一緒になるのだ。
 なんてご都合主義。 一緒になってしまっては、平行線じゃないじゃないか。 平行線は、決して交わらない、一定の距離だからこそ。
「最上」
 名前を呼ばれた。私は振り返る。 声の主は、私がマネージャーとして所属する 陸上部の頭が堅いと有名な部長だった。 いつもながら近寄りがたい雰囲気だ。 と言っても、三年も部活が一緒だと慣れてしまう。 何? と私は表情を変えずに返した。
「相川だ」
 たったそれだけ言った。 私は何がと訊ね返しもせず頷き、棚の上にある救急箱を取る。 そういえば以前友人に「綾田と最上は、老夫婦のようだ」と 言われたことがあった気がした。よく覚えてないけれど。 確かに私は言葉の片鱗を聞いただけで 彼の言いたいことはそれなりに理解できる。 でも、老夫婦とは別物だ。 老夫婦は通じ合っているけれど 決して私と彼は理解してるだけで、通じているわけではない。 いざ、二人の立場を変えてみれば きっと彼は私の言うことがわからないだろうし 私も彼に云々言えはしまい。 のろのろと重い体で、私は救急箱を手に後輩の元へいく。
「相川」
 ベンチで、顔にタオルをかけていた。 ふと私の声にそのタオルをどかし、困ったように笑う。 私は瞬間呆れた表情をしそうになったが 彼の隣に救急箱を置きつつ我慢した。 無表情で、慎重に目を合わせないように訊ねる。
「何処やったの」
「足です」
「どっち」
「あ、右の方です」
 私は頷いて、彼の右足を見やる。血は出ていない。足を捻ったか。 救急箱から包帯などを取り出そうとする。 すると、突然相川が口を開いた。
「最上先輩」
 正直、吃驚した。体が少し震えたぐらい。 何故なら彼とは喋ったこと、怪我の手当てすら初めてだったからだ。 そもそも彼も私も他人と積極的に交わるタイプではない。 大会で怪我したらしいことなどは、なんとなく知っていたけれど あの時は違うマネージャーが手当てしたし 何より私はその場にいなかった。 そう、正に私と彼こそが、平行線なんだ。 決して交わらない、それ。
「……何?」
 ここで無視するのもなんだろう、と私は言葉を返す。 手当てしながら話すなんて、大したことではない。 他の奴らなんて手当てしてるというのに、体を動かすのだから。
「先輩って」
 相変わらず困ったように笑い続ける後輩。 けれど次の言葉に、私は思わず手を止めた。 目も見開いたと思う。 部長と付き合ってるんですか。 たった、それだけの言葉だというのに。
「付き合ってなんて、ないよ」
「本当に?」
 思わず笑いながら返す。 その笑みは、ひどく嫌味ったらしく。
「こんなカップル、いたら嫌でしょ」
「そうかな?」
 今さらながら、少し恥ずかしくなったのだろう。 耳を赤くして頬をかく。 彼は純粋すぎて、なんだか痛々しかった。 瞳を覆いたくなるように、眩しい光をさらされたように。 代わりに私は、眼を瞑って、世界を遮った。
「長い間一緒にいるからって、通じ合えるわけでもないよ。 隣にいるからって、全てがわかるわけでもない」
「でも、嫌いじゃないんですよね」
 言葉を失いかけた。 けれど頭の中を光速にめぐらせて、なんとか言葉を出す。 少し声が裏返りかけたかもしれない。
「嫌いだったら、隣にはいないでしょ」
 だからと言って、好きってわけでもないけどねと しっかりと付け足して。 やっぱり相川は困ったように笑う。 兄弟で一番下なのだろうか。 よく甘えが見える。 けれどそれには、決して妥協しない。
「はい。一週間は安静してな」
 無理矢理手早く処置を終えて、私は立ち上がった。 逃げたくて仕方がない。 一年分あるいはもっと、喋った気がしてならなかった。 まだ何か言いたそうな表情をする彼を視線で殺す。 口を封じる。 また困ったように笑いかけた彼は悲しそうに、微笑んだ。 純粋すぎる先程の笑みよりも、痛い。 きっと私は小さい子だったなら、泣かないでと頭を撫でて言った。 でも一つ二つしか違わない(さて彼は何年生だったろう)相手に そんなことは言うまい。
「あの、有難うございました」
「別に、マネージャーだし」
 当然極まりないという口調で言い切る。 逃げろ、自分。 私は立ち去る。
 部活を終えて、制服に着替える。 今日はやたらと疲れた。 早く帰りたい。 そんなことを頭の中で延々と繰り返しながら、校庭を横切ろうとした。 途端、一つの影。否、一人の人間。
「部長?」
「ん、最上か」
 声をかけてようやく気付いたように、彼は淡々と返事を返す。 額には汗、手には陸上のシューズ。 まだ練習していたらしい。 陸上部部長な上確立した実力を持ちながらも、練習をこなす人。 ……一体何処の漫画の人だよ。
「綾田」
「何だ」
 堅い表情で立ち止まった、彼の後ろに夕陽。 彼の影が、長く長く。 それがなんだか綺麗で、ただただ瞬間的な思いが巡る。
「付き合おうか」
 本当に瞬間的。光速で頭を体中を巡る。 後悔も緊張もすべて光速で。 今思えば心臓も、有り得ないくらい大きな音で鳴っている。 私の半径三メートルにいる人には、聞こえてしまうぐらい。 顔を上げた。 未だ堅い表情の彼。 口が開く。
「最上もそうだろう」
 一瞬、わけがわからなかった。
「冗談は、嫌いだ」
 わけがわかった一瞬。 いつもの私なら、彼からきっと違う反応を得ただろう。 けれど"いつもの私"とは全くかけ離れた、あまりに軽い告白に。 彼は冗談だと受けとった。 普通だ。
「うん、そうだね。私も嫌いだよ、またね綾田」
「ああ、また明日」
 彼の影が動く。 長く長く伸びた影は、私と触れることなく、見えなくなる。 私は嗚咽も何も漏らさずに服の袖を握り締めた。 彼が好きではない、と後輩に言ったばかりだったのに。 何故か告白して、振られた。 何故か。 何故だろう。 平行線を求めてただけだったのに。 気がついたら、交わることを求めていた。 私はご都合主義のヒロインになりたがって、しまった。
「あーあ」
 けれど、振られたからまだ平行線でいられるのだ。 彼と私の性分だ。 わざとらしく距離を置くことはあるまい。 私は何時の日かの映画を思い出す。
 平行線を一緒に辿ろう。 そうすればきっと、何処かに辿り着くから。
 一緒に隣にいるからといって、通じ合えるわけではない。 けれど、一緒に辿ることはできる。 一緒に辿って辿って、辿り着こう。 通じ合わなくても愛し合わなくてもいい。 一緒にいようか。いてくれると、嬉しい。本当に、そう思った。 不意に涙がこぼれそうになるのを抑えながら、空を仰ぐ。 私は大きく伸びをする。

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