// うさぎと金魚

 つまらないメロドラマよりもつまらない。 うさぎは寂しいと死ぬだなんてお話。 どうせヒロインが私がそのうさぎだわなんて狂ったこと言っているのだ。 お前は人間じゃないのかよ、と突っ込みたくなる。 もちろん私だって彼女が本気で言っていると思ってはいない。 単なる比喩に過ぎないことは分かっている。 だからこそなお、嫌になるのだ。
 私は昔からうさぎが好きだった。 うさぎの綺麗な赤い瞳とか、白い長い耳とか。 そういう単純な好きだ。 別にうさぎが汚い濁った色の瞳だったり、黒くて短い耳でも 私はきっと好きになっていただろうと予感している。 単純な好きだけれど、心底単純な好きだからこそ。 ……とかまあ、私は色々考えていた。 でも色々考えたところでどうなるってわけじゃないし、 私のうさぎ好きは止まらないだろうし、 止まったところで世界が崩壊へ導かれるわけでもなかろうし。 ああでももし、私がうさぎが嫌いになることで崩壊へ導かれるとするならば 私は世界中の人間から責められて、無理矢理うさぎを愛さなければいけないのだろうか? それは嫌だろうなあ。 自主的な愛が私は好きだから。
 さてそんな私にも自主的な愛で育んだ恋人って奴もいるわけだ。 そんな彼がふと口にした無駄知識に私は少しだけ翻弄される。 私が喫茶店のバイトをしていたときで、奴は格好つけて足を組み、 カウンターでココアを飲んでいるときだ。 格好つけているくせにコーヒーを飲めない彼だった。
「うさぎって」
 ぼんやりと窓の外でも見ながら彼は呟いた。 うさぎのキーワードに私はつい過剰な反応 (例を出すとすれば、その際洗っていた皿を割ったりとか)をしつつ、平静を装った。 バレバレだとは思う。 けれど彼は窓の外に眺めていたし、音にもどうでも良さそうだった。 洗い終えた食器(と、割れた食器)を始末して、自分の分のコーヒーを用意し 彼の隣に腰掛けた。 そこでぽつり、と続きを言う。
「死なないらしいよ」
「は? ……えーっと、うさぎって不死身でしたっけ?」
 思わず冷静に考え、疑問で返す。 うさぎは不死身。 うさぎマニアな私も聞いたことがない話だ。 鶴は千年、亀は万年、そして兎は不死身?  ああ、素晴らしい話じゃないか。 でもそうなると兎増殖しすぎで大変なことになるだろうなあ。 私にとっては天国なのだろうけど。 だが彼は違う違う、と笑いながら否定した。
「そうじゃなくて、うさぎは寂しくても死なないってさ。 有名な話じゃんか。うさぎは寂しいと死ぬって。あれ嘘なんだってよ」
 私の勘違いに笑みを零したままだったけれど、 すぐに話が通じなかったことにほんの少しいらついたのがわかった。 本当に分かりやすい性格をしている。 長年付き合っている私だからこそかもしれないが。 結局主語述語をしっかり使わない彼が悪いのだから、 私は謝罪を言わずに首を傾げて返した。
「えー、だってうさぎって寂しいと死んじゃうって本当に有名じゃん。 ホラ、なんだっけ。歌もあったよね」
 必死に記憶をあさるが、どうにも見つからない。 曲名は忘れたけれど、サビのワンフレーズはなんとか覚えていたのでそれを口ずさむ。 その歌が流行った当時私はこの歌を聴き、女性らしいか弱い感じがよく出てるな、程度にしか思わなかった。 どうも昔から男らしいと評判の私には それが他人事で共感やら何やらは沸き起こらなかった。 でもうさぎということとか、リズムとかで好きではあったけれど。 昔から感動から程遠い私だ。 彼は少しだけ過去に浸りながら、口ずさむ私に対し大きく頷いた。 それも、かなり真剣な顔で。
「そうなんだよ、酒井法子さんが歌ったんだよ」
 碧いうさぎの曲名を思い出し、それに加え酒井法子がその歌を歌ったことを思い出した。 そういえば彼が酒井法子のファンだったな、ということも連想的に思い出す。 まるで結婚詐欺にでも騙されたように言うので、少し噴出しそうになった。 けれど我慢して、ココアを一口飲んだ。 甘い味が口いっぱいに広がる。 鼻にも甘ったるい匂いが届く。 彼の方は既に飲み干してしまったようで、神経質に貧乏ゆすりをしている。
「コーヒー、お代わり入れようか」
「いや、いい。それよりも、もうひとつの話知ってるか?」
「何?」
 私は彼に飲み干されたマグカップを キッチンに運び、さっさと洗おうとした。 元はそんなもの、たまった時にまとめて洗えばいいと言う 典型的な怠け者だったのだが この店に勤めてからは客が絶えず、溜めていては 食器が足らなくなってしまうのですぐに洗う癖がついた。 これは決してためなくても、元々食器の数が 少ないここが悪いのだ、と最初は毒づいたものだ。 マグカップを洗っている私は彼のほうをちらりと見た。 彼は真剣な顔のまま、拳を握っている。
「金魚は死ぬんだぞ、寂しいと」
 お、今度はちゃんと主語述語使ってるな、と思いながら「ふうん」と返した。 金魚は寂しいと死ぬ、と言われてもうさぎと同様ピンと来なかった。 よく子供の頃、夏祭りの夜店で金魚をすくい それを何年も生かした覚えがあるからだ。 一匹ぐらいはまだ実家に残っているかもしれない。 そんな私の考えを読み取ったのか、彼が付け加える。 チッチ、と人差し指を左右に振りながら。
「一匹だと、寂しくて死ぬらしい。  だから俺は証明のため金魚を一匹、購入した」
「馬鹿」
 思わずそれが最初に溜息と一緒に口に出た。 そんな間抜けなことを証明するため、 金魚を一匹購入し、その命を消そうというのだから。 別に「命は大切よ!」なんて子供じゃないんだから そんなことは言わない。 だが、ただ本当に馬鹿だと思った。
「愛情をたっぷり込めて育ててやった。餌もたっぷりやった。  そりゃもう、二日三日で水が濁るくらい」
「駄目じゃん」
 思わず笑う。 だが彼の真剣な顔は崩れなかった。 机を叩いて、経過を話す。
「で、数ヵ月もしないうち死んだ。  可愛い俺のチャッピー(♀)は死んだ」
「なんか愛着湧いてるし」
「いやいや、これが可愛かったんだって。  なんかさ、こう他の金魚とは違う端正な顔立ち?」
「語るなよ」
「絶対他にオスいたらモテた」
「メスがいたら?」
「あまりの美しさに嫉妬された」
 真剣な顔で言い切った。 こいつは。 ……真性の馬鹿だ。 金魚よりもうさぎよりも、何よりも馬鹿な男がいる。 そんな馬鹿な男と付き合う私がいる。 なんて馬鹿げた話だ。 私は笑うだけ笑った後、ようやく本題を訊ねた。
「あー、おかし。で、なんでそんな話題を急に出したわけ?」
「ん、いや」
 ずりずりと上半身をカウンターに倒し、敬士は腕に顔を隠す。 この年頃の少年がそうやるのはなかなか貴重だよな、なんて思った。 きっと将来変なプライドを持ってこんなことしなくなるだろうから、 と思い頭の中で永久保存版として取っておいた。 そういえば私たちもうそろそろ二十歳だな、とふと考えた。
「んーんーあんな」
「はいはい、なんでしょ?」
「なんか、俺たちみたいだなあ、って」
 爆弾投下。降下中に爆発。逃げ惑う人々。 警鐘があたり構わずごんごん頭の中で打ち付けられる。 予想外の展開。いや、想定の範囲外でしたとでも言って、コメディに持って行く? さりげなく流行語を使いつつも、少し途惑っていた。 彼がこういう話を持ちかけることは 今までなかったし、私も出したことはなかった。 もしや別れ話ですか、と誰かに呼びかけた。 その誰かは答えてくれない。 そのかわり彼が慌てて答える。
「あ、いや、違うって。あのただ、そーいう感じだなぁって」
 別れ話ではないことに少しほっとした。 今まで何年も付き合っていたから、勿論そういう危機はいくらでもあった。 けれどいつだってどちらも感情的で、明らかに一時的な危機でしかないことがわかっていたからだ。 今日はいつもと違う雰囲気だから少しおびえただけ、だ。 ほっとしている私に、少し困ったような笑みを見せてくる。
「もしもだけどきっと、さ。お前が俺の前からいなくなったら、俺寂しくて死ぬと思うんだ。でも」
 その言葉を言うべきなのか迷った様子を見せて。 (ああ、結局は絶対言うくせに。嫌な奴だ)
「お前は、俺がいなくなっても寂しくても死なないんだろうな、って」
 ほら、言うときは迷いも何にもない。 (そういう奴じゃないか) 私は彼の気持ちはよくわかったし、自分でもそう思う。 彼は死ぬが私は死なない。 きっと、そうだろう。 私は衝動的に泣きたくなった気持ちを抑え無理矢理笑った。 引きつる頬がやけに痛い。 指先でわかる、どんどん冷めていくココアを無理矢理飲み込むように。
「そうだね、私はきっと死なないよ。でも死なない分生きてる間、ずっと寂しがる。死ぬほど、寂しがる」
 彼のテーブルの横で、私はココアを飲む。 冷めてはいない。ぬるいだけ。 私はそれを一気に涙と一緒に飲み干して、また笑った。
「愛してくれて有難う。大好きだ」
「……どういたしまして」
 困った顔が一気に笑顔になる落差がひどく魅力的だ。 彼の温度が私の温度を侵食する。 抱きしめられた。 何にも言わず抱きしめられてる間、 彼が金魚のチャッピーや酒井法子に 注いだ愛を、私は何十年もかけて全て奪おう。 そんな計画が、ふと頭の隅で芽生えた。

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