// (四・秋)

 夜になると足元が冷えて、もう秋が来てしまったのだ、と思う。二年目の秋にもなると、もう新鮮味も何もない。早くまた長期の休みに入って、何もしたくなかった。でも寒くなって欲しくもない。このまま虫が出ない程度の寒さで、永遠に続いてほしい。それから、早く春になって――。
 扉をノックすると、騒がしかった声がぴたりと収まって、おそるおそる開かれた。背の高い一年の二人組が、いかにもまずい顔でこちらを見る。バトミントン部、だったか。中学から一緒だったとかなんとか。やっぱり体育会系は嫌いだ。動いてないと死んでしまうのかしら、というぐらい、ずっとうるさい。女じゃないみたいに筋肉も付いていて、それで怒られないとでも調子に乗ってるのかしら。監督生や副監督生、それに寮母は何してるんだか――。
「ああー、ええと、こんにちは、先輩。隣の、ええと」
「カナ、カナのほうよ」
「どうも、カナ先輩。ご用は――」
 どん、と一度横の壁を叩く。さして響いてもないけれど、脅しには丁度いい。びくり、と一年は身を震わせた。
「あのね、あなた方、いい加減学習能力ってものがないのかしら。あなた方が私の部屋の隣になって、何度ご注意したかしら」
「す、すみません。つい――」
「つい、ね。つい、つい。その言い訳も何度めだったかしら」
「すみません、もう今後はこんなことがないようにします」
 頭を下げた。後ろの視界が開けると、背後にいた一年も頭を下げているのが見えた。ふん、と自然と鼻を鳴らす。
「本当、次がないとよろしいわね。ですがこのことは、監督生の方々に報告させていただきますから、よしなに」
 返事を聞かず、扉を強く閉めた。ここにはもういたくない。数室隣にある監督生の部屋を訪れるけれど、いないようだったのでメモ書きを張り付けて部屋に戻った。ハナは私が部屋を出たときと変わらず、読書に励んでいる。私が帰ってきたのもすぐには気付かなかったようで、扉を軽くノックしてみると、はっとこちらに向き直った。私と同じ顔が驚いた後、微笑んだ。
「お帰りなさい、カナ。どうだった」
 ふん、と鼻を鳴らしながらベッドに寝転がる。
「どうもこうも、まったく、あいかわらずしょうがない方々でしたわ。ああ、早く春になって部屋替えなすってくださらないかしら。もちろん、今すぐにだってよろしいんですけど」
「カナは繊細ね。なに、春なんてすぐ来るわ。ゆっくり待ちましょう」
「待てないわ、だって私、ひどく気が短いもの」
「我慢、我慢よ、カナ」
 つい、くすりと笑った。本当にカナは双子なんて思えないぐらい、私と気性が真逆だった。カナは良く言えば穏やかだし、悪く言えばのろまだった。だから気性がちょっと激しくて、てきぱきと物をこなす私とは相性が良かった。いつだって私がカナの手を引っ張っていた。でも、今じゃ結果は何もかも同じような気がする。やっぱり双子なのかしら、と思っていると、そうだわ、とハナが本を閉じた。
「なあに、どうしたの、ハナ」
「お父さまとお母さまからお手紙が届いていたの、カナに言うのをすっかり忘れていたわ」
「お父さまたちから?」
「ええ、ほら、夏休みも帰らなかったでしょう。それを忙しいと思われたみたいで、もう今から新年を一緒に過ごそうっていうお誘いみたい。そう、ついでにお姉さまとお兄さまも」
「私は行かない!」
 反射的に叫んだ。ハナも驚きを隠せないで、けれど落ち着いて、穏やかに、諭すように続けた。
「でも、お姉さまたちはもう成人してらっしゃって、集まる機会はなかなかないでしょう。私たちもこれからどうなるか。あ、もしカナがどうしても帰りたくないんなら、私だけが――」
「だめよ、ハナ。許さない」
「……どうして?」
 ハナは悲しそうな顔で首を傾げる。私の、だって、と乾いた笑い声が部屋に響いた。
「私とハナは双子だもの。一心同体。離れることは許されない。それにハナはドジだから、私がいないと家までも帰れないでしょう。ね、帰らなくったって、ここで十分楽しいでしょう。ハナ、ね」
「カナ……」
「ね、この話はもう終わり」
 携帯が鳴る。この音は、ハナの携帯だ。
「こんな夜に、誰からメール?」
 静かに問う。ハナはおそるおそる携帯を開いて、差出人を確認する。
「副監督生のトキワさんから」
 言い切る前に頬をはたいた。ハナの白い頬が赤くなる。
「嘘をおっしゃい、どうしてトキワさんからメールなんかが来るの」
「同じクラスだから、です」
「第一、寮が一緒なのだから、部屋まで来ればいいでしょう?」
 ハナの目は、痛みからか驚きからか、涙がにじんでいた。声も震えている。
「以前、イノリさんが、もう一人の副監督生の肩が夜にいらっしゃったとき、こんな時間に来るなんて、とカナがおっしゃってたのを気になさってたのよ。お二人とも、気の良い方だから」
「どうだか、怪しいものだわ」
 言いながら、ハナの赤くなった頬を撫でた。ハナは小さく身体をびくつかせる。溜息。
「ごめんなさい、ハナ。私、またつい、かっとなってしまって」
「良いのよ、カナ。カナは私のことを思ってやってくれているんでしょう。赤いだけだから、すぐに引いてしまうしね」
「ハナ」
 頬を撫でていた手に手を重ねて、そっと、外された。優しい笑みを浮かべて、私の手を撫でる。
「ありがとう、でも本当に気しないで、カナ。さあ、もう夜も遅いわ。眠りましょう」
「……ええ、ええ、ハナ。おやすみなさい」
「おやすみなさい、明日も良い日になると良いわね」
「ええ、きっと」
 軽い口づけをした。すると、すぐに眠くなる。長らくしていたことだからか、身体に染みついてしまったらしかった。これで布団にもぐって、電気を消されたら、もう眠るしかなかった。ハナは部屋の外へ出る。いつも眠る前にお手洗いへ行くのだ。そして帰ってくる頃にはもう私は眠りについて、朝を迎えているのが大概だ。
 その日も例外でなく、目を覚ますともう朝だった。しかし、ハナがいない。いつもならハナが私を優しく揺り起してくれるはずだ。私が先に起きてしまったのだろうか、と二段目のベッドを見ても、やはりもぬけの殻だった。なんだか妙に不安が募るから、そっと、部屋の扉を小さく開いて周囲を見まわすと、ハナの声がした。隣、あの一年生の二人組と話しているらしかった。話し終えると、ハナはそのまま一階へ去ったので、一年生の扉が閉まる前に駆け込んだ。
「おはようございます、お二人とも」
 できるだけ、にっこりと笑う。一年生の驚きなど関係ない。
「先輩、ええと、おはようございます」
「それで」
「は、い」
「今先程、ハナと何の話をしていたの」
 一年生はぎょっと目を見開き、分かりやすく目を泳がせた後、迷いながら口を開いた。
「せ、先日お世話になったことについて」
「嘘をおっしゃい、早く本当のことを言って」
 どん、と壁を一度叩く。それだけで喋るのだから、安いものだ。一年生は迷い続けてはいたが、結局、おそるおそる話した。
「昨夜の、その、カナさんがいらっしゃったことについて」
「はあ? ……フウン、そう、そうなの」
 もういいわ、と一年生の部屋の扉を閉めた。小走りに一階へ降りると、ハナが朝食の準備をしようとしていた。私を見ると微笑むのが、今日はなんだかいらついて挨拶をせずに本題から入ることにした。
「ハナ、あなた一体どういうおつもり?」
「カナ、どうしたの、そんなに怒って。ほら、早く制服に着替えないと学校に遅れてしまうわよ」
「ごまかすのはやめて!」
 食堂だということをすっかり忘れて、かっと叫んだ。周囲には寮生たちがいて、一瞬しんと静まったけれど、皆素知らぬふりを上手にして食事を食べるなりご飯をよそうなりした。私も構わないで、ハナの肩をつかもうとすると、微笑んだまま、払いのけられた。
「ハナ……!」
「ねえ、カナ」
 ハナは笑っている。持っていた盆をテーブルに置いて、今すぐにでも鼻歌を口ずさみそうなぐらい、機嫌が良さそうだった。
「私もう飽きてしまったから、やめようと思うの」
「……ハナ?」
「あなたに飽きたのよ、カナ。余計なプライドばっかり高くて、私がいないと何もできないのを、私のせいにして。そのくせ頭が悪くて、煙草の匂いさえも気付かない。私が夜に遊びに出ていることにも、結局気付かなかったでしょう。さすがだわ、カナ。あなたがお嬢様の鑑なのかもしれない」
「ハナ! 何言ってるの、ねえ!」
「時間があったら朝食を頂こうかと思ったけど、もうそんな時間もないみたい。部屋に戻ることにするわ」
 何を言うべきか、もう思いつかなかった。ただ、服の裾を引っ張ったけれど、ハナは止まってくれない。結局ハナを追いかける形で、部屋に戻った。ハナはそんなこと知らんぷりで、大きな旅行鞄を出して、服を詰め始めた。 
「ハナ、行かないで。私、どうなっても良い。ハナの言うことなら何でも聞く。だから、許して。ずっと側にいて」
「だめなの。私じゃない、他が許してくれないの。私、今までの悪行がすっかりばれてしまったの。真夜中に遊びに出たこと、煙草を吸っていたこと、何もかも。だから退学で、実家に連れ戻されるわ。あの、あなたが迫ってしまうほど大好きなお兄さまがいる実家に、ね」
 もう、私には何も言えない。喉がなくなってしまったみたいに、声の出し方がわからなくなってしまった。力も入らないから、ハナの服の裾さえつかめなかった。
 そんな私をみたハナは、舞台女優のようによく通る声で、高らかに叫んだ。
「ああ、これでようやく処女臭いのと離れられるわ!」
 色づいた枯葉が落ちる。私は坂ノ上女子寮が潰れることを、今心より願っている。気弱なハナの震え声は、もう誰にも思い出せない。
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