// (三・夏)

 アサギリとは同郷で、中学のときは同じバトミントン部に入ってペアを組んでいた。そうして部活に熱中していたせいで、受験では二人して遠いこの高校にしか受かれなかったから、一緒に寮住まいを選んだ。アサギリの家族は私がいるならと了承したし、私の家族はアサギリがいるならと了承した。
「コトブキがいれば、どこでも行けるね」
 寮でも同じ部屋になったし、学校でもやっぱりバトミントン部に入って、ペアを組んだ。勝てなくても良かった。一緒にいる理由さえあれば良いんだ、とは、きっと私だけが考えている。言えない。

 教室、一番後ろの席で、みんなの後ろ姿を眺めた。もうすぐ、ひと月見れなくなるのだ、と思うと妙な気分になる。でもきっとすぐに過ぎてしまう。夏なんて。アサギリの背中を見た。うっすらと透けているそれは、いつもの下着じゃない。
 放課後、今日は部活がなくて、アサギリは掃除当番なので先に学校を去る。たしかもう食材が切れていたはずだから坂道を下った先のスーパーへ向かうため、ついでに駅へ向かう友人と途中まで一緒に帰ることにする。坂からは、夕日に照らされてぎらぎら輝いている町が一望できるけど、こうも毎日のように眺めていると感動もない。よく晴れた日なら富士山が見えるときもあるけれど、あと二年半の間に何回見るだろう、と考えると
「ねえねえ、気付いたコトブキ。アサギリのやつ、いつものスポブラじゃなくて普通のブラだったの。レースの可愛いやつ」
「んーうん」
「知らないの」
「いやブラは気付いたけどさあー」
 じゃあさ、と友人が突然食らいつく。自然に距離を取る。
「ねえっ、アサギリのやつ、彼氏でもできたの、そういうことなの」
「知らないよー」
 ええ、と不満げな顔を見せられた。困る。友人はつまらなそうに、溜息を続けて。
「コトブキが知らないなら、じゃあ違うかあ」
「わかんないよ」
「フウン」
 一瞬間を開けて、次にはもう別の話題に切り替えていた。課題の話、教師の話、部活の話。坂を下るまで大した距離はないし、歩く速度だって普通なはずなのに、彼女の話題はぐるぐる巡るましい。目が回る。じゃあね、と別れてようやく一息つけた。何を買おうか、忘れてしまった。
 夕方になると、アサギリが帰ってきた。食堂は作るぐらいしか使わなくて、そこで食べるのはなんとなくまだ慣れないから、出来たものは部屋に持ち込んでアサギリと食べていた。アサギリの制服は汗でびっしょりと濡れていた。
「ただいま、お、今日はゴーヤチャンプルーですか。ん、こっちは漬物、どうしたの」
「監督生さんの実家から送られてきたんだって。お米ももらっちゃった」
「へえ」
 着替え始めるアサギリを見る。やっぱり、ブラはワイヤーが入ってて、レースで、ピンク色のブラだった。いそいそティーシャツを着込んで、すぐさま、テーブルに付く。白飯、ゴーヤチャンプルー、味噌汁、漬物を一通り眺めて、手を合わせて、いただきます、と丁寧に。手に取ろうとした箸を奪う。ン、と言われた。
「あ、ウン、ゴメン、掃除の後先生に捕まっちゃって、こんな時間になっちゃったの」
「ウン」
 渡さない。
「……いただきます、って言ったよね。手はさっき洗ったよ」
「違くて」
 沈黙、から、小さくわざとらしくエエト、なんて言って。不思議そうな顔をするアサギリと目を合わせない。
「あの」
「ウン」
「彼氏、できたの」
「はあ、いやできてないけど。なんでまた突然」
 間を置かなかった。嘘をついていない、と分かって、それでも茫然としていると箸を奪われた。いただきます、と丁寧に二度目も言って、食べ始める。
「コトブキも食べなよ」
「いや、う」
「なあに、美味しいよ」
 仕方なく、箸を取る。ゴーやチャンプルーを一口。上手く作れていた。
「で、どうしてそんなこと聞いたの」
 ご飯を食べながら、アサギリは尋ねる。言わないわけにはいかない、らしい。あきらめる。
「ぶ、ブラジャーが」
「ええ?」
「いつもの、スポブラじゃなかったから」
 アサギリが、グ、と一言詰まる。ちょっと面白かったらしいのと、予想外の両方があったようだった。
「……あのねえ、それだけ?」
「ウン」
 私は真剣な顔を崩さないでいると、それもまた面白かったようで、笑いながら話す。
「母親が送ってくれたものだよ、週末にさ、ほら、段ボール来たじゃない。タオルの中に隠されててさ。で、使わないともったいないし、今日ちょうど部活ないし、と思って」
「それだけ?」
「そうだけど」
「なんだー」
「第一、男子と話すこともないでしょう、コトブキ一緒にいるんだから分かるでしょ」
「メールとか、いろいろあるじゃん」
「ないない、ほとんど使わないし、あってもメアド交換する機会もないし」
 そうかな、そうだよ、と交わして、ご飯を食べる。ゴーヤチャンプルーが食べ続けていると、ちょっと苦すぎた気がした。
 夕飯を二人で片付けた後、アサギリが段ボールを漁っていた。そうして、まだタグのついた水色レースのブラジャーを引っ張り出す。
「はい、コトブキ、これあげるから」
「あげる、って」
「どうせサイズ同じだろうしさ、ほら、さっきのと色違いだし」
 無言、から、頷く。
「よしよし、じゃあ上脱いで」
「アサギリが付けてよ。付け方、分からないし」
「良いけど、ホックで引っ掛けるだけだよ」
「いいの。あと、私だけ脱ぐのはずるい、から、アサギリも上脱げ」
「それぐらい良いけど」
 アサギリは迷いがない。恥ずかしげもなくティーシャツを脱いで、やっぱりあのブラを着けている。私もずるずる脱いで、スポーツブラも外して、両手で胸を隠す。
「はい、両手通して、見えないから恥ずかしがらない。というか、何度も同じ風呂入ってるでしょう」
「それとこれとは違う」
「ふうん。で、胸寄せて、背中からお肉持ってくる感じでね、で、はい、手後ろに回して、そう、これ、これを引っ掛けるようにして、はい完成。簡単でしょ」
「うーん、違和感」
「そんなもんだよ、最初は」
 肩に手を乗せられて、後ろに引きずられた。気を抜いていたから体制が崩れて、アサギリにもたれかかる形になる。名前を呼ぼうとして、唇をふさがれる。思わず額を叩く。
「おい」
「ひどい、コトブキ」
「ひどくないなんでこのタイミングなの」
「今しかないかな、と思って」
「他にもあったよ」
「あったかな、今とかかな」
 もう一度、次は向き合って、ちゃんとまぶたを閉じて、指を絡ませて、さっきより押し付けるように。
「何度めだっけ、これで」
「三度目、や、四度目かな」
 春に、同じ高校が受かったって決まって喜ぶ中で、間違いみたいに唇が触れ合った。気のせいだと思って、知らないふりした。二度目は、寮も同室と決まって初めての夜、寂しくて一緒にベッドの二段目で寝ているとき。いつだってアサギリは卑怯だったのに、さっきからぱっと目覚めたみたいに強気になっている。
「ねえ、ちゃんと付き合おうよ、コトブキ」
「でも、わかんないよ。前も言ったけど、これはただの友情、みたいな好きかもしんない」
「いいじゃん、それでも。いつでも別れられるし、ずっと好きになる人なんていくらでも現れるよ、きっと。でも、今は本当じゃん、本当なんだから付きあっても良いでしょ、悪いことじゃないでしょ」
 答えられない、と思ったし、アサギリも答えを求めてなかった。でも何か通じ合っているような気がした。
 背中に手を回す。汗にじんで、においがする。肌が張り付く。
「坂ノ上女子寮が潰れても、忘れたくないこと、もう多すぎるね」
「ウン」
 こうして坂ノ上女子寮の短い夏休みが始まる、のだという。
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