// 05.助手

永久機関は存在しない。
全ては半永久機関。
全てが終わる。
俺もあいつもあの人も。
皆生きてて死んでいく。
さよなら。
さよなら。

 洗濯物を干していると、それは突然聞こえた。 隣の部屋から響く、高い電子音。 耳が痛くなるような音。 俺は耳をふさぎたくなりながら、あいつが出てくるのを待った。 赤い扉が開く。 その時既に電子音は止まっていて、音は何もなかった。 出てきたノアが持っていたものは、機械と機械をつなぐコードだけ。 何の機械をつなぐのかはわからないけれど、とにかく本人は困ったような顔をして出てきた。 そして苦笑して、言う。
「壊れちゃった」
 軽い笑みを含んで。 その死と自分はまるで関係ないかのように。 そっか、と俺も呟く。 母はようやく死んだのか。 今までも死んでいたみたいなものだけれど、本当に、ようやく。 ノアに死に顔を見るかと尋ねられたが、見たくはなかった。 美しいままの母の顔でいい。 俺は濡れたベッドのシーツを干す作業を続けた。
「悲しくないの」
「……シーツ干さないと」
 干してからでも悲しむことはできる、と言わんばかりに返す。 ノアは小さく笑う。よく笑う奴だった。 人を馬鹿にして(主に俺)笑うときをよくみるけれど その笑みはあまり見ない、何処か遠くを見たもの。 悲しそうとは形容しづらく、切なげとも表現しにくい。 多分奴は何も思ってない。 何にも感じていない。 その点に比べて、自分はどうだろうかと考えた。 最後の一枚を干し終える
「終わった?」
「ん」
 声が気がつくと震えていた。 指の先も震えてる。 わかった。 ああ、これが悲しいのかと思った。 今まで俺が出会ったのは同情という他人事な感情でしかなくて。 うん。 声に出さずに、相槌を打つ。 涙も流さずに、相槌を打つ。
「俺、悲しいと思う」
「うん」
「でも泣けない」
「うん」
「それはやっぱり」
 俺が人形だからかな。 とは言えなかった。 そのかわり、言う代わりに、ノアは否定した。
「違うよ」
 優しく優しく、いつの間にか手を握って。 ゆっくり俺の体を抱きしめて。
「泣いていいからね」
「だから泣けないんだって」
 話聞いてんのか。 あと抱きしめるのやめんか。 気色悪いの気持ち悪いの。 一歩間違えたら勘違いされるだろ。 寧ろあっち方向から見たら完璧ゾーン内。 ……何言ってるんだかわかんなくなってきた。
「阿呆」
 とりあえず、肘鉄で奴を遠ざけた。 腹に入った。というか、入れた。 部屋に響いたノアの奇声。 さっきの電子音より、よっぽどマシだ。 あの電子音を聞いていると頭が痛くなる。 ノアは腹をさすりながら、すこし笑っていた。 吃驚したなあ、もう、と。 結構本気でやったつもりだったのに。 不死身?
「まあ、うん。冗句は置いといて」
「何処が冗句だったよ」
 寧ろお前の存在自体が冗句だろ。 とかまあ、そんな無駄なツッコミを心の中に収める。 ノアはにこにこと笑いながら言う。
「もし人形だったら、エアは悲しいって思わないよ。 悲しさに声や指を震わせたりしない」
「……体の中の機械が異常を起こして、そうなるかもしれない。 悲しいのは、俺の勘違いだけなのかもしれない」
 ノアは笑う。 ああ、嫌な笑顔だ。 人を馬鹿にする笑い。 けれどこの時の奴の顔が一番、何よりも生き生きしてる。 ……嫌な笑顔も笑顔だけれど、何よりこいつが嫌な奴。 嫌な奴だからこその嫌な笑顔?
「自分の事なのにわからないなんて、滑稽も甚だしいね」
「自分の事だからこそ、だろ」
「人形に、自分も糞もあるかな」
「とりあえず排泄機能はないな」
 奴は大笑いした。 愉快そうに、腹を抱えて。 けれど何よりも、その様子が一番、奴にとって滑稽だ。 そして奴は満足げに俺の頭を撫でる。 くしゃくしゃと。
「冗句。いいねえ、本当に良い子に育ったね。かわゆ」
「20代だか30代だか知らん親父が、そんな言葉使うな。キモイ」
 手を叩き落とす。 えー、ひどおーい、とかわざとらしく言うノア。 ぶりっこっぽい口調で。 ……殴りてえ。 だがまあ、そこは我慢して辛抱する。
「遊ぼうよー」
「母さんの死体どうすんだよ」
「捨てる?」
「殴るよ?」
「いや冗談。うん、後から埋めるよ。 それとも飾る? 死体腐敗防止剤でも打ち込んで」
 ガラスケイスにレッツイン! まるで魔法を自由に扱えるロリ少女のように言いやがった。 死者を冒涜するにも程があるだろ。
「人形にでもする気か」
「そうだね。僕のツテで行けば可能だよ」
 そして、奴は上目遣いで本心を探るように尋ねる。
「ねえ、人形にしちゃう?」
 悪魔の誘い。 さっきからずっと言っていた人形と言うのは、人の死体の中に機械を詰めて 死体が腐らないよう死体防腐剤を流し込んだ代物。 死者の冒涜だのなんだのということで、あまり好かれちゃいない。 けれど表立っていないだけで、結構利用者は多い。 正直、俺はどちらでもよかった。 人の死体が人形として生き返っても 所詮は知らない他人だから、意味も糞もあるまい。 ……ああ、でも生き返ったといってもたしか元の記憶と感情はないんだった。 今の人間の知識では、どうしても記憶や感情を移植することは不可能。 そんな話をどこかで見た。 多分ノアから渡された沢山の医学書のうちの一冊。 俺ははっと笑いながら言う。
「馬鹿。ふざけるなよ」
「僕はいつでも真面目に本気でふざけてる」
 根本がふざけてんのかよ。 救えねえ。 けれどそれにね、と奴は続けた。
「人形から生まれて育てられたからって 人間は人形になれない。 所詮人間は人間で、人形は人形なんだから。 形代と人間を一緒にするなんて、ナンセンスだ」
「……じいちゃんは、人形だったのか」
 握っていた拳が震えた。 俺はノアと出会う前に祖父(と呼べといっていた男)と一緒にいた。 年老いたからこその優しさと厳しさを持つ人だった。 たまにふと人間らしくない仕草が見えたけれど、まさかと思っていたのに。 既に祖父は、亡くなっているけれど。(人形なのだから、壊れたというべきか?) ノアはあれ? と首をかしげた。
「あれ、知らなかったっけ」
「知らねえよ」
「でも、薄々は気がついてたでしょ」
 何も言えなかった。 全部見透かされたみたいなこいつが酷く憎い。嫌いだ。 それでも何処か人をひきつける。 嫌だ嫌だ。ああ、嫌だ。
「子宮を持った人形から生まれて 年老いた人形に育てられて。 でもね、人間は人間。 エアの環境は"たまたま"特別だっただけ」
 ノアが立ち尽くす俺の頬にすっと触れた。 冷たい、冷たい指先。 ゆっくりと頬から肩へと流れる冷たい手。 それで俺の体を固定して、ノアは首にかじりつく。 歯が食い込む。
「いっ……!」
 首から離れて、けらっと明るく笑うノア。
「ほら、何よりも人間な証拠。 人形は無痛覚なんだから、これで痛みを感じるわけがない」
 痛みが俺が人間である証拠。 かじられたところを指でなぞると、血がすこし出ていた。 俺は奴を睨む。
「死ね」
「死ねたらね」
 死なないけども、と奴は愉快そうに笑う。 そしてノアはそのまま外へ出て行った。 ……逃げやがったな。 とりあえず帰ってきたら何かで殴るとして このかじられたところをどうにかしよう。 バンソウコウを探して、首に適当に張った。 触るとぴりっと小さい痛みが走る。 この痛みが、証拠。 ぽろぽろ、とうっかり零れる涙。 本当についうっかりだ。 多分俺は望んでいた。 自分の愛しい人が皆人形だから、自分もそんな存在になりたいと。 嗚咽が漏れる。みっともない。
 ああ、ごめんなさいごめんなさい。 気付くのが遅すぎたんだ。 俺は祖父が亡くなった時嗚咽をもらしかったことを。 母が亡くなった時に泣きたかったことを。 でも自分の望むことに反しちゃいけないから 必死に必死に無意識に我慢して。 ああ、ごめんなさいごめんなさい。 今さら気付いてごめんなさい。 俺はノアが帰ってくる直前まで、自分の嗚咽に飲まれていた。

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