// 02.ラプンツェル

長い長い黒髪を、パパは褒めてくれました。
長い長い黒髪を、ママは愛してくれました。
そしてある日、ラプンツェルのお話をしてくれました。
私と同じ長い髪を持つ女の人のお話でした。
だけどとても悲しいお話でした。
でも最後は、幸せになりました。
だからきっと私も、幸せになれるのだと思いました。

「――ローズ、起きなさい、着いたわよ」
 ママに少し乱暴にゆすられて、私は起きた。 とてもいい夢を見ていたような気がしたし それは気のせいだったような気もする。 どちらにしても、夢から覚めてもママは不機嫌だった。 爪を噛み千切りそうなぐらい、噛んでいる。 最近はずっとこの調子だ。  ママは不機嫌になると、いつも爪を弄る。 噛んだり、なぞったり。 綺麗な爪が汚くなっていくのをみるのは、あまり気持ちよくない。 だから私は目をそらす。 ママが私の黒髪を好きだったように 私もママの綺麗な爪が大好きなのだから。
 私は森の中にいた。 私の住んでいる都会では見られないような 少し暗い、怖い森。 でも匂いや空気がとても澄んでいた。 前にパパとママと一緒に行った、パパの田舎みたいに。 でも、もうそこには行けないんだ。 深呼吸をして、私はまたパパの田舎を思い出す。 空の青さも牛の声も草の深い緑も。 とてもとても綺麗だった。
「何をぐずぐずしてるの、早く来なさい!」
 タクシーから降りたあと、ママはもっと不機嫌だった。 私は小さく返事をして、家を出る時ママに押し付けられた帽子を もっと深くかぶった。 森の中には病院があった。 小さい家の看板に、病院とだけ書かれていた。 先生らしいなぁ、と思いながら 私は扉を開けるママに着いて行く。 ママから、きつい香水のにおいがした。
「失礼します……」
 扉を入ると、すぐに洗濯物が散らかっていた。 私よりも年上の男の子が、気まずそうな顔をしてる。 都会の病院にいた頃も見た覚えがあった。 確か先生の助手さんみたいな子だった。 看護婦さんに聞くと、あれは助手というよりも 単なるお気に入りだって言っていたけど。 ぺこりと頭を下げると、ちゃんと返してくれた。
「お久し振りですね」
 その横には、紅茶が入ったマグカップを持った先生がいた。 先生は相変わらず、マイペースそうだ。 男の子が横で洗濯物を集めているのを手伝おうとしない。 もし、先生――学校の先生がいたら、きっと怒られちゃうのに。 助け合いなさいって、他人には優しくしなさいって。
「ローズちゃんも久し振りー、元気?」
「元気な奴は病院に来ねえだろ」
 男の子が先生に突っ込みを入れる。 私はくすくす笑って、頷こうとした。 でも、横にいたママの視線が怖かったから、何も反応しなかった。 男の子も先生も、それほど気にした様子は見せない。 先生の古そうな椅子が、ぎしりと鳴った。
「で、どうなさったんですか。都会から離れたここまで来るなんて」
 ようやく聞いてくれた、と言わんばかりにママは泣き崩れた。 ママがお昼によく見るドラマみたいに。 でも、ドラマとかよりもよっぽどママの泣き声とか姿は悲しそうだ。 泣かないで、って言ってあげれればいいのに。 原因は私だから、何もいえないなんて。
「この子が」
 ママが呟いたときごめんなさい、と私は謝った。 心の中で何度も謝った。 ママにも、パパにも、先生にも、男の子にも。 世界で生きてる人皆に謝った。 なんだか、世界の不幸がすべて私のせいなような気がして。 たまらなかったのだ。
「この子の、髪が」
「カミ?」
 男の子が復唱する。 すこし険しい表情で。 パパの顔とよく似てた。 ママがゆっくりと震えた手で、私の帽子を取った。 中にまとめられていた髪が、ぱさりと落ちる。 最初は男の子も気づかなかったみたいだ。 でも、すぐにまた険しい表情をして、はっとした。
「髪が……伸びてる?」
 それはきっと当たり前のこと。 私たちが生きるから髪が伸びる。あるいは抜ける。 でも、ちょっと私の髪は違うんだ。
「……有り得ないスピードで、伸びるんです。医者に聞いてもわからないって――!」
 ママはわんわん泣いた。 うちの隣の家の、生まれたばかりの赤ん坊みたいに。 綺麗に泣いた。 誰かに聞いて欲しかったんだと思う。 自分は苦しんでるんだ、悩んでるんだ。 それをわかってほしくって。 私も泣きたくなったけど、私が泣いちゃいけない気がした。 今の私は、何をしてもいけない気がした。
「お願いです、お願いします。どうにか、どうにかしてください」
「じゃ、少しローズちゃんとお話させてください」
 いいよね、と聞くように私に笑いかけた。 私は頷く。 ママは私もいていいですがと訪ねたけど 先生にごめんなさいをされてた。 多分今ママがここにいたら、私の"病気"は治らない。 ママが出て行くのを見て、またにっこり笑った。
「久し振りだよねー。元気だった? あ、なんか飲む?」
 私は笑いながら首を振った。 先生に久々に会えて嬉しかった。
「いやーそれにしても相変わらず綺麗だね。ラプンツェルみたいだ」
 有難うを言った。 でもラプンツェルの名前を聞いたら、少しだけ悲しくなった。 先生はそれを見逃さない。 慎重に、丁寧に、訊ねた。
「ラプンツェルって、知ってる?」
 頷いた。よく知ってるから。
「ちょっと不幸になったけど、最後はハッピーエンドだよね。 ……あ」
 ぴんと来たように、先生は呟いた。 私は首を傾げて、どうしたのと訊ねる。
「そうだ、もしかしたらローズちゃんは今不幸なのかもしれないね。 きっと幸せになりたいから、髪が伸びちゃうんだよ。 何かあったのかなあ?」
 ちょっとわざとらしかった。 先生の演技は下手だ。 でも、私に言いやすくいってくれるためだとわかってたから 素直に言った。 先生は深く頷きながら聞いてくれた。
「お母さん、終わりましたよ」
 話が終わって、ママをまた呼んだ。 ママが強張った顔で、先生に言う。
「治るんですか?」
「はい。恐らく」
「恐らくって……」
 難しい顔をしたママに、安心させるようにっこり笑う。
「とりあえず、お母さんとお父さんにやっていただくことがあります」
「何ですか?」
 けらっと笑う先生。無邪気に、子供みたいに。 強張った表情のママとはまったく逆だった。
「簡単なことです。……夫婦喧嘩をしてください。ローズちゃんの前で」
「……はあ?」
「夫婦喧嘩です。今あまり夫婦仲がよろしくないと聞きました。 なぜよろしくないのかを、しっかりと説明してあげてください。 小さい子供だからといって、そんな有耶無耶にされては不安がります。 とりあえずローズちゃんは、お父さんと離れてしまうらしいことは わかっているようです。ですから」
 そこからは言わなかった。 またやっぱりにっこりするだけだった。 ママは小さい子供が怯えるように、俯いた。 私は眼を瞑った。  次の日、私は髪が伸びなくなった。 ママにショートカットに切られて、終わった。 ママは私を抱きしめた。 そして何度も、昨日の私みたいにごめんねって呟いた。
「私もごめんね」
「ううん、ママがいけないの、ごめんね、ごめんね」
 ごめんね。 いつまでもその言葉が耳を離れなかった。 パパも夜にごめんなさいをした。 けれど、私はなんとなくほっとした。 もうショートカットでラプンツェルじゃないけど とても幸せになったから。 今度、先生に手紙を書こうと思った。 ママとパパと、一緒に。

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